きっかけは1泊2日の漁師学校。師匠との運命の出会い
Q.漁師になったきっかけは?
高校の頃からなんとなく一次産業に興味があって。大学の4年間は、寿司屋でアルバイトをしていました。周囲に合わせるようになんとなく就活をして働きはじめたんですけど、長い人生を考えたときに「やっぱちゃうな」と。会社を1ヶ月で辞めて、ずっと興味があった漁師の仕事を探しはじめたのがきっかけです。
Q.漁師の仕事探し。どんなことをした?
漁師の仕事について何もわからなかったので、まずはインターネットで「漁師」について検索しまくりました。漁業就業フェアに参加したり、高知のマグロ漁船に話を聞きに行ったりもしたんですけど、ピンと来るものがなくて。そこからまたネットでいろいろ探していたら「フィッシャーマン・ジャパン」という団体を見つけました。
このサイトがめちゃくちゃかっこよくて、やっていることも新しくて、漁業のイメージががらりと変わりました。この人たちがサポートしている地域で漁師をやりたいと思って問い合わせをしたら、1泊2日の漁師学校があるので来てみないかと言われて。そのときに講師を務めたのが、現在の親方の佐藤さんです。
佐藤さんは、銀鮭、ホタテ、ホヤ、牡蠣と1年を通していろんな養殖物を手がけていて、経営の仕方とかもすごく勉強になるなと。人柄にも惹かれて、「この人しかおらん!」と、漁師学校の翌日に弟子入りを志願しました。
✔ 受け入れ体制を調べる
就業先を決める際、求人内容だけで決めるのではなく、何かあったときに頼れる人がいるか、地域として新人漁師の育成や定着に力を入れているかも調べてみましょう。
<三浦さんの場合>
・水産業をかっこよくて、稼げて、革新的な「新3K」にすることを活動理念に掲げる漁業団体「フィッシャーマン・ジャパン」が受け入れを担当。漁師を志す仲間がたくさんいる環境で就業ができました。現在も、勉強会や販路開拓などさまざまなサポートを受けています。
・団体が拠点を置く石巻市では新人漁師への支援事業があり、小型船舶免許などの資格取得や独立後の漁具、漁船購入の経費の一部助成などを受けることができました。
Q.転職までにかかった期間と、移住に必要だったものは?
会社を退職したのが4月末。そこから情報収集をはじめて、7月に漁師学校に参加して、8月から佐藤さんのもとで働きはじめたので、実質4ヶ月くらいはいろいろ情報収集や準備をしていた感じです。就業する浜の近くにある新人漁師のシェアハウスに引っ越しました。
引っ越すにあたって言われたのが、「車は必須」ということです。とにかく何をするにも車が必要な場所なので、友人から格安で軽自動車を買って、その車に荷物を積みこんで。ちなみに今の愛車は軽トラです。海産物や漁具を運んだりすることが多いので、今の生活に軽トラは手放せません!
✔ 移住サポートを調べる
移住前に、町のお試し移住制度や住まいの斡旋、移住支援金の有無など使えるものがないか調べて、上手に利用しましょう。
<三浦さんの場合>
石巻市が運営している新人漁師専用シェアハウスを利用しました。引っ越しの敷金、家電製品の購入などがなく、費用が安く済みました。
Q.漁師の働く時間、お休みは?
基本は夜明けから作業開始です。業者さんへの海産物の引き渡しや、受け取りの時間から逆算して仕事の予定を組むので、繁忙期は深夜から作業する日もあります。だらだら働くことはないので、暑い夏の日はお昼前に仕事を終わらせることもあります。仕事の内容は天候に左右されるので、荒天日はお休みが多いです。
親方は多種目の養殖を行っているので、他の養殖漁師よりも繁忙期・閑散期の差はありません。銀鮭が終わる8〜9月、銀鮭の餌やりのみとなる1〜2月は比較的時間ができるので、地元に帰ったり旅行に行ったりしています。
僕は仕事も好きですが、仕事以外の時間も大切にしたいと思っています。これから経験や勉強を積んで、より効率的に稼げるようになり、今よりもワークライフバランスのとれる漁師になりたいと思っています。
Q.親方との関係は?
そもそも人を雇うつもりがなかったそうなんですけど、僕のことを受け入れてくれて、独立に関しても応援してくれています。漁業のこともそうですし、経営者として必要な考えなんかも教えてもらっています。漁師としても尊敬していますし、なんでも相談できる「石巻のパパ」みたいな存在です。目標だった漁業権も取得して、これからは自分の牡蠣養殖もはじまりますが、引き続き親方のもとでの仕事も続けていくつもりです。今は弟弟子もいるので、3人で賑やかにやっています。
漁業権の取得に大切なこと。そして気になる初期費用
Q.移住した場所はどんな場所?
