ピーマン農家 山本智史さん


宮崎の農業を知りたい!
どんな人々が就農している?

ピーマン農家(宮崎県 児湯郡 新富町)
山本智史さん
ピーマンを生産。カナダ留学より帰国後、鳥取県立農業大学校へ。
研修で訪れた宮崎で現在の師匠と出会い、就農を決意する。
人生を変えたピーマンの第一人者との出会い、
匠直伝の技と人脈に助けられて今があります。
活用した制度と学び
「ピーマンの達人」直伝の技をマンツーマンで吸収
高校の交換留学でカナダに3年間滞在し、広大な自然に魅せられて帰国しました。その後、農業関係に興味を持ち、鳥取県立農業大学校に入学。1年生の時に40日間宮崎の先進農家で学ぶ機会があり、そこで現在の師匠である福山三義さんと出会いました。福山さんは宮崎のピーマン経営の第一人者で、JR九州の農業事業の指導も担当するエキスパート。妥協のないものづくりと農業の未来を語る姿に圧倒され、「本気で農家を目指すなら、こっちへ移住して研修を受けて独立したらいい」とのお誘いもあって、卒業後すぐ新富町に移住しました。先進農家研修では1年間、福山さんに土づくりから収穫までをマンツーマンで学びました。学びの一つは「植物は嘘をつかない」ということ。観察を怠らず、雑草を取り除いたり、最適のタイミングで水や肥料をあげて、必要な環境を整えてあげないと実はつきません。それをあらゆる機会を通じて学ぶことができました。師匠とは今でも教えを乞う間柄。こうした貴重な絆を結べることが、先進農家研修ならではの魅力だと思います。

就農後の苦労とそれをどう乗り越えたか
口蹄疫や新燃岳噴火など、自然の脅威と格闘
就農1年目に口蹄疫が発生、2年目には新燃岳の噴火と東日本大震災の影響で出荷が滞るなど、出鼻をくじかれましたが、これも自然のなせる業と気持ちを切り替えました。これまで8回収穫を終えましたが、感じることはやはり思った通りには作物が育たないということ。特に1年目は田んぼの中にハウスを建てて土を耕して入植するので、雑草がすぐに生えてきて除草作業に追われました。収量確保のためには、研修での教えをもとに、枝の立て方、水分量の調節、温度調整など試行錯誤しながら、時に師匠のアドバイスを仰ぎ、年々経験値を積んでいく以外に方法はありません。年ごとに収量が徐々に増えて、農地も15aから33aまで拡大、今後も技術を磨いて、きれいな形のピーマンを安定して収穫できるようにし、売上の向上を目指します。今34歳ですが、計画では36歳でローンを完済、40歳で家を建てて、45歳までに更に農地を50aに増やす予定です。
就農希望者へのメッセージ
事業主としての主体性と地域に溶け込む努力が大切
後輩の研修生の方を見ていると、なんとなく受け身だなと感じることがあります。自治体やJAはあくまでサポート役ですから、事業主として何事も主体的に取り組むことが大事だと思います。また農家というと1人で黙々と作業をするイメージがあるかもしれませんが、地域に溶け込む努力も不可欠です。いざという時、人脈がモノを言います。
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家族について
広島の両親も宮崎へ
ピーマンづくりを応援当初、両親は自分の宮崎での就農を心配していましたが、様子を見て移住を決断。今はピーマンづくりを手伝ってくれています。この温暖な気候と気さくな県民性がお気に入りです。
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師匠について
ピーマンづくりの第一人者
担い手の育成に尽力師匠の福山三義さんは宮崎のピーマン栽培の第一人者。昭和40年代にピーマン栽培を始めて以来、多くの人を指導してきました。今でも師匠と言える存在です。