「私、漁師になりたいかも…」。海の仕事への目覚め
Q.漁師になろうと思ったきっかけは?
生まれも育ちも横浜なので、桜木町やみなとみらいといった海側で遊ぶことが多く、海が好きというのは昔から変わりませんでした。漁師になる一番のきっかけとなったのが、大学2年生のときに岩手県陸前高田市の町づくりプロジェクトに参加したことです。学生が月に1度現地に通い、町づくりプランを構築して発表するというものでした。私が担当した地区は牡蠣養殖が盛んな地域。そこではじめて、海で働く人たちに出会い、姿そのものに惹かれました。
それまで食べるものは購入することでしか得られないことへの違和感をずっと抱いていました。だから生産している人たちに対する憧れもあったし、純粋に漁師たちをかっこいいと思ったんです。当時はまだ震災の記憶も傷跡も生々しくて、「海が好き」ということを口に出すことが憚れる時期でもありました。でも漁師たちは「海が好き。だからこの仕事をしてる」って堂々と言うんです。その潔さがとにかくかっこよかった。彼らと関わっていくうちに「この人たちと同じ景色を見ていたい」。そう思うようになりました。
Q.漁師の仕事探し。どんなことをした?
当時は若い移住者で漁師になったという人が身近にいなくて、右も左もわからない状態。とりあえず陸前高田での半年間のプロジェクトに2回参加して、ワカメや牡蠣養殖の手伝いをさせてもらい、卒業後は陸前高田の地域おこし協力隊になりました。街のことを発信する仕事だったんですけど、もともと文章を書くのが好きだったし、現地にいないとできないこともあると思って。週に5日地域おこし協力隊の仕事をして、休みの日には漁師のもとに通い、やりたい漁業の種類や働き方を模索しはじめました。
とにかくいろんなことを経験してみようと、漁師から漁師を紹介してもらって、他の地域にも足繁く通いました。養殖、刺し網、定置網。いろんな魚種漁法を体験するなかで、「気仙沼におもしろい定置網の船があるよ」と今の就業先の船を教えてもらったんです。
Q.就業先はどうやって決めた?
紹介された船は、外からやって来た人も分け隔てなく受け入れ、育てている気概のある船でした。初めて乗船したときにまず衝撃的だったのが、船の上にゴミ箱があることです。実は、他の地域の定置網に乗ったときに、平然と海にゴミを捨てる姿を見てしまって、すごくショックを受けて……。みんながそうじゃないと思いつつも、定置網に対する偏見ができてしまっていたんです。船の上にはゴミ箱もあるし、小さな魚はできるだけ逃がそうとする。そういう海に対する姿勢が素敵だなと思いました。ちゃんと海を大切にしたり、先のことを考えたり。尊敬できる人たちと一緒に働きたいと思ったのが決め手となって、陸前高田での地域おこし協力隊の任期を終えた後、気仙沼へ移住しました。
女性が漁師として働くために必要なこと
Q.漁師になることに関して、家族の反応は?
陸前高田で海の仕事を手伝っているということは両親も知っていましたが、「漁師になりたい」と面と向かって相談したことはなかったように思います。実家から届く荷物にいつも手紙が入っていて、「あなたの人生だから思うようにやりなさい」と書いてあるんですけど、その最後には「でも漁師だけは辞めてね」と(笑)。危ない仕事だし、親としては反対しますよね。私もめげずに海産物を送り続け、あるときから、実家からの荷物の中にバンソーコや栄養剤が入ってくるようになったんです。漁師だからどうこうというより、やりたいことに向かって頑張っている自分のことを応援してくれています。
Q.仕事探しの苦労はある?
漁業に信仰心はつきもの。船に女の人を乗せたら漁が少なくなるとか、そういう理由で立ち入れないこともあります。カツオ船とかサンマ船も興味があったんですけど、岸壁につけてある船にすら乗せてもらうことができませんでした。でも信仰心以外のところで「女性はダメ」と否定されたことはあまりなかったと思います。むしろ通年を通して雇用が難しかったり、それぞれの事情で断られるほうが多かったです。
Q.働きやすい環境をつくるために心がけていくことは?
「女性だから」と気にしすぎないのが一番です。海の仕事は確かに女性が少ないし、立場的に弱いこともあるかもしれません。でも一人の人間としてできることはたくさんあります。自分がそういうスタンスでいれば、周囲も気にせずに接してくれるし、それが働きやすさに繋がると思います。あと、本当に嫌だと思ったことは正直に伝えるようにしています。
日進月歩。漁師の仕事にゴールはない!
Q.実際に働いてみて、漁師の仕事はどうですか?
自分が思っていた以上に、海の仕事は危険と隣り合わせ。下手したら死んでしまうこともあるし、大怪我をすることもあります。仲間に怪我をさせてしまうかもしれないというプレッシャーもあるので、毎日責任を感じながら仕事をしています。
最初の頃は、身体的な疲労よりも、精神的にすり減ってしまうことがありました。思い描いていた漁師の仕事とのギャップというか……。漁師とは、毎日たくさんの魚を殺し続ける仕事です。かわいそうということではなくて、複雑な気持ちになりました。そこで、逆に何かを育てるとか、何かを生かすとかそういうことに力を注ぎたいと思うようになって。夏場は家の前の畑で野菜を育てたりしているんですけど、気持ちのバランスを取ることが自分にとっては大事なことだと思っています。
Q.仕事のスケジュールは? 収入はどれくらい?
定置網の漁場までは船で15分ほど。漁場についたら網を起こして、生かして出す魚を分けて、獲れた魚を生簀やタンクに入れるという作業を2回やります。市場に向かう間、その日獲れた魚を捌いて刺身をつくったり、あら汁を作ります。市場についたら水揚げや選別をして、終わったら朝ごはん食べながら帰港する、というのが1日の流れです。
乗組員の中には、個人で漁業を行える権利を持っている人もいるので、空いた時間で自分の漁をやったり、違う仕事をしている人もいます。私も余裕があるときは、ライターの仕事をしているんですけど、漁師の仕事と時間の融通が効く仕事の掛け合わせができたらおもしろいんじゃないかなと思うんです。
漁期期間中は日当です。役職についたり、スキルアップに合わせて給与アップしていきます。20代1人暮らしの身としては十分やっていけるくらいもらっていますし、今働いているところは会社になっているので、社会保険や家賃補助など助かっている部分もたくさんあります。
Q.仕事のやりがいと今後の目標は?
今までもらうことのほうが多かったので、自分で獲った魚を実家に送るとか、それまでもらってきた人にお裾分けするとか、そんな小さな範囲ですけど、「おいしいね」って喜んでもらえるのが一番のやりがいになっています。今後の目標は、シンプルにちゃんと仕事で返せるようになりたいです。自分がここで働くにあたって、色んな人がお世話をしてくれたので。みんな言わないですけど、これまで女性を受け入れたことがない中で、大変だったこともたくさんあると思います。その恩に対して、ちゃんと仕事で応えられるようになりたいと思っています。
力強くしなやかに。漁師として生きていく
華奢な体を目一杯使いながら、山崎さんは今日も海で仕事をします。決して腕っ節が強いわけでも、体力に自信があるわけでもありません。それでも、どうしてこの仕事をしているのか問われればいたずらっぽく微笑んでこう答えます。「海が好き。だからこの仕事をしてる」。
いつの日か、自分の名前で一から十までやってみたい。そんなことを夢見ながら、生きることと向き合う日々は、これからも続いていきます。
関連サイト:TRITON JOB「100年後のフィッシャーマンへのメッセージ」