田中京子さん(右)・真紀さんプロフィール
京子さんは大阪府出身。開業医であった夫と共に知覧で仕事に育児に奮闘。知覧の町に人を呼び込むために何ができるか考えた末、家族と共に薩摩英国館を開館。真紀さんは海外に強い関心を持ち、学生時代は英国に留学。語学堪能でお菓子の製造が得意なことから、薩摩英国館の開館当時から京子さんと共に活動している。 |
薩摩英国館開館のきっかけ
薩摩英国館は「紅茶を通して豊かな生活を」をコンセプトに1992年、京子さん真紀さん親子が開館しました。開館当初は英国側から見た日本を紹介する歴史資料を展示するミュージアムとイギリスの紅茶やお菓子、雑貨を販売するミュージアムショップの2つの機能を併せ持つ施設として運営。その後、紅茶好きの人々の要望によりティールームをオープンさせました。ショップで紅茶を取り扱っていると、紅茶をゆっくりと飲みたい、紅茶に合うお菓子も食べたいと要望が出てきたそうです。その声を受け、開館から2年後にはティールームも開設しました。
「紅茶を提供するのであれば、もっと紅茶のことを極めたい」。京子さんは日本紅茶協会が主催ティーインストインストラクター養成研修会に参加し、技術を磨いてきたそうです。
「当時私は56歳。日本紅茶協会からは、覚えることも多く年齢的に厳しいのではないかと一度は受講を断られました。しかし、協会の方が英国館に訪れたことがあり、おいしい紅茶を提供してほしいという思いで受講することを受け入れてくれました。毎週の受講、通算40回は上京し大変な経験をしました」と、京子さんは当時を振り返ります。
そんな学びが実を結び、紅茶協会から上質な紅茶が飲める店として認定も受けました。鹿児島県内で唯一、ティーインストラクターに認定されており、多くの来館者においしい紅茶を提供しています。
国産紅茶との出会いに衝撃が走る
ティーインストラクターとして活躍する京子さんの元に、農林水産省野菜・茶業試験場枕崎支場(現・独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構野菜茶業研究所)の担当者が訪ねてきたのが2000年のこと。1995年に品種登録された「べにふうき」を試飲してみてほしいと言われ口にすると、そのおいしさに衝撃を受けたそうです。
「世界中の紅茶を飲んできたけれど、その時に飲んだ紅茶が一番おいしいと感激しました。担当者にこのお茶を分けてほしいとお願いしましたが、栽培する農家は一人も居ないと言われ肩を落としました」と京子さん。
「べにふうき」は「べにほまれ」を種子親、「枕Cd86」を花粉親として1965年に交配された品種。紅茶用として開発されたアッサム種に近い品種であったため、香りがふくよかで渋みが強いという特性を持っています(引用:農業・食品産業技術総合研究機構)。
しかし、国内の紅茶産業の衰退も相まって、品種登録されるのに30年ほど掛かったそうです。「べにふうき」は、木が強く多収。病気にも強く比較的栽培しやすい品種。水色もよく、もちろん味もおいしいのですが、海外産の紅茶に押され、国産の紅茶が必要とされず、全国的に広がることは無かったそうです。
栽培農家がおらず、茶葉も手に入らない状況から「幻のお茶」とよばれる「べにふうき」。それでも京子さんは諦めることができず、何度も試験場に足を運び、どうにか茶葉が手に入らないか懇願したそうです。知り合いの農家へ試しに植えてほしいと声をかけるも、なかなか協力者とは出会えませんでした。「それならもう自分で植えるしかない」と決意した京子さん。100坪の畑に400本のべにふうきを植えました。品種と出会った翌2001年のことです。
