憧れの漁師生活はしんどかった
瀬戸内海の胸上(むねあげ)で操業する漁師の富永邦彦さんは大阪府出身の元会社員。2008年、美保さんの実家である玉野市で漁業を営む義父に弟子入りする形で漁師の世界へ飛び込み、翌2009年に独立し、夫婦で「邦美丸」を旗揚げしました。
空が暗いうちに船を出し、日が暮れるまで漁をするのが漁師の働き方。なぜなら、市場に出した魚の価格は振れ幅が大きく、同じ魚種が前日の半値以下になることもあるからです。買い取られた金額が翌日までわからないことへの不安がありました。「取れるときにたくさん取ろうという考えで、長時間労働になっていました」と邦彦さんは振り返ります。
水揚げ量が少ないのに収入が増える日もありました。「価格変動の波に飲まれることなく、毎日その価格で売れたら仕事が楽になるのに」。そう考えていたとき、漁業の6次産業化に奮闘し、テレビドラマ『ファーストペンギン』のモデルにもなった「船団丸」の坪内戸知佳さんの報道番組出演を見て、漁業にも直販という手段があることを知りました。
直販を始めた当初は、主に飲食店向けで個人からの注文は月に数件程度。それが、コロナ禍で潮目が変わり、家庭需要が一気に増え、今では一般消費者向けがメインになりました。
「魚を食べたお客さまから直接、『ありがとう』『おいしかった』『ごちそうさま』という言葉をもらい、それがやりがいになってもっと喜んでもらおうと考えるようになりました」と邦彦さん。心が折れかけていた漁師の仕事が一転、楽しくなってきました。
顧客の応援が原動力、「受注漁」で働き方が変わる
「あなたの専属漁師」が邦美丸のキャッチフレーズ。看板商品の「鮮魚ボックス」は、その日に水揚げした魚を詰め合わせたお任せセットで、大・中・小の3サイズ(1.5キログラム以上・税込3600円~)を用意しています。
邦美丸が魚を厳選して追わないのは、漁の時間を減らすことが主眼でしたが、それが漁師の職業だけでなく水産資源を守ることにもつながると、多くの消費者の共感を呼びました。「海なし県でも海に貢献することができるとわかった」などの言葉が、邦彦さん・美保さんの励みになり、情報発信にも一層の力が入るようになりました。
漁に出る朝は、SNSで漁港の風景を顧客に配信。取った魚は船上で神経締めをして、氷水で鮮度を保って水揚げし、お客様を思い浮かべながら箱に詰め、その日のうちに発送。邦美丸から届く鮮魚ボックスは、鮮度のよさと丁寧な梱包(こんぽう)も好評です。顧客は老若男女問わず。子どもが魚をさばいてみるため、孫に魚を振る舞うためなど、購買動機にも心が踊ります。
「注文いただくことで私たちの仕事が必要とされていると感じます。だから必要とされている命だけを届けます」と美保さんと邦彦さん。オンラインやイベントで「お魚学校」を開き、海や漁業のことを伝え、魚のさばき方を楽しくデモンストレーションするなどの食育活動にも取り組んでいます。
受注漁を漁師みんなの活路にしたい
労働時間を減らすことが主眼だった「受注漁」で意図せず売り上げもアップしました。労働時間は従来の半分になったにもかかわらず、売り上げは2倍。燃料などのコストも3割削減されました。注文もコンスタントに入るようになり、2022年には市場出荷をやめて「完全受注漁」へ移行しました。
漁獲量を減らしているので、受注した量が取れないことはない前提ですが、漁は自然が相手。取れなかったときは、同じ胸上漁港を拠点とする漁師仲間と連携して市場よりも高値で魚を分けてもらいます。
「一般的に漁師は操業時間が長いので、60代の父は『70を過ぎたら今と同じような働き方はできないだろう』と言っています。邦美丸の受注漁の仕組みを使って収入が安定すれば、先輩漁師さんの現役寿命が延びていくと思うんです」と美保さんは話します。日本の漁業就労者数が減少し、新規参入も容易ではないなかで、まず漁師の現役寿命を延ばすことは漁業の衰退を食い止める一手になります。
一方で受注漁に興味を持ち「漁師になりたい」と、邦美丸の門をたたく若手もいます。その思いに応えたいと、邦美丸は法人化するためにクラウドファンディングを行い、2024年5月30日、株式会社としてスタートを切りました。福利厚生を完備し、育成環境を整えて、同年9月に初めての社員を他県から迎えます。将来、若手が漁師として独立したとき、受注漁をその販路とすることもできます。
水産資源の枯渇、漁師が発信する意味
2023年、邦美丸の受注漁は社会課題を解決する行動として数々のビジネスコンテストに入賞し、これまでに14の賞を獲得しました。漁師の長時間操業、価格の不安定、水産資源の乱獲など、漁業を取り巻く課題解決に広く寄与する取り組みとして注目されています。
「自然と向き合って生きている漁師が、このような社会的な評価を得たことが一次産業に従事する人たちの夢や希望になればうれしいです」と邦彦さん。水産資源の枯渇が叫ばれ、特定の魚の不漁が深刻化する今、生産者が地球の変化を発信することの意味を改めて感じているそうです。
「例えば、回転寿司へ行ったらマグロとサーモン以外に3種類の魚を注文するとか」(邦彦さん)。それも海を守るためにできること。魚の種類や大小にかかわらず、生きがよくても弱っていても同じひとつの命として選別することなく漁をする「受注漁」と同じ発想です。
「今、効率よく漁ができているのは、先輩漁師さんたちが技術を磨いて伝授してくれたおかげ。その先輩漁師さんたちが自分でインターネットやスマホを使って直販するのは大変です。町単位で受注漁ができれば、日本の多くの漁師さんが救われると思います」と邦彦さん。その思いが、地元・玉野市で形になり始めています。
玉野市など瀬戸内海沿岸部では、消費者に不人気の低・未利用魚が多く、これらは漁師の収入に貢献しづらく、藻場や養殖のりへの食害が問題になっています。その代表格のクロダイ(チヌ)を食材として地域特産物を開発しようと、市観光協会を主体とする「黒鯛(クロダイ)プロジェクト」がこの春スタート。令和6年度「令和の里海づくり」モデル事業に採択されています。
「地魚を食べることは、水産資源を守り、少しでも高く売れれば漁師の収入に直結します。玉野市観光協会と一緒に成功事例をつくり、各自治体に広がるモデルにしたい」と邦彦さん。個々では産業とは呼びにくい漁業を地域で産業にしていく取り組みが、瀬戸内の港から始まっています。