「沖縄のバニラはすごいことになる」の一言で就農を決意
一年を通じて温暖で心地よい海風が吹く沖縄県の久米島は、白い砂浜など沖縄らしい風景が広がる島だ。冬でも日差しが強く、直射日光に弱い作物は注意が必要な土地だ。
そんな久米島のとある場所に、2棟の黒い農業用ハウスが立っている。農業生産法人、株式会社琉球ハーベスト代表の高江洲郁世さんがバニラを栽培するハウスだ。そのハウスは、大きなハウスの中にひと回り小さなハウスが建てられた二重構造。ビニールの代わりに張られた遮光ネットが、外側のハウスと内側のハウスで二重になっていた。この構造は台風対策とのこと。「(沖縄や奄美で長く停滞した)Uターン台風でも壊れなかった」という、高江洲さん自慢のハウスだ。ビニールを張らないことも台風対策になっている。ビニールで風を受けてしまうとハウスが飛ばされてしまうからだ。
ハウスの中に入ると、内側のハウスの天井の骨組みがゆがんでいた。雨の日に作業がしやすいようにと一時期ビニールを張っていたら、大雨で天井のビニールに雨がたまり、その重みでたわんでしまったのだという。
「バニラ栽培はお金がかかりますよ~。こういうのを直すお金もなくて」と高江洲さんは笑いながら言う。こうした自然災害によるさまざまなトラブルに見舞われつつも、バニラ栽培を心から楽しんでいる様子が伝わってくる。
高江洲さんはもともとアパレル関係の仕事が長く、2017年にこの久米島で就農するまで、農業とは全く縁がなかった。しかし、バニラに魅せられ、収益化するまで何年もかかるバニラ栽培を1円も補助金に頼らず始めたという。
きっかけは10年ほど前に、観光関係の仕事をしていた夫が放った「沖縄のバニラは将来すごいことになるよ」という言葉。夫は仕事を通じて感じたバニラの魅力と可能性を、高江洲さんに熱心に語ったそうだ。そんな夫の話を聞くうちに、アパレル時代に旅行で訪れた南フランスの香水工場の甘い香りの記憶とバニラの香りが結びつき、いつしか自分でもバニラについて調べるようになった。
「老後は農業をやって農産物を加工販売したいな、という漠然とした気持ちもあって、『これだ!』と思ったんです」(高江洲さん)
生活のためにラーメン店経営。二足のわらじでバニラ農家に
2017年、夫の母の実家がある久米島に移住。実家の農地が使えると思ってのことだった。しかし、親戚がその農地を使って生計を立てているのを見て、返してもらうのが忍びなくなってしまったそう。そこで町役場に相談したところ、10年以上使われていないハウスが立っていた土地を紹介され、借りることができた。しかし、その農地はかなり荒れていた。
「本当に草ぼうぼうで木も生えて、ゴミ捨て場みたいになっていたんですよ。木を切って草刈りして、ゴミを全部掘り起こして片付けるのに、夫と2人で朝から晩まで作業して3カ月以上かかりました」(高江洲さん)
そこから地面に防草シートを張り、バニラの棚を作って、2017年の7月末にやっと植え付けを始められる状態になった。
片付けと並行して、糸満市のラン農家に研修に通い、栽培技術を学んだ。さらに、バニラが収穫を迎え無事収益化できるようになるまでの生活費を稼ぐため、ラーメン店も開店した。飲食店自体は兄の店を手伝ったこともあったが、ラーメン作りは一からほかの店で修業した。今はバニラの作業が忙しい時にはラーメン店は休業している。
沖縄で初めて、バニラで有機JAS取得へ
台風はあるものの、バニラはおおむね沖縄の気候に合う作物だと高江洲さんは言う。「ここは雨も降るし、もし降らなくても畑地かんがい事業で農地に水のパイプラインが通っているので、水やりにも困らない。ただ、最近の夏はとても暑くて高温障害が出ることがあります。その時には遮光シートを三重にかけて、葉が焼けるのを防ぎます」
台風対策のためにビニールを張らなかったことにはさらなるメリットもあった。風通しが良くなったおかげで湿気の害が出ないからだ。
大変なのは授粉作業だ。バニラは簡単には受粉せず、原産地ではハチドリやオオハリナシバチが受粉を担っているが、天然での受粉率は約1%と言われている。しかし、1841年に12歳の少年がバニラの人工授粉の方法を編み出し、世界中に広がった。
日本でももちろん人の手による授粉が必要になる。バニラの花は一気には咲かないため、授粉は4月の終わりごろから6月の2週目ぐらいまで2カ月近く、毎日朝から晩まで作業が続く。ちょうど梅雨時期にもあたり、作業の時には傘も差せないため、高江洲さんは全身ずぶぬれになりながら作業をすることもあるそうだ。
授粉作業が大変な一方、バニラは非常に生命力の強い作物でほぼ放任でも育つため、無農薬栽培が可能だ。除草には大変な労力がいるが、地元の主婦2~3人に時給を支払って、手作業でやってもらっている。
