評価される一方で非効率な傾斜地での農業
「傾斜地での農業ってめちゃめちゃ非効率なんですよ。でもこれが日本の農業の原点なんじゃないかと言われていて、それでここの傾斜地農耕システムは世界農業遺産になったみたいです」
斜面に広がる雑穀の畑を見上げながらそう話すのは、磯貝一幸(いそがい・かずゆき)さん。徳島県西部の美馬郡つるぎ町で何百年も続く農家の後継ぎだ。2020年まで自動車関連部品のメーカーに勤めていたが、今は父の勝幸(かつゆき)さん、母のハマ子さんと共に先祖代々の畑を耕している。主な栽培品目は雑穀だ。
磯貝農園があるのは、つるぎ町の傾斜のきつい山間部にある三木枋(みきどち)集落。「小学校までは徒歩で片道4キロ、中学校は遠すぎて家から通えず寮生活だった」と磯貝さんが言うように、もともと不便な地域だ。集落の入り口でたくさんの家と住人の名が書かれた地図看板を見かけたが、磯貝さんによると「今は三木枋で人が住んでいるのは3軒だけ」だそう。いわゆる“限界集落”だ。
この三木枋集落の歴史は古く、400年以上前から人々はここで暮らしてきた。磯貝さんの家はその中でも最も古いとのこと。「先祖は神奈川の三浦半島にいた三浦家」と言いながら、ハマ子さんが先祖代々の名が書かれた過去帳を見せてくれた。
三木枋集落も含め、「にし阿波」と呼ばれる徳島県西部の美馬市・三好市・美馬郡つるぎ町・三好郡東みよし町の山間地で何百年も人々が営んできた農法は「にし阿波の傾斜地農耕システム」として世界農業遺産に認定されている。この農法によって人と自然との調和が保たれ、生物多様性や美しい農村の景観が守られているという点が評価され、認定に至った。
しかし、雑穀栽培をはじめとしたこの地域の農業には世界農業遺産というブランドだけでは乗り越えられない問題が山積している。
換金作物はずっと葉タバコ。自家消費用だった雑穀
この地では水田を作るのが難しく、昔から人々はやせた土地でも育てられる雑穀を主食としてきた。にし阿波には今でも雑穀の食文化が色濃く残っている。
傾斜地のままの畑でアワ・キビ・ヒエなどのイネ科の雑穀を、ソバや大麦と合わせて3毛作できる。それを可能にしたのが、「にし阿波の傾斜地農耕システム」でも評価された、独特の土づくりの方法だった。斜面に「カヤ」と呼ばれるススキやチガヤを細かくしたものを敷き込むことで土壌流出を防止し、さらにカヤを土にすき込むことで栄養分を補給する方法だ。
しかし、雑穀はあくまで自家消費用。にし阿波で昔から換金作物として栽培されてきたのは、「阿波葉」と呼ばれる葉タバコだ。さらに明治の末期、国によるタバコの専売化に伴い、現金収入の柱は葉タバコになっていった。
葉タバコの栽培をしていたころの畑のローテーションはこうだ。5月に葉タバコの苗を植え、8月のお盆のころに収穫。次はソバを植えて11月に収穫する。その後に大麦をまき、収穫は5月の末だ。葉タバコの植え付けが5月なので、一部栽培期間が重なるが……。
「収穫前の大麦の間に葉タバコの苗を手植えしていくんです。大麦の収穫の時にはまだタバコは小さいので、邪魔にならない。すべて手作業だからできることです」(磯貝さん)
長く地域の主力作物だった葉タバコだが、世間の物価上昇の中でもその買い取りの金額はあまり上がらなかった。「葉タバコの作業は栽培だけでなく、育苗から葉の乾燥まで一年中家族総出でやるのに、買い取り価格は安かった」と磯貝さんは当時を振り返る。磯貝さんが幼いころは収入を補うため、父の勝幸さんは朝に葉タバコの作業をした後、建設現場で働いていた。
その後タバコ関連産業は民営化し、徳島県内にあったJT(日本たばこ産業)の池田工場が1990年に閉鎖、JTによるタバコの買い取りは2009年を最後に打ち切られた。葉タバコ栽培をしていたころから地域外での就労が進んでいたこともあり、過疎化と高齢化の波がこの地に押し寄せた。
