日本のキャビア世界へ。
特集1 宮崎式ブランド創出力 CASE.4 宮崎キャビア
Made in MIYAZAKI日本のキャビア世界へ。
「世界三大珍味」として知られるキャビア。国産本格熟成キャビア「MIYAZAKI CAVIAR 1983(宮崎キャビア1983)」は、“和食に合う日本のキャビア”として注目を集めています。宮崎県水産試験場 内水面支場による完全養殖の実現から、ジャパンキャビア株式会社が中心となって取り組んだブランド化まで、挑戦の日々を追いました。
シロチョウザメの完全養殖に国内初成功
宮崎県でチョウザメの養殖研究が始まったのは1983年のこと。旧ソ連から日ソ友好の証として贈られたチョウザメが、国内各地の水産試験場に分与されたことがきっかけです。
「チョウザメの生態は、日本では分からない部分が多く、種苗(稚魚)生産が大きなハードルでした。加えてチョウザメは、卵を産むまで7〜8年かかり、個体によって卵を産むタイミングが異なるため、個体ごとの成熟段階を地道に調査する作業が必要です。なかなか結果が出ない中、粘り強く研究を続け、完全養殖まで成功したのは宮崎県だけでした」と語るのは宮崎県水産試験場 内水面支場の兒玉龍介さん。
2004年には国内で初めてシロチョウザメの完全養殖に成功。大量生産の技術を確立した時点で、養殖に携わる事業者が公募されました。
「最初の8年間は餌をやるだけという養殖は、既存の養殖業者にとっては常識はずれ。そのため建設業、介護施設経営者など、異業種から参入したケースが多いですね」と宮崎県農政水産部水産政策課企画流通担当の谷口基さんは振り返ります。
こうして、今では県内の18社がキャビアの商品化に向けたチョウザメ養殖に取り組んでいます。
商品化を進めながら、大手百貨店に売り込み
養殖に手を挙げた中の1社が、現在、ジャパンキャビアの社長を務める坂元基雄さんが営業部長として勤務していた建設会社でした。
「当時勤めていた会社が新事業の可能性を探る中で白羽の矢を立てたのがキャビアでした。しかし、最初に仕入れたチョウザメの8割が1カ月も経たないうちに死んでしまった。これは大変そうだと思いましたね」(坂元さん)
やがて、同じ失敗で悩んでいた他の養殖業者との間で連携が生まれ始めます。2013年、複数の養殖業者により「宮崎キャビア事業協同組合」が設立され、水産試験場内の加工施設においてキャビアの生産がスタート。2017年には株式会社化し、同年11月には3tのキャビアを生産できる加工施設が完成しました。
坂元さんは協同組合を設立した時点で建設会社を退職し、キャビアの商品化に注力します。まず取り組んだのが、大手百貨店への売り込みでした。
「日本のトップブランドを目指し、東京の三越と伊勢丹の食品売場で販売する目標を立てました。バイヤーさんに売り込みに行った時、『商品が完成していないのに売り込みに来た人は初めてだ』と面白がってくれて…。食品業界の流儀が分からなかったからできたんでしょうね。今なら怖くて行けないですよ(笑)」(坂元さん)
トップブランドとの連携、国際会議で知名度UP
宮崎キャビアのブランド力を向上させるために坂元さんが取り組んだ秘策が、ブランド力のある相手と組むことです。日本酒の『獺祭』とのコラボレートや、全日空の国際線ファーストクラスの機内食への提供などで、『宮崎キャビア1983』の知名度は徐々に上がっていきました。
「相手をトップブランドに絞る姿勢を貫いたことで、マスコミにも取り上げていただき、成果につながりました」(坂元さん)
もう一つ取り組んだのが、「サミットで振る舞われました」「日露首脳会談で絶賛されました」など、セールストークになるような重要なイベントで使用してもらうことです。県庁と一緒に売り込みを図り、実現にこぎつけました。
今は第二の創業期だと語る坂元さん。今後の目標は、日本独自のオリジナルキャビアを作ることだといいます。
「和風テイストの日本のキャビアで世界に打って出ます」(坂元さん)。
国産キャビアのトップブランドとして確固たる地位を築きつつある宮崎キャビア。世界中の人がその味に舌鼓を打つ日が、近い将来訪れるに違いありません。