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山梨県に就農したきっかけ、経緯は?
結婚後は神奈川県に住んでいましたが、「いずれは田舎に住んで農業をやりたい」と夫婦で話していました。家族の都合で夫の出身地でもある山形県に引っ越し、近所のサクランボ農家を手伝っているうちに“果樹農家はいいな”と思うようになりました。山形県での就農も考えましたが、夫が時々東京都へ出張するためアクセスのよい果樹王国山梨と迷っていました。
友人から山梨県で農業をしている人を教えてもらって会いに行くと、その方が後の研修先となる山梨県牧丘町のブドウ農家を紹介してくれました。牧丘町に来てみると景観がすごくよくて、ここに就農しようと決めました。
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就農する際に困ったことはありませんでしたか?
まず家を探すことが大変でした。空き屋バンクで調べて何度か見に来ても結局は決まらず、長男の中学入学に合わせて移住したいのに残り2カ月しかなく焦りました。一か八かで山形県でたまたまお会いした牧丘町在住の方に連絡を取ると親切に地域の方に聞いてくださり、現在住んでいる戸建てで作業小屋のある家を紹介してくれました。
すぐに農業を始められるつもりでいましたが、段階を踏まなければ就農できないことも想定外でした。県の出先農務事務所から勧められて山梨県立農業大学校(以下、農大)の果樹コースで9カ月の職業訓練を受けました。果樹栽培の他にも友人ができたことや農業経営を学べたことはよかったですし、ちゃんとステップを踏むことで支援を実感できました。
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農地はどのようにして見つけましたか?
最初の畑は、農大の研修中に山梨県農地中間管理機構に問い合わせて、一つあったところを即決しました。その前に借りられそうな畑があって手を挙げましたが、新規就農だからと断られてしまったので、チャンスを逃さないように動こうと思っていました。
1年目は30aの巨峰の成園から始めました。その後、別の地主さんから甲州を植えたばかりの畑を借り、近所の方から声をかけていただいた畑にはシャインマスカットの苗を植えました。
「やる?」と聞かれたら「はい」と答え、現在は7カ所で巨峰の成園60aと苗木40a、総管理面積100aまで増やすことができました。
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栽培で困ったときはどうしていますか?
経営・技術面に関しては実習先だった生産法人の師匠に相談します。農大でも一連の作業を習いましたが、1年目は虫や病気が多く失敗もありました。標高に応じてブドウ粒の大きさが異なり管理方法も違うので、畑のことは隣の畑の方に聞くのが一番だと思います。農閑期は果樹試験場で週2日ほど研究の手伝い(アルバイト)をしているので、そこでも情報を得て勉強させていただいています。
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山梨での生活はどうですか?
私たちが住んでいる地区では行事がたくさんあり、地域の方々と交流する機会が多いです。地区の組長や小学校も含めて昨年は5つも役が回ってきました。役をやってみると意外と楽しく、交流を通じて地域の方に私たちが農業をやっていることを知ってもらうことができ、農業機械を譲っていただくこともありました。
子どもは18歳、14歳、11歳で、都会に住みたいと思っているかもしれませんが、子育てには良い環境だと思います。学校は各学年1クラスが中学卒業まで続くので地域の子どもたちみんなが幼馴染みのように育っています。学校がコロナ休みになったとき、ちょうど開墾している畑があって、家族総出で石取りや枝集めをした経験は、すごくいい思い出です。
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果樹栽培のやりがいと目標は?
冬の剪定から自分たちで方針を決めて、一年を通して果樹の成長が見られ、収穫を迎えたときが一番うれしいです。うまくいったこともあれば、想定外のトラブルもありますが、いずれにしても自分たちのやったことが返ってくることがやりがいです。
繁忙期と農閑期のメリハリも私たちには合っています。6月の管理作業はものすごく大変で秋の収穫が終わるまではブドウだけの生活ですが、やり遂げたときの達成感は大きいですね。
今ある畑を見事な成園にして、あと3、4年で完全に独立することが目標ですが、今のところ次のビジョンとか壮大な計画はないんですよ(笑)。
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就農を希望する方へメッセージ
お金がかからない暮らしはできると思いますが、貯金はあるに越したことはありません。山梨県に来てからも、夫は自営の製造卸売を兼業していますし、今でも農閑期にはアルバイトをしています。就農初年度は病気が出て予想より収入は少なかったけど、周りのサポートがあったおかげで乗り切ることができました。
勢いでここまできた私たちですが、まずは挨拶をしてみる、何でもやってみる、そして聞いてみる、など自分からアクションを起こすことは大事だと思います。牧丘町が大好きなので、移住する人を増やして地域を盛り上げていきたいです。