葉タバコから雑穀への「回帰」
葉タバコの代わりになる現金収入のため、磯貝農園ではさまざまな品目を作り、加工して生計を立てるようになった。ソバはそば米(殻を取り乾燥させて米のように扱う雑穀)に、大麦ははったい粉などに加工するなどして、地元の直売所などで販売している。今は、産直ECでネット販売もしている。しかし、ネットでよく売れるのは雑穀ではなく、ハマ子さんが昔ながらの方法で手作りするこんにゃくだという。
さらに、雑穀の伝統を守ろうと、2016年には勝幸さんと数人の仲間が中心となって「つるぎ雑穀生産販売組合」を設立。当時地元で進められていた世界農業遺産への登録を後押しする役割も果たした。
そんな中、磯貝農園は2017年の新嘗(にいなめ)祭でアワを栽培して献上する農家に選ばれた。新嘗祭とは、天皇が五穀豊穣(ほうじょう)に感謝してその年にとれた穀物を神々に供えるなどする宮中の祭祀(さいし)。勝幸さんは最初これを引き受けるかどうか迷って、当時まだ会社勤めをしていた磯貝さんに相談した。「僕は軽い気持ちで『こちらからやりたいと言ってもやらせてもらえない名誉な仕事。せっかく声をかけてもらったのだから、やったほうがいい』と言ったんです。でも、栽培だけじゃなくて畑の地鎮祭など儀式もいろいろあって、大変だった」と磯貝さんは当時を振り返る。
新嘗祭への献上をきっかけに、磯貝農園は本格的に雑穀栽培に回帰した。そして、磯貝さんは会社を辞め、ここで高齢の両親の後を継ぐべく就農。過疎が進む三木枋の状況を見て、「誰かがこの地の農業を守らなければならない」と思ったからだという。しかし、この土地の農業は手間ひまがかかり、それに見合った収入を得るのはなかなか難しいのが現実だった。
手間ひまの価値と意味
今、雑穀は「栄養価が高く健康に良い」というイメージから、スーパーフードのような位置づけで食べられることも増えた。コメに比べて割高でも、愛好家には売れる。しかし、「たとえ高値で売れるようになったとしても、ここでは手間がかかりすぎて畑の面積は増やせない」と磯貝さんは言う。
集落が過疎化したことで、鳥獣害も残った栽培農家に集中するようになり、収量にもかなりの影響が出ている。雑穀は鳥に食べられてしまうため防鳥ネットが欠かせず、面積に応じて資材費も手間も増える。
さらに、磯貝農園はほぼ無農薬で栽培しているため、草刈りの手間もあるという。今は母のハマ子さんが毎日畑に出て、丁寧に草取りをするおかげできれいな畑の状態が保たれているが、なかなか難しいことだと磯貝さんは言う。
そんな中でも、磯貝農園では昔ながらの方法で栽培を行い、加工品を作る。
そば米は、今でも徳島県内で雑炊などにしてよく食べられている伝統の保存食だ。しかし、最近ではスーパーなどで製法が違うものが安く出回っているという。
「うちのはしっかり塩ゆでしてから乾燥させるので、そば米雑炊が翌日になってもドロドロにならない。でも、安く売られているのはおそらく塩ゆでの工程がないのか、一晩おくとソバの実がドロドロになるような商品が多い。手間が全然違う」(磯貝さん)
また、昔ながらの方法の意味をハマ子さんが教えてくれた。コメや雑穀を刈った後、穂を下にして天日干しする「ハデ掛け(ハデ干し、はさ掛けなどともいう)」は、茎に残っている最後の栄養分を穂に移しておいしくするためなのだそう。
また、雑穀の脱穀も機械がなく手作業だ。作業を楽にしようと試した方法もあったが、皮から実がきれいにはがれず、歩留まりが悪くなってしまい、結局は元の手作業に戻った。