僕の住んでいる石巻市雄勝町は、町の面積の8割が山。目に入る景色は山か海なので、とにかく目に優しいです(笑)。震災前は約4,000人住んでいたそうですが、今は人口1,000人くらい。地域の担い手不足や高齢化も進んでいて、僕がここに来る前、当時48歳だった親方の佐藤さんが浜で一番若い漁師でした。
佐藤さんに最初に言われたのが、「会う人みんなに元気よく挨拶をしなさい」ということです。当たり前のことだけど、僕のような「よそ者」なら、なおさら大切だと思います。最初は警戒されていたところもあったのですが、若い人が少ない町なので、今では何をするにも気にかけて声をかけてもらっています。ちなみに漁村に移り住んで一番びっくりしたのが、とにかく雑談が多いこと。車で通りかかっただけなのに、わざわざ車を止めておしゃべりがはじまるんです(笑)。
Q.漁業権を取得するために必要だったことは?
漁業権を取得するためには、漁協の組合員になることが必要です。漁師の代表が集まって審査にかけられるのですが、そのときに大事なのが「就業している浜の理解を得ているか」ということです。ちゃんとやっていけるか、トラブルを起こす人間ではないか、とあれこれ心配の声もあがりますが、最後に後押しとなるのが浜の声。普段から一緒に働いたり、暮らしている人たちが、漁師として、浜の一員として認めているということが決め手になるそうです。
僕のようによそからやってきた人間が認められるためには、その浜に住所を有しているということも大切です。ところが、漁村部は賃貸もなければ、震災後は住める土地も限られています。僕の場合、運良く災害公営住宅の空きが出たのでそこに入居することができました。浜に住所を置き、腰を据えたというのも認めてもらえた一因になったと思います。
就業から1年半で漁協の組合員に認められ、5年目となる2021年から正式に養殖ができるようになりました。漁師歴5年の僕が、いち漁師としてスタートラインに立てたのも、周囲の理解があったからこそ。その思いにこれからきちんと応えていきたいと思っています。
Q.養殖物はどうやって決めた?初期費用は?
自分が好きな海産物であり、初期投資が少なくて済むという理由で牡蠣を選びました。漁具や船外機船のエンジンの購入、漁協への支払いなど合わせて、ざっと300万円くらいでしょうか。
そのうち漁業をする上で新たに買い揃えたものは、石巻市の新人漁師への補助事業を使って、50万円ほど助成してもらいました。まだ養殖に使う船を購入していないので、安く済んでいるほうだと思います。今、中古船を探しているところですが、しばらくは親方の船を使わせてもらう予定です。
✔ 貯金をする
✔ 新人漁師の支援事業を活用する
船や漁具は高額。自分で漁業をやりたいと思っている人は、初期投資に備えて貯蓄をしましょう。自治体によっては漁具の購入や漁船のリースにあたって、一部助成などを行っている場合があります。
<三浦さんの場合>
将来の独立を見据え、親方が毎月の給与から5万円を積み立てしてくれていました。ほかにも地域の漁業バイトや、寝る間を惜しんで飲食店でアルバイトをしたこともあります。
夢の漁師への第一歩。そして次のステージへ
Q.漁師の仕事の大変さと、楽しさは?
大変だなと思うのは、やっぱり自然相手の仕事というところ。例えば、その日にやらなければいけない仕事があったとして、天候が悪くて海が荒れていたら大変だし、売り上げや作業効率にも直結します。それから養殖は漁船漁業のように場所を変えるということができないので、生育の仕方や付着物など、自然の力の影響が大きいです。
工場で何か作るみたいに安定して生産するのが難しいんです。逆に養殖の仕方に正解はないので、自分で思考錯誤しながら作れるのはおもしろいし、家族や友人に自分が育てたものを「おいしい」と喜んで食べてもらえるのはやっぱり嬉しいですね。
Q.漁師の仕事は稼げる?
正直まだ稼ぎは多いとは言えません。同世代の友達のほうが、もっと稼いでいるかも……。でも、ようやく自分で水揚げができるようになるので、これからやり方次第で十分稼げると思っています。がんばります!
Q.これからの目標は?
水揚げ規模を増やしていくことはもちろんですが、消費者に直接海産物を届けるということをしていけたらいいなと。これまでも、フィッシャーマン・ジャパンと一緒にイベントをしたり、加工会社さんに商品化してもらったりと、いろんな挑戦をしてきたのですが、一番印象に残っているのが、2019年に行ったクラウドファンディングです。個人の方と顔が見える取り引きができたのは良い経験になったし、金額やコメントなど目に見える形で応援してもらっているのがわかって、純粋に嬉しくて。頑張らなくちゃと思いました。これからも良い海産物を作って、みんなに喜んでもらう。それをお互いの顔が見える形でできたらいいなと思っています。
応援してくれる仲間をつくる。それが漁師になる近道
素直で明るい人柄や、漁業に対するひたむきな姿勢が高く評価されている三浦さんは、石巻市雄勝町にとっては初めて他県から来て漁業権を取得した若者になります。どこにも事例がない中で認めてもらった背景には、本人の努力もさることながら、受け入れやサポートを行った団体、漁協職員、そして「何かあったら責任をとる」と腹をくくって受け入れた親方の存在が欠かせません。「よそ者」から地域の漁業を支える「担い手」に。彼らが作る新しい水産業の未来は、もっと自由で、カラフルなものになるかもしれません。
関連サイト:TRITON JOB「海からはじまる物語」