おいしさ以外の軸でコメの魅力を提案
稲村さんが就農したのは2019年の秋、父親の病死がきっかけでした。
水田がある静岡県沼津市大平地区は肥沃(ひよく)な土壌に恵まれ、かつて桑畑だった一帯を約100年前に水田に整えて以来、コメ作りが盛んに行われてきました。稲村さんの父も先祖の農地を受け継いで30年以上、専業コメ農家として実績を積み上げてきました。その父が突然他界したことで、社会福祉士として会社勤めをしていた稲村さんは、思いがけず人生の方向転換を迫られることに。経営面積をそれまでの半分以下に縮小し、5ヘクタールの水田を兼業農家として引き継ぐ道を選びました。
コメの消費量が年々減っている中で、コメ作りという負荷の大きい仕事にどう向き合っていくのか。お米が今の世の中でどう必要とされて、どんな価値を提供できるのだろうか……。「面白い、楽しい」だけでは続かないからこそ、モチベーションの保ち方を模索し続けていると稲村さんは話します。
先代は「どちらかといえば職人かたぎ」で、採れたコメはほぼ全量をJAに出荷していましたが、稲村さんは「イナムライス」という屋号を立て、ロゴやパッケージデザイン、ホームページを整えてオンライン販売を開始。「時間や人手が限られているので栽培面積は増やせない。ならば少しでも単価を上げようと、直接販売のECサイトを立ち上げました。
求めていたのは、それだけではないようです。「栽培しているだけだと、自宅と圃場の往復になりがちですよね。でも、こうして直販をしていると予期せぬ出会いやご縁がある。そこに面白さを感じています」
県東部地区の若手生産者コミュニティでの活動がきっかけとなり、環境のため、そしてイナムライスというブランドの価値を高めるために、エコファーマー認証も取得しました。「農作業は好きです」と前置きしつつも、販売やブランド作りに視野を広げたことで、プラスアルファの楽しさややりがいを見いだしたと稲村さんは言います。
コンセプトに掲げているのは「お米のある暮らしをもっとおもしろく」。「日本のお米ってものすごくレベルが高いですよね。みんなお米はおいしいと知っているのに、消費量は減っている。だとしたら、おいしさ以外の軸でもっと提案していく余地があるように思います。人と人とがつながる場所にお米がある、そんなイメージで展開していきたいと考えています」
農家=栽培、JA=販売の分業ではスケールしない
現在、稲村さんが栽培しているのは、主にコシヒカリときぬむすめ。きぬむすめはJAふじ伊豆のプレミアムブランド米「するがの極」としても出荷しています。きぬむすめの一等米で、食味値の高い合格基準を設けた「するがの極」は、2017年からブランド化したお米で、稲村さんの父を含む大平地区の農家5人から栽培が始まりました。2022年度時点で84人いる生産者のうち、稲村さんは3番目に多い出荷量を誇っています。
そんな、稲村さんにとって特別な存在でもある「するがの極」ですが、ブランドとしての行き詰まりを感じていたと言います。
「全体の生産量は増えているし品質も高いのに、知名度が伴っていない。聞いたことがあるけど食べたことはないという人も多く、PRがあまりうまくいっていないんじゃないかと、一生産者として歯がゆく感じていたのが正直なところです。農家は作ることに専念し、売るのはJAに任せればいいという考え方もありますが、それだけではこの先スケールしない。もっと販売量を増やし、単価も上げるつもりでやっていかないと、現状維持すら難しいと思っています。生産者とJA、行政が一丸となってブランド戦略を考えていけたらいいなと」
何か面白いことがやれないだろうか。2022年の秋頃にはコロナがひと段落して、新米のPRも大々的にできるんじゃないか……。そんなことを漠然と考えながらトラクターで田んぼを耕している時、ふと思いついたそうです。
「飲食店とコラボしたら面白いかも!」
翌日、営農担当者に話をすると、企画書を書いてみるよう勧められました。一週間後には、①企画の目的と概要、②提案理由と背景、③ターゲット、④成果と目標、⑤参加店側のメリット、⑥企画に要する費用、⑦SNSとの連動、⑧スケジュール等をまとめた8ページの企画書を作成し、JAに提出しました。
開催時期は11月を想定。すでに5月に入り、タイトなスケジュールではありましたが、翌年ではなく、何としてもこの年にやりたかったという稲村さん。「先の状況が見えないからこそ、1年後ではなく、今できることをやりませんかと、暑苦しくプレゼンしました(笑)」
農家からJAに企画を持ち込まれたことはなかった。だからこそ、この提案を形にしたいと思った
