農業の視点から見る江戸・東京の歴史文化

内藤カボチャ
世界一の大都市・江戸の野菜不足
徳川家康が江戸に幕府を開くと、都市づくりの労働力が必要になりました。そこで関東一円から職を求めてたくさんの人々が移り住むようになり、やがて人口は100万人にまで拡張。世界有数の大都市に発展した江戸ですが、その一方でそれだけの大所帯を賄える食糧、特に新鮮野菜が不足し、深刻な課題になりました。
参勤交代制度が確立され、隔年ごとに江戸住まいをしなくてはならなくなった地方の諸大名らは、それでは困ると、野菜のタネを持った農民を国許から呼び寄せ、下屋敷(庭園や菜園として機能)で野菜を栽培するようになったのです。そしてこれらが周辺の農家に伝わり、それぞれの土地の名、あるいはゆかりの名が付いた野菜が生まれました。
新宿で実った内藤カボチャと内藤トウガラシ
たとえば「内藤カボチャ」。これは信濃国高遠藩主・内藤若狭守(ないとうわかさのかみ)が、現在の新宿御苑の下屋敷で農民に作らせていたもので、やがて内藤新宿宿場町の名物に。周辺の角筈、淀橋に産地が広がって「角筈カボチャ」「淀橋カボチャ」とも言われるようになりました。
同じく内藤家が作った「内藤トウガラシ」は畑が真っ赤に見えるほど実ったと言われ、七味唐辛子の代名詞である「薬研堀」にも使われました。
現在、超近代的な高層ビルが林立する新都心・新宿の街に、かつてはカボチャやトウガラシがたわわに実る風景が広がっていました。
その他、5代将軍・綱吉ゆかりの練馬ダイコン、8代将軍・吉宗ゆかりの小松菜など、江戸で作られた野菜は、多彩で興味深いストーリーを持っており、一つ一つがとても個性的です。
種屋街道で買う野菜のタネが江戸みやげ
また、江戸城の北を通る旧中山道(現在の北区・豊島区・練馬区・板橋区辺り)は「種屋街道」とも呼ばれ、野菜のタネを売る出店が立ち並んでいました。参勤交代の大名やその家来、江戸に遊びに来た旅人たちがそこで「江戸みやげ」として野菜のタネを買い、地元に持ち帰って、その地域の伝統野菜に育て上げるということもありました。このタネ屋街道での営業は大正時代まで続き、タネを売る問屋は商売繁盛したそうです。
大都市・江戸は、こうして日本の食文化を豊かに育み、その伝統野菜は明治以降の東京にも引き継がれたのです。
江戸東京野菜の復活劇

寺島ナス
子供たちが復活させた伝統野菜
1970年代以降、生産性の高い一代雑種(交配種、F1品種)が開発され、流通に乗るようになりました。すると非効率な東京の伝統野菜は作られなくなり、相次いで市場から姿を消していきました。それが復活する大きなきっかけを作ったのは、子供たちです。
2005年に食育基本法が施行されると、食育に携わる人たちが、地域の歴史や食文化と一体となった伝統野菜に注目。農家の協力のもとに都内各地の小学校で栽培実習を採り入れるようになり、子供たちが伝統野菜を育て始めたのです。
食育活動とともに
2008年に品川カブ(品川区)、2009年に寺島ナス(墨田区)、2010年に砂村三寸ニンジン、砂村一本ネギ(江東区)、2011年に青茎三河島菜(荒川区)が、各区の小学校で次々に復活。それを受けて、2011年にはJA東京中央会がこれらの伝統野菜の総称として「江戸東京野菜」という名を使うことを決定しました。
その後も八王子市の小中学校などで積極的な取り組みが行われ、この食育活動は都内全域に広がっています。
物語という付加価値を楽しめる食材
この10年の間の復活劇で人々に知られるようになった江戸東京野菜は、料理とともに滋味あふれる歴史情報、食に対する人々の思い・物語を楽しめる付加価値の高い食材です。そうした認識から都内各地域の料理店、都心の一流店・有名店などから「ぜひ仕入れたい」という需要が年々高まっています。
また、メディアや食関係のイベントでもクローズアップされる機会が急増しており、特に五輪関連の催しなどで紹介されることもしばしば。日本全国、また海外からのビジターへの「おもてなし食材」「東京の味」としての役割も担う存在になっています。
そして、オリンピック・パラリンピックをまた新たなスタートにして広く普及させていきたいと、生産・流通に関わる人たちの希望は大きく膨らんでいます。
街づくり・地域づくりの大きな活力源に
オリンピック・パラリンピックという世界的大イベントを控えて盛り上がる東京では、この街にいるからこそ、あるいはこの街を訪れたからこそ楽しめる江戸東京野菜が注目され、復活の兆しを見せ始めています。
しかし、これは東京のみならず、他の地域の伝統野菜も同じことができるのではないでしょうか。その地域ならではの歴史と伝統を持ち、命を循環させていく伝統野菜を掘り起こし、活用していくことが、これからの街づくり・地域づくりの大きな活力源になっていくでしょう。
参考資料:江戸東京野菜・物語篇(大竹道茂・著/農文研)