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苦労の連続 巨峰がぶどうの王様になる道のり

苦労の連続 巨峰がぶどうの王様になる道のり

2017年09月20日

ぶどうと聞いてどんな物をイメージされるでしょうか。小粒の物ならデラウェア、緑のぶどうであればマスカット、そして大粒の紫のぶどうと言えば何と言っても「巨峰」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。現在では大粒のぶどうの代名詞とも言えるほど多く作られている巨峰ですが、意外にも栽培が広まるまでは長い苦難の道程があったのです。世界と日本でのぶどうの扱いの違いと巨峰が辿った苦労を合わせて紹介します。

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かつて、日本ではあまり盛んでなかったぶどう栽培

初夏を迎える辺りから旬を迎えた国産のぶどうが店頭に出始めます。小粒、大粒、紫、緑、赤と粒の大きさや果皮の色などが違うぶどうが並んでいるのが当たり前の現在からは想像できないかもしれませんが、かつて日本で栽培されていたぶどうはほんの数種類だったとされています。ぶどう栽培の歴史自体は古く、元々日本に自生していたヤマブドウとは別に中国を経由して、シルクロードから渡って来た物が日本に定着し、鎌倉時代頃には山梨県で栽培されていました。これは現在の甲州ぶどうのルーツとなります。今ほど多く食べられている果実ではありませんでした。

海外では「命の水」だったぶどう

日本で本格的にぶどうが栽培されるようになるのは明治頃からです。それに比べ、コーカサス地方やカスピ海沿岸では紀元前3000年頃には栽培が始まっていたとされています。その時代のぶどうは果物として好まれたから栽培されるようになったのではなく、もっと切実な理由からでした。ぶどうの原産地は乾燥しており、灌漑技術がまだ十分に発展していなかった事から農耕で穀物を育てるのではなく家畜を育てて肉を食べ、その乳を貴重な水分源としていました。そんな状況の中で乾燥した土地に適合し、果汁から水分が取れるぶどうが重宝されたのは当然の流れと言えます。

ぶどうの果汁その物は甘く、そのままではたくさん飲めません。ぶどうは果皮についた酵母の働きで、すぐに発酵してワインとなります。そしてアルコールとなる事で長く保存する事も可能となります。飲用に適した水が少ない地域では、ぶどうは「命の水」をもたらす果実だったのです。

ぶどうの生食を好む日本。けれど海外ではぶどう=ワイン

また、各地域で作られる酒の原料として、日本では主食でもある米を用いています。ぶどうと言えば日本では「果物」ですが世界の多くの地域では、ぶどうは重要な飲料であるワインの原料として栽培されています。比率としては世界で生産されるぶどうの約7割がワインに使われています。

時代の流れのために長く不遇だった「巨峰」

今では日本のぶどうを代表するとも言えるほど栽培されている巨峰ですが、世に認められるまでは不遇の積み重ねが長く続きました。

巨峰の生みの親は民間育種家である大井上康(おおいのうえやすし)さんです。大井上さんは元々茨城県の神谷酒造所の牛久葡萄園の技師として働いていましたが大正8年に東京で「大井上理農学研究所」を設立した後、伊豆に研究所に移します。この研究所は公的援助等を受けられなかったため農産物の販売やメッキ加工で研究費や生活費を賄う事になりました。

戦中戦後の食糧難。栽培の難しい「巨峰」

巨峰の交配実生が生まれたのは1973年です。そのため巨峰が実を結び始めた時期は第二次大戦の戦中戦後と重なってしまいました。また、巨峰は栽培方法が難しく、上手に育てれば極上の果実が得られるが栽培方法を誤るとひどく劣る品質の物しか収穫できない状態でした。戦時中は兵站のため。戦後は食糧難のため。日本国内では主食の米を栽培する事に重点がおかれ、食糧事情の改善に寄与できない嗜好品である果物に目が向けられる事はなく、巨峰が世に認められる日を見ないまま、作出者である大井上さんは1952年9月に亡くなってしまいます。

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