風通る郷で東京しゃもを生産 無頼の養鶏家の経営信念と農哲学

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風通る郷で東京しゃもを生産 無頼の養鶏家の経営信念と農哲学(2/1)

風通る郷で東京しゃもを生産 無頼の養鶏家の経営信念と農哲学
最終更新日:2020年02月04日

農産物は土地がすべて。その土地の空気・土・水が命を育む。鶏の場合、特に大きなポイントになるのは風。空気の流れ。
その信念のもとにあきる野の郷に養鶏場を設けて半世紀以上。常に1万羽の鶏を飼育し、国産採卵鶏の安全で美味しい玉子、そして高級銘柄鶏「東京しゃも」を生産する浅野養鶏場。育て方と品質についての養鶏家の話は科学的であるとともに、ハングリーな時代を生き抜いてきた昭和男の気骨に溢れています。

土地が農産物の味を支配する

土地が合ってなければ良いものはできない

「中へ入って鳴き声を聞けば、鶏がどんな気分かすぐわかります。今はとても良い状態」
ガヤガヤ、ココココという鶏の鳴き声が溢れる鶏舎。確かにざわめいてはいるものの、突き刺さるような鋭い声が起こることはなく、穏やかな空気に包まれています。
案内してくれた浅野良仁(あさのよしひと)さんは、東京都あきる野市にある浅野養鶏場のオーナーであり、東京しゃも生産組合の組合長です。
少年時代、戦後の食糧難を経験。高度経済成長が始まる頃、養鶏をやり、玉子を売る仕事をしようと決意した浅野さんは、鶏に詳しい農学博士のもとに赴き、指導を乞いました。そこで聞いた話は「どんな農産物も土地が合ってなければ良いものはできない」。

鳥(鶏)を科学する

それをきっかけに鶏、広く鳥という生体について探究。鳥は空を飛ぶために体を軽くする必要があり、少ない筋肉で効率よく大量の運動ができるよう進化した。だから常に新鮮な酸素を体にたくさん採り入れる。飛ばなくなった鶏にしてもその構造は変わらない。
そう考え、きれいな酸素が淀みなく流れ、鶏が健康に育つ土地として現在の場所を選び、1964(昭和39)年に移り住みました。

養鶏の理想郷

「土器も発掘されています。ここはそれだけ昔から人間にとっても住みよい土地なんです」。
浅野さん自身も高齢ながら元気溌剌。エネルギーに溢れており、驚くべきことにパラグライダーで空を飛ぶことも。
空から見ると家の建ち方で分かるんだ、ここは川の北側で山の南斜面になっている。北に北風を防ぐ山があり、南に田んぼ。日が照れば台地のほうが暖かくなって風が吹く。夜は逆の風が吹いて凪ぐことがほとんどない」。
米でも野菜でも肉でも、人間は生育を助けることは出来ても、創り出すことはできない。それくらい土地とは味を支配するもの。そこに農業の本質があると浅野さんは言います。

半世紀を貫いた浅野流農哲学

自分の信念に基づいて小規模経営

しかし前回の東京五輪の頃1960年代から、この地域にたくさんあった養鶏場は、時代が進むとともに減り続け、今では浅野養鶏場1軒に。
「餌を安く買って、鶏をたくさん飼えば儲かるというのが当時の養鶏場経営の常識。みんなそれで駄目になって辞めていったけど、僕は最初から小さくやろうと決めていました」。
終戦直後、米軍基地のある府中にいた浅野さんは、アメリカ人の玉子の買い方を観察し、農業について調査をしました。
「向こうの農家は特大と家族経営規模と両極で中間はない。いずれ日本もそうなると考えた。皆がやっているからではなく、最初から理論的に自分の信念に基づいて取り組んだ」。

国産採卵鶏から東京しゃもの標準規格開発へ

昭和40年代以降のブロイラーを用いた大量生産の流れにも逆らい、国産採卵鶏に自分が選んだ餌を与えて飼育し、良質な玉子を生産してきました。
それが業界で評判を呼び、浅野養鶏場は東京しゃもの開発を担うことに。そして生産組合を作って同養鶏場の採卵鶏と同じ餌で、同じ育て方をすることによって標準規格を作り、1984(昭和59)年から東京しゃもを安定的に市場へ送り出しています。

自由な生き方を求めて

以来30年余り。その美味しさが広く知られるようになり、需要が高まる一方の東京しゃもですが、市場のニーズに十分こたえるのは容易ではありません。PR方法・販売方法と併せて、品質を落とすことなく生産量を増やすにはどうするかは大きな課題。元気な浅野さんもこの課題については声のトーンが少し落ちます。
「ぜひ売らせて欲しいと言う人はいっぱいいる。でも販売会社を置くと生産者は下請けになっちゃうんだよ。それだと自由じゃなくなってしまう。餌屋、鶏屋、処理屋、問屋、みんなが良くなければ続かない。みんな自由にものが言えるシステムを作るのが夢なんです」。
雇われて給料をもらう勤め人では自由になれない。よけいなものに縛られず、自由を追求して農業・養鶏を始めた浅野さんにとって「自由」は何よりも尊重すべきキーワードです。

農業と芸術は相通じるフィールド

毎日鶏の世話をしながら、人や物の本質を洞察する画家として、また、合唱団でモーツァルトを歌う音楽家としても精力的に生きてきた浅野さんには、鶏の言葉も理解できます。
「一応満足してるけど、もうちょっと何かないか?と言っている。これがちょうどいい状況です。なぜなら人間と同じで餌が足り過ぎるとボケて玉子を産むのも惰性になっちゃう。少し足りないと、子孫を残さなきゃと一生懸命産む。うんと足りないと産めない。そこをうまく使い分けなきゃいけない」。
鶏舎内で解説する養鶏家にとって、農業と芸術は相通じるフィールドにあるようです。

食物を作って売るのは神聖な仕事である

農業をやりたいという人へ、浅野さんはこんな提言をしてくれました。「食物を扱うのは神聖な仕事です。豊かな時代に育った人はそれを忘れている。だから食糧とは何か、農業とは何かについて、自分なりの信念を持たなければだめです。どうすれば儲かるかと考えるだけでは、すぐに行き詰ります。やるからにはこういう人間になりたい。そんな強い思いをもってやってほしい」。現代人にとって、農とは生きている実感を取り戻すことなのかも知れません。

浅野養鶏場

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