プロフィール
語り手・瀬川祐星(せがわ・ゆうせい)
鹿児島県南九州市頴娃町出身。県立高校の設備工業科を卒業後、愛知県の特殊ガラスメーカーに約3年間勤務し、家業の茶業を継ぐためUターン。ひょんなことからトウモロコシ栽培に興味を持ち、茶業は継がず独立。現在はトウモロコシや西洋野菜の栽培・加工に取り組む。
書き手・瀬川知香(せがわ・ちか)
鹿児島県鹿屋市出身。旅行系専門学校を卒業後、大阪の旅行代理店、高知の観光協会、鹿児島の観光協会での勤務を経て2015年に頴娃町に移住。まちづくり系NPOに勤務後、宿泊業で起業。頴娃町で出会った夫・祐星と結婚し、農業をする傍ら、「暮らしの宿 福のや、
」などを経営する。
茶業を継がずトウモロコシ栽培にシフトチェンジした理由
茶業を継ぐつもりでUターン
祐星:僕の住む南九州市頴娃町はお茶の一大産地。実家も代々茶業を営んでおり、高校を卒業するころにはなんとなくお茶農家を継ぐのかなって思っていました。そのため、迷いなく鹿児島県立農業大学校の茶業科を受験しましたが、結果はまさかの不合格。なんとなく受験したからだと思います。もし、あの時受かっていたら今はお茶農家だったかもしれません。
トウモロコシに出会うまでは本当になんでも「なんとなく」でした。結局、愛知県の特殊ガラスメーカーに就職。とにかく一度県外に出てみたいという思いでした。3年勤務後、いつかは継がないといけないと考えていた茶業に従事するため2009年にUターン。地元に戻りお茶農家としての生活が始まりました。摘採した生葉は、共同の荒茶工場へ持っていきます。そこで同じ地区の人たちの茶葉と混ぜられて荒茶にまで加工された後、鹿児島茶市場へ出荷。この固定化された流れに、自身の工夫やアイデアが入り込む余地はありませんでした。
「なんとなく」茶業をやり続けることに違和感を覚える
そもそも、僕はお茶があまり好きではなくお茶を飲む機会も少なかったんです。
自分の好きでないものにあまり興味も出なくて勉強することもなく、茶業に取り組むモチベーションが上がりませんでした。ちょうどそのころ、茶の景気も悪くなり、ますます茶業を続けることに疑問を持ちました。
トウモロコシとの出会い
親元でなんとなく茶業に取り組む日々の中、ある種苗会社のカタログを見ていてふと、トウモロコシの種が目に入りました。少し気になりはじめ、トウモロコシのことをいろいろと調べ始めました。地域でトウモロコシを栽培している人もいなかったので、これなら自発的に研究して栽培できる、とスイッチが入りました。自分の裁量で農業をしたいという潜在的な思いがあったのかもしれません。
失敗からのスタート
トウモロコシを栽培しようと決意したのは夏でした。鹿児島は冬でも比較的温度が高いため10月~11月に収穫できると想定し、8月の中旬ごろに空いていた実家の農地5アールに一千粒くらいまいてみました。迎えた初めての収穫は成功からは程遠いものでした。夏場の種まきで地温が高かったため、うまく発芽しなかったのが原因。また、夏場に栽培するスイートコーンに不向きな品種を選定してしまったのもまずかったです。このため大きさがバラバラで収量も少ない結果となりました。
この経験を踏まえ農業の基礎から学んだ方が今後のためになると考え、翌年には農業大学校の研修課程に入学。1年間の寮生活となりましたが、その間もトウモロコシ栽培は続けようと、週末には畑に戻る生活を送っていました。農業大学校では肥料や農薬のことだけではなく、経理など経営のことも勉強するのですが、野菜の栽培に関してはトウモロコシが推奨作物に入っていませんでした。耕作面積当たりの収益が低いとされているからです。そのため、トウモロコシの栽培に関しての授業もなく、自分が学びたいことを学べない現実にも直面しました。
トウモロコシ栽培のどこに勝機を見いだしたか
