新しい売り方を求める農業の課題
晴れ渡った空に雄大なアルプスの山々が連なり、爽やかな風と心地よい木漏れ日があふれる。人も動物も思わず時間を忘れてしまいそうなのどかな農園。長野県伊那市にある白鳥農園は、100年続く果樹園を目指し羊やヤギ、ポニーや虫たち、生き物の力を借りて、果樹栽培に取り組んでいます。
栽培責任者を務める白鳥昇(しろとりのぼる)さんは、「化学農薬や化学肥料に頼ることなく、この土地で暮らす生きものたちの力を借りて果樹を育てる」という信念を貫き、親子2代で36年の試行錯誤の末、最難関である果樹の有機JAS認証を取得しました。スモモでの認証取得は国内初、モモで国内2人目、リンゴで国内3人目という偉業を達成しました。
有機JAS認証は、手間暇かけて育てられていますが、その価値を知られていません。周囲にはリンゴの生産者が多いため「リンゴはもらうものでどれも同じ」という固定観念があるために適正価格で販売するのが難しく今後の経営が危ぶまれていました。そういった状況のなか、新しい売り方が求められていました。
応援隊、伊那支部結成
「白鳥さん、シードルだよ、シードル!」
2015年白鳥さんの友人のジビエ料理人・長谷部晃(はせべあきら)さんの発案で、リンゴでシードル(リンゴの発泡酒)を作る挑戦が始まりました。長谷部さんは、腕利きの醸造家・竹村剛(たけむらつよし)さんから「小さなリンゴはシードル作りに向いている」という情報を聞きつけました。
白鳥さんが作っているリンゴは小さいのでちょうど良いし、シードルを作れば収入のベースをつくれるのではないか。そんな思いから、こだわりの酒店店主・西村考喜(にしむらこうき)さんを巻き込み「シードル開発プロジェクト」を発足させました。
そんな4人の熱い想いと技術が功を奏して、初年度はフジのシードル翌年には紅玉のシードルを亜硫酸塩無添加で醸造するというリスクの高い試みを見事に成功させました。しかし、作られたシードルを伊那市内で流通しても、やはり長野ではリンゴの商品はなかなか付加価値を感じてもらえません。そこで、伊那市の地域コーディネーター・齋藤俊介(さいとうしゅんすけ)さんの提案により、東京都内でおこなわれる商品開発会議に持ち込まれることになりました。
首都圏で適切な価値を認知してもらうことが、白鳥さんのシードルとリンゴの価値を日本中に知ってもらうきっかけづくりになると思ったのです。
「果樹の中でも安価な大量消耗品という位置づけになりやすかったリンゴに、人口減少のこの時代だからこそ“誰かの特別な一品”になるための付加価値をつけたい」
そんな白鳥さんの想いを乗せて、シードル東京進出プロジェクトが始まりました。
応援隊、伊那支部結成
同じころ、東京都内で都会に住んでいても地方の商品・サービス作りに関わりたい人々を対象にした商品開発プロジェクトが立ち上がりました。食品メーカー勤務の個人や、こだわりの食料品を扱う小売店店主、食品卸業の経営者をはじめクリエイター、メディア関係者、行政職員まで幅広い参加者が集いました。
「食品関係の仕事をしていても、会社では売上重視の活動になりがちです。作る人、食べる人の顔が見えない状況で販売することに迷いがある。自信をもって勧められるものは、作り手のストーリーがあるものです。そのストーリーや人の想いを商品とともに届ける取組みをしたい。」
「子どもに対して、どんな人が作っているかを話してあげたい。」
「消費者として、スーパーなどで選ぶ基準は、新鮮かどうかと値段。良くて生産地くらい。情報の選択肢が少なくて無機質な感じがする。もっと温かい情報や関係を手に入れたい。」
参加する動機は人それぞれですが、共通するのは「生産者と関わりたい」という思い。直接地方に足を運ぼうとしても、時間がなかったり、知り合いがなかったりして難しいことも多いので、東京にいながら地方と関わる機会が求められていたのです。
伊那市から参加した齋藤さんは、プロジェクトでシードル商品企画を提案しました。第1号案件として採択され、白鳥さん応援隊東京支部が結成されました。
地方と都会がつながることで生まれる価値
プロジェクトは、東京都内での会議と伊那市で行われるフィールドワークで構成されています。主催者を中心としたプロジェクトメンバー10数名で現地まで足を運び、農園でのリンゴの摘果(栄養を集中させる実を選び、残りを摘む作業)フィールドワークを行い、農業の体験や、生産者の思いを知る機会を設けました。
そして翌月も、都内でフィールドワークに来られなかった人をまじえた報告会を開催。農園の様子や生産者の人柄を伝える映像とストーリーテリングに加え、参加者全員で商品をPRするための戦略ワークショップを行いました。その後数回にわたる会議では、前年度に作られたシードルを飲みながら、自由闊達に販売戦略(顧客ターゲット、対象エリア、規模、価格、販路開拓方法等)のアイデア出しが行われました。
東京支部の盛り上がりとアイデアの数々を、伊那市側に報告すると感覚の違いに一同驚いていました。フルボトルでのシードルの製造・販売が当然と捉えていた伊那市側に対し、東京支部ではハーフボトル以下の軽量でギフトにも喜ばれるサイズ圧倒的に人気でした。価格設定も、地元流通価格と東京支部が考える価格には大きな差がありました。
どのアイデアにも新鮮な驚きがあり、東京支部の活躍は伊那市側にとって東京というマーケットを知り、認識を改めていくための大きな役割を果たしていました。東京支部の報告を聞いた白鳥さんは、「こんなに応援してもらえる幸せな農家はいない。」と最高の笑顔で喜びを伝えてくれました。
東京支部にとってもこのプロジェクトへの参画は、大きな認識の変化をもたらしました。プロジェクト会議の参加者からは、
「今までは、生産者の温度感あるストーリーをテレビなどメディア以外で聴くことはなかった。もっと自分事として地域の生産者や農業を盛り上げたくなりました。」
「このようなプロジェクトに参加することによって、食という事業に携われる喜びを感じた。」
「自分とは全く違う発想の人たちがいて、さまざまな人材が集まった時のパワーは凄いと改めて感じた!」
など感動と興奮の声が多数上がりました。
生産者と販売者、消費者がチームになることで生まれる対等な関係。その中で実感する感謝や尊敬、思いやりと関わった地域へ対する愛着。地域を超えたファンの広がる農業の形が、ここにあります。