化学肥料も使わず、土壌の栄養分として有機JASに対応した堆肥(たいひ)を使っている。2024年からは久米島の堆肥センターが有機JAS対応の堆肥を生産できるようになったとのことで、高江洲さんはその堆肥を使うことにしたという。
こうした取り組みから、琉球ハーベストの圃場(ほじょう)は有機JAS認証を取得、加工場も有機JAS認定を受け、加工品も有機JASマークを付けられるようになった。沖縄のバニラで有機JAS認証を取得したのは、琉球ハーベストが初めてだ。
高価なキュアリング専用機械を購入
高江洲さんがバニラの初収穫をしたのは2021年の12月。その後も毎年12月か翌年の1月の1日を決めて一気に収穫している。年々収穫量は増えており、2024年1月10日の収穫では約1万5000本が収穫できたという。
1日で一気に収穫するのには理由がある。キュアリングの機械に一気に入れるためだ。
もともとバニラのキュアリングは、天日干しでバニラの酵素を活性化させるとともにゆるやかに水分を落として乾燥させていく作業。しかし雨の多い久米島では天日での作業が難しいため、台湾の業者からキュアリングの機械を購入した。1回に100キロまでキュアリングできる優れモノだという。お値段なんと300万円。もちろん高江洲さんの自腹である。
バニラは収穫してすぐに洗浄してこの機械に入れなければ劣化してしまう。しかし、どうしても入れられなかった分は冷凍してキュアリング待ちをさせることもあるそう。その技術は今はまだ研究中だそうだ。
このキュアリングがバニラの香りを決める。生の状態のバニラは、一般に知られるバニラの香りとは違い、まだ青臭く、良い香りというわけではない。キュアリングの結果、私たちがよく知るあの甘い香りになるのだ。
高江洲さんは久米島産バニラ独自の香りを追求している。バニラが産地の気候や土壌などの特性「テロワール」に影響されるからだという。
「海外のバニラと比べ、久米島のバニラはサッパリとした甘みのある香りです。私はこの香りが大好き。繊細で高級感があって、飽きない香りだなと思います。このような違いは、このテロワールの違いがあるからこそなんです」(高江洲さん)
中年男性に人気の沖縄バニラ
琉球ハーベストのバニラは、久米島空港をはじめ島内外の土産店で販売されている。
バニラと言えばスイーツに使われるものなので、何となく女性に人気のイメージだが、高江洲さんによると「うちのバニラは40代50代の男性に人気で、リピーターも多い」という。それには理由がある。
沖縄の伝統的な酒、泡盛は熟成させて「古酒」になっていくと、独特の香りが出てくるそう。その香りの成分は「バニリン」。つまり、バニラの香り成分と同じものだという。そこで、泡盛好きの中年男性が、泡盛の新酒を古酒の風味に変えようと、バニラを買うのだ。
ちなみに、泡盛だけでなくウォッカなどほかの蒸留酒にバニラを漬け込んで、バニラエクストラクト(香りづけなどに使う抽出液)を作る人もいるそう。
このようにすでに地元で人気のバニラ。マイルドな香りの久米島のバニラは、洋菓子だけでなく和菓子にも使えるのではと、あちこちから商談の依頼が舞い込んでいるという。
今後はさらにバニラシュガーなど6次化商品の開発にも力を入れたいと語る高江洲さん。「バニラを特別なものとしてじゃなくて、もっと普段使ってほしいんです。そのためにも、もっと量産して値段も下げていきたいし、規格外品は6次化して多くの人に使えるものにしていきたい」と、商品開発にも余念がない。そうした商品に付けるためのロゴマークも自分でデザインし、ブランディングを進めようとしている。
バニラで久米島を盛り上げる!
久米島もほかの多くの地方自治体同様、人口減少の一途をたどっている。また、沖縄の観光客数がコロナ後にかなり回復している中、久米島ではまだコロナ前の水準に戻っていないという現状もある。
そんな現状を見て、高江洲さんはバニラを久米島の経済の柱にできないかと考えているが、生産者が増えないのが目下の悩みだ。「久米島の施政方針では、バニラとコーヒーが高付加価値作物として位置づけられています。ですから、もっと久米島でバニラの生産者を増やして、バニラ栽培を盛んにしていきたいんですが、なにしろ初期投資にお金がかかって、やりたくてもできないという人が多いんですよね。行政がもうちょっと後押ししてくれたら」と、生産者への支援の必要性を痛感しているという。
今後は、もっとバニラの香りなど品質を高めていきつつ、儲かる農業も目指したいという高江洲さん。バニラの圃場を観光農園として運営することや輸出への挑戦など、夢は広がっている。島では前例のない挑戦にさまざまな困難もあるというが、高江洲さんの情熱はそんなものではへこたれない。
「久米島に着くとバニラの香りがするね、と言われるようになりたい」と高江洲さんは話す。久米島のあちこちにバニラの圃場が広がれば、そんな日も実現するはずだ。