農業大学校を卒業する時にも、トウモロコシ栽培で生活していくのは大変だから思いなおすように言われましたが、そこを押し切ってトウモロコシ栽培に本格的に参入しました。トウモロコシ農家になる決め手となったのは、鹿児島の温暖な気候を生かして、春と冬の年2回スイートコーンを収穫できる点、そしてヤングコーンも年間通して栽培できる期間が長い点でした。
そしてスイートコーンは青果としてはもちろんですが、そのころから加工品にしても面白いのではないかと考えていました。代々続くトウモロコシ農家ではないため、前例にとらわれることなく自由な発想で取り組めました。
自分のような小規模農家は青果だけだと出荷量に限界がある。加工品という形で付加価値をつけ、他にない商品をつくり小さな農業でもきちんと稼げるスタイルを確立したいと思いました。年々、スイートコーンは青果出荷より加工用に使う割合の方が増えています。
スイートコーンは鮮度が落ちるスピードが早い作物です。収穫してからすぐに加工に取り掛かります。始めのころはスイートコーンでどんな加工品を製造するか決めかねていたので、ひとまず蒸して乾燥し保管をしていました。そうして試作を重ねていくうちに完成したのが、「焙煎(ばいせん)トウモロコシ」という商品。製法としては、収穫後すぐに一粒ずつ手で実をとり、その後蒸して乾燥させ、最後に焙煎機で焙煎します。口に入れてすぐは焙煎した香ばしい香りが広がり、その後しっかりとスイートコーンの甘みを感じる商品です。そしてこの焙煎トウモロコシをさらに深煎りしたものが「スイートコーンのお茶」です。
とても甘みを感じると好評です。その他ポップコーンを使った加工品もあります。
少ない栽培面積でも加工品にすることで一反当たりの収益が高くなります。また、加工品が売れることで青果にも興味をもってもらい青果の取り扱いにつながることも。加工品が営業マンとなり、全国各地に販路が広がります。
周りから反対されたトウモロコシの栽培ですが、今となっては自分の意志を貫き通して良かったと思います。自分で考えた商品が多くの人の手に渡り、喜んでもらえているのが本当に嬉しいです。
夫婦の役割分担
知香:農家の嫁になったものの、不器用でコツコツ作業をすることが苦手なので初めから農作業には向いていないと自分で気づいていました。それなら、夫は「作り手」、私は「伝え手」としてそれぞれの個性や強みを生かして農業に取り組んでいこう、となりました。栽培や加工品製造は研究熱心な夫が、営業や商談は、サービス業に長く従事してきて話すことが好きな私が担当。苦手なことを無理してやらなくても、お互いに協力することで安定した農業経営を行うことができます。そして、これは予期していなかったことなのですが、頴娃町は土地柄野菜のバイヤーなどが訪れる機会も多いエリアで、たまたま私の営む宿にバイヤーが宿泊したことをきっかけに、取引が始まるということもありました。
私は旅行や観光の仕事をしてきていたので、その経験を生かし農業体験プログラムの企画を行っています。プログラムに参加した観光客が作物や加工品のファンになってリピーターになることも。異業種から農業への参入で不安もありましたが、異業種からの参入だからこそ、農業と観光の連携を図ることができたのかもしれません。
今後の展望とこれから就農する方、独立する方へ
南九州市頴娃町は農業がとても盛んな町ですが、観光農園がありません。今よりももっと気軽に農業体験を楽しんでもらうために観光農園をオープンしたいと考えています。食べておいしい、体験して楽しい農業を目指します。
これから新規就農または親元から独立して農業を始める方へ。独立してすぐに安定経営とはなりませんが、自分の裁量で取り組めるのが農業の醍醐味(だいごみ)だと思います。まずは小さく始めて、自身の農業スタイルを確立してくださいね。