担当の営農アドバイザーから企画書を受け取ったのは、JAふじ伊豆なんすん営農経済センター地区営農課の榎本朋介(えのもと・ともゆき)さん。「農家さんから企画を持ち込まれたのは初めてですね。JAとしては、生産者からの意見や要望を反映させるという責務があります。これからのPRにも課題を感じていたので、この企画を何とか形にしたいと思いました。準備期間は限られていましたが、足で稼げば絶対やれるだろうと」
実施計画や予算は、7月に行われたブランド米推進協議会の総会で無事承認。一方、生産地が4市町にまたがるブランド米のため、行政や商工会等、関係機関との調整に思いの外、時間がかかったと榎本さんは振り返ります。
稲村さんの企画書をベースに目的や効果を説明する際には、費用対効果を数字で示すよう求められる場面もありましたが、「初めての試みだったので、効果を計る物差しすらありません。初年度はトライアルとして実施し、単発のイベントではなく来年度以降の継続に向けて効果を見極めていくことで了承を得ました」
榎本さんの奔走が実を結び、稲村さんのもとに開催決定の連絡が届いたのは8月後半。初めて参加した企画会議には、バンダイナムコフィルムワークスが手掛ける、沼津市を舞台とした人気アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の担当者も参加していました。
「ラブライブ!サンシャイン!!」とはこれまでも、西浦みかんやぬまづ茶のPRでコラボをしてきました。『ラブライブ!』シリーズの公式Twitterはフォロワー数110万人と、圧倒的な発信力を持っています。沼津に愛着のあるファンの方も多く、なにより地域への愛情をもって関わってくださる作品、プロジェクトだという信頼があったので、今回も協力をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました」(榎本さん)
9月末から約1カ月かけて参加飲食店を募集。結果、4市町から56店舗の参加が決まりました。各店舗には「するがの極」5キロを提供。お店を訪れたお客さんは、「するがの極」を使った料理を注文し、QRコードからアンケートに回答すると「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボしたオリジナルポストカードがもらえます。また、JAふじ伊豆をTwitterでフォローし、注文したメニューの写真を投稿すると、抽選で50名に「するがの極」5キロが当たるという企画も用意しました。
「するがの極」の供給量、生産者も増加!! 20万人規模の開催に向けて、JAと一緒に汗をかきたい
いよいよフェスが幕を開けると、11月18日~12月4日の約2週間で、県内外から1100人が参加(来店アンケートの回答数のみ集計)。「ラブライブ!サンシャイン!!」オリジナルパッケージの3合米は、参加店舗やECサイト、ファーマーズマーケット、地域の小売店を通じて3800個も販売されました。「ラブライブ」のYouTubeライブ配信では、アイドルグループ「Aqours」のメンバーが、配信中に「するがの極」を炊いてその場で食べるというサプライズもあり、大いに盛り上がりました。
飲食店のメニューに使用された「するがの極」の供給量も、期間中だけで5トンを記録。「おそらく昨年度のWebを交えた新米のPRイベントの中で、「するがの極」は全国屈指の盛り上がりだったのではないでしょうか」と稲村さん。多くのお客さんでにぎわった飲食店はもちろん、準備に駆け回ったJAの職員からもやってよかったという反応が多く、飲食店からも「また来年も参加したい」「地産地消を応援したい」というメッセージが寄せられたといいます。
また昨年84名だった生産者が、今年度は12名増えて96名に。「令和8年までに生産量400トンを目標に掲げています。ハードルの高い目標値であると言われてきましたが、今のところ順調なペースです」と榎本さんも確かな手応えを感じています。
「今後はPRに生産者も関わっていけたらもっともっと面白くなる」と稲村さん。「僕もアイデアを出しているだけでなく、JAの方たちと一緒に汗をかきたい。提出した企画書には、参加店舗500店、20万人規模のイベントにすると書いているんです。そこに向けて、もっとできることがあるような気がしています」
早速、今年度の実施に向けて、地元産の素材で作ったごはんのお供と「するがの極」をセットにした持ち帰り商品の販売を提案しています。
「お米は必ずしも主役にはならないかもしれないけれど、いろんな人・もの・世界とコラボできるアイテムだと思っています」。人がつながる場を面白くする「万能調味料」としてのお米の可能性を、稲村さんはこれからも考え続けていきます。