新・農業人フェア

農業研修

リンゴ農家育てる「大学院」、現役農家が独自研修を開講「南信州の産地を守る」

ライター:熊谷 拓也

ライター:熊谷 拓也

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農家の高齢化と後継者の不在は、日本の農業の待ったなしの課題です。そうした中、長野県南部にあるリンゴの産地で、独自の研修制度を作り上げた農家がいます。「南信州りんご大学院」の名で、授業料は無料・研修期間は上限なしに設定。2017年から続けて4人が卒業し、独り立ちしています。今年からは行政を巻き込んで、さらに充実した体制で再出発しました。新規就農者の具体的な不安に寄り添う、ユニークな研修制度に迫ります。

金銭面・技術面で就農希望者の不安を解消

金銭面・技術面で就農希望者の不安を解消
プルーンの袋掛けをする研修生

5月下旬。緑の葉が生い茂る長野県のプルーン園で、若者2人が手際よく袋掛けを進めていました。1月から研修に参加している、東京都出身の原田薫子(はらだ・かおるこ)さん(29)と愛知県出身の竹内彰悟(たけうち・しょうご)さん(31)。「なかひら農場」(下伊那郡松川町)の代表・中平義則(なかだいら・よしのり)さん(44)の下で、リンゴを中心とした果樹栽培について基本の「き」から教わっています。

原田さんは、桃園を営む農場法人で働いたことをきっかけに農業に興味を持ちました。祖母が住む長野県にはなじみがあり、自然豊かな環境に憧れていたことから夫婦での移住を決意。飯田・下伊那地域で行われた移住見学会に参加し、果樹栽培が盛んな松川町を知りました。

当初、新規就農について原田さんは「全く何も知らない所から始めることに不安しかなかった」と言います。しかし、お金と技術の両面で不安を解消してくれる至れり尽くせりのサポート態勢が整っていたことで、迷わず研修生になることを決めたそうです。

給与は「大卒新入社員並み」

給与は「大卒新入社員並み」
原田さん(左)たちに語る中平さん

受講料は無料、生活費の保障も

りんご大学院には、一般的な就農研修とは異なるいくつかの特徴があります。

長野県が行う「新規就農里親活動支援事業」では、新規就農希望者が研修先に「指導謝金」(計16万8千円)を支払うことになっています。

ところが、こちらのりんご大学院では受講料を取りません。それどころか、研修生を農業法人の正社員として雇用し、大卒新入社員並みの給与を支払います。

就農時には農地や機械を用意するためにさまざまな費用がかかります。そこで中平さんは、研修期間中に独立資金をためられるようにと、あえてこうした形を選択しました。

学び合いで確実に技能を習得

研修の方法にも、中平さんこだわりの特徴があります。

果樹農家になるには、不要な枝を払う剪定(せんてい)の技術などを覚える必要があります。そこで、できるだけ早く研修生が独り立ちできるようにと、研修の在り方を考えました。

中平さんは大手予備校を見学に訪れ、重要なヒントを得ました。そこでは、講師が生徒に一方的に語りかける典型的な形の講義に加え、生徒同士が教え合うグループワーク型の学習を取り入れていたのです。

りんご大学院では、先輩が後輩に作業のこつなどを教える機会を意識的に取っています。例えば冬場の剪定では、どの枝を残しどの枝を落とすのかについての判断理由を、先輩が後輩に説明します。中平さんは「人に教えることであっという間にものになる」と語ります。

一人一人に合わせた支援の形

国が支援する研修制度は期間が最長2年間となっています。りんご大学院では、独立できる実力が付いたと認められるまで、期間を定めることなく研修を受けられます。

実際に独り立ちするには、栽培技術の習得だけでなく、農地を確保しなければなりません。中平さんは、地元の行政と緊密な連携を取り、引退する高齢農家との橋渡し役も務めています。

就農してから販売先を開拓するには時間がかかります。そこで、売れ残ってしまいそうなリンゴは中平さんの農園で買い取り、直売所で販売することもしています。

産地存続の危機に大学院の開講を決意

産地存続の危機に大学院の開講を決意
リンゴの摘果をする中平さん

りんご大学院開講のきっかけは、5年前にさかのぼります。

松川町が果樹栽培100周年の節目を迎えたのに合わせ、2015年、町内の専業農家について調査をしました。その結果、町内でも後継者不在の高齢農家が急速に増えていることが判明。中平さんは差し迫った危機感を覚え、「これから先の100年について真剣に考えなければならない」と行動に移すことに決めました。

中平さんがこだわったのは、縁もゆかりもない地域で就農を目指す若者の不安をできるだけ取り除くことでした。こうして、新規就農希望者にとって至れり尽くせりの支援態勢が形作られることになったのです。

「困ることなくスタートラインに立てた」“卒業生”は続々就農

「困ることなくスタートラインに立てた」“卒業生”は続々就農
信州の山々を望むなかひら農場のリンゴ園

これまでに北海道、京都、愛知から研修生計4人を迎え、それぞれが2~3年で研修を修了。全員が町内で就農し、リンゴやブドウの栽培に取り組んでいます。

就農2年目で名古屋市出身の犬飼健一郎(いぬかい・けんいちろう)さん(39)は「何一つ困ることなく、スタートラインに立てた」と、中平さんへの感謝を口にします。

昨年は、栽培・管理から出荷まで一連の作業を初めて一人でこなしました。「試行錯誤の一年だった」と振り返りつつ、「ここ(りんご大学院)で教わったことは全て現場で生かせる」と研修の成果を実感しているようでした。

当面の目標としては「まずは仕事のペースをつかんで売り上げを上げていきたい」とし、「いずれはリンゴの他にブドウにも挑戦したい」と話していました。

地域を巻き込んでの再出発

地域を巻き込んでの再出発
研修を受ける一期生の竹内さん

一方、町内で遊休農地が増える状況は、りんご大学院が新規就農者を輩出するペースをはるかにしのぐスピードで進んでいると、中平さんは言います。

一人で抱え込むには限界があると感じ、地元の松川町に協力を依頼。今年からは、町の全面的な支援を取りつけました。別の農家や農業法人、JA、農業委員会なども加わり、“オール松川”で新規就農希望者を育てる態勢に衣替えしました。

これまでは原則年間1人だった受け入れ人数は、今年から倍の2人に拡充。研修生が桃や梨、ブドウといったリンゴ以外の品目を希望した場合にも、対応できるようになりました。

原田さんと竹内さんは、新体制で迎えた「一期生」。研修生は、町の地域おこし協力隊活動として農業研修を受けることとなり、これまで無制限だった研修期間は任期上限の3年までに改めました。

中平さんは、大学院を開講した当初から、就農希望者が望んだ品目を学べる「農業大学院」にしたいとの思いを胸に秘めていました。「果樹園が広がる松川町の景観を次の世代に残したい」と期待しています。

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