「こんなふうに作っている農作物を、大量生産で作っている農作物と同じように売ることは難しい。世界農業遺産に認定されたということは『残すべき農法だ』ということ。でも、これで収入が確保できなければ、続ける人がいなくなってしまう」と磯貝さんは危機感をあらわにした。「このままでは、にし阿波の雑穀は消えるか、ブランディングして一部の人しか食べられない超高級品になるかしかない。でも、それでは地元の人に食べてもらえなくなります。ここの雑穀は地元の人に食べ続けてもらうことに意義があるのに」
伝統をどう残すか、継承の現場では苦悩が続いている。
保全には外からの力も必要
にし阿波地域は、教育旅行をはじめとしたアグリツーリズムの盛んな地域だ。昔の農業の形が残り、日本の伝統的な風景が残っているため、外国人観光客も訪れる。磯貝農園が運営している農家民宿「そらの宿 磯貝」でも、教育旅行でやってくる子供たちを含め、多くの観光客を受け入れている。
中にはこの地への移住を検討している人もいて、その数は少なくないという。つい先日は、夫がリモートでITの仕事をしつつ、妻が農業をやるというスタイルでの移住を検討しているという40代の夫婦がやってきたそう。しかし、移住は実現しなかった。「この集落の空き家を貸してほしいという話だったんですが、持ち主が承諾しなかった」というのだ。人に貸すには先祖代々の荷物も整理しなければならない。また、住んでいなくてもたまに来て畑作業をする人もいる。「やっぱり他人には貸せない」という人が多いのだ。
継承したい人が現れても受け入れ態勢が整っていないという現実も、地域の伝統農業の継承の壁になっているようだ。
こうした地域の農業の課題について、にし阿波の傾斜地農耕システムの保全活動などを行う徳島剣山世界農業遺産推進協議会事務局の藤本将也(ふじもと・まさや)さんにも話を聞いた。藤本さんはつるぎ町役場の産業経済課職員でもある。
「にし阿波の傾斜地農耕システムは、文化的価値や景観、生物多様性といった観点からも評価が高く、まさに“世界農業遺産向き”だと言えます。しかし、世界農業遺産認定基準の中の『生計の保障』に関しては、一番弱いところです。雑穀に関しても、世界農業遺産という仕組みで保全すべきものだと思っています」
行政が力を入れているのは、6次産業化とブランディングだ。雑穀そのものとして売るのではなく、地元の飲食店で世界農業遺産で生まれた農作物を使ったり、地元の食品会社が新商品を開発したりすることで、販路の確保を考えているという。また、加工場の建設のための補助金の仕組みも創設し、農家を支援するとしている。
さらに、今後の外国人観光客の増加を見込んで、「ガストロノミーツーリズム」にも力を入れており、地域内の宿泊施設を対象に、郷土料理やビーガン向け料理の講習も行っている。ちなみにガストロノミーツーリズムとは、その土地の気候風土や伝統・歴史などによって育まれた食文化に触れることを目的とした旅行のこと。にし阿波の雑穀をはじめとした食文化の伝統が観光客に伝わる良い方法だと言えるだろう。
磯貝さんの元には各地から多くの視察が訪れるという。先日は、フランスの旅行業界の関係者がやってきた。
「これまでここに来る人は農業関係の人が多くて、『なんでこんなに非効率な農業をやっているんですか』と効率の話になることが多かった。でも、フランスの人たちは農業に特に詳しいわけではないのに、栽培方法に関する質問が多い。そして、この景観の中で農業をしているということが心に響いているようでした。ここの農業は、フランス人には刺さるのかも」と、磯貝さんは外国からの視線に新たな可能性を感じているようだった。
農業には生産性だけでは測れない価値がある。伝統は一度失われたら復活することが難しい。在来品種のタネや伝統農法の継承、地域の景観や文化を守るためには、それを担う農家の存在が欠かせない。その農家たちが報われるように、世界農業遺産の仕組みが機能することを願ってやまない。