「より安心安全なお茶をお届けしたいという思いで、無農薬栽培に挑戦することにしました。試験場の方に教えてもらいながら植え、その後も毎日うれしくて畑を見に行きました。3年目からは手摘みで1枚1枚茶葉を摘みました。無農薬栽培なので葉に虫が付いていることも多くありますが、手摘みなのですぐに分かりその葉は摘みません。手摘みだと、葉のサイズ感も合い茎は混じることもありません。丁寧に1枚1枚と向き合っているから、お茶の味に雑味がなくおいしいのです」(京子さん)
その後、栽培面積を増やそうと動き出しましたが、無農薬栽培をすると言うと農家に嫌がられ、なかなか畑を借りることができなかったそうです。
「当時は近隣の方から『田中さんは虫を飼う』と言われ、はじめは何のことだか分かりませんでした。大多数の農家は作物に虫が付かないように農薬をまきます。それなのに私達は無農薬栽培をすると自分達の作物にも虫が寄ってくると嫌がられました」(京子さん)
そこで畑を借りるのを諦め、山を開墾することになりました。三女の夫が北海道で酪農をしており、トラクターに乗って作業することもできたため、鹿児島に移住してもらうことになりました。現在も畑の管理をメインで担ってくれているそうです。
茶の栽培だけではなく、紅茶として振る舞うために加工場も建設しました。無農薬栽培のため、他の茶農家の工場に製造を依頼することができなかったほか、緑茶と製造過程が異なるために新たに建てる他ありませんでした。無農薬栽培・完全手摘みにこだわるが故、今でも生産量は少量です。現在の栽培面積を尋ねると正確には把握していないとのことです。山を切り開いた畑は変則的な形で面積を計上するのが難しいという理由と、茶の木を植えたいという熱意で衝動的に植えている場所もあるためだそうです。紅茶が好きという思いに駆られて動いている京子さんらしい答えです。
「国産紅茶を広めたいと思うけれど、量がないから商機を逃している。もどかしいです。だからこそ、取引先は関係がきちんと構築できた人や施設と決めています」(京子さん)
イギリスの食品コンクールで金賞受賞
そんなこだわりの紅茶が一躍有名になったのがイギリスの食品コンクール「グレート・テイスト・アワード」での金賞受賞でした。「夢ふうき」と名付けた紅茶は日本人としても、日本茶の紅茶としても初の金賞ということもあり多くのメディアに取り上げられ、問い合わせも殺到したそうです。
国産紅茶づくりの課題とこれからの展望
ここ最近の暑さで紅茶づくりもさまざまな影響が出ています。紅茶の栽培には高温で日差しがあり、降水量が多いことが条件として挙げられます。しかし異常気象ともいわれるほどの暑さのせいか、お茶の味が以前と比べると落ちているのではないかと感じることがあるそうです。味だけではなく、畑での作業が暑過ぎてできない、摘んだ後のお茶が高温多湿で品質が落ちるなどの課題も出てきています。
「お茶を管理するためだけの部屋を用意しました。常にエアコンを入れ温度管理をしているので電気代も掛かります。数年前までは、インドやスリランカのように知覧ももう少し気温が上がればもっとおいしい紅茶ができるのではないかと考えていました。しかし、近年の温暖化に加え、日本の湿度の高さにはまいっています。ただでさえ、無農薬栽培・手摘みのため生産量が少ないのに、更に暑さのせいで収量も落ちています。それだけではなく茶木の老木化や建物の老朽化など課題はさまざまです。やりがいはあるけれど、コストも掛かる。なかなかもうかりません」
京子さんはこうした課題を感じながらも、更に広めていきたいと話すのが、紅茶作りを楽しむ仲間のネットワークです。紅茶そのものはもちろん、栽培・加工する過程を楽しいと共感してくれる紅茶仲間が増えることを願っています。収量が少なくとも、ファンを獲得する手立てはあるのではないかと、紅茶作りのワークショップや合宿を開催しています。
「あと10年、何ができるかと考えています。鹿児島の観光を盛り上げるという視点からも日帰りの紅茶づくり体験などは続けていきたいと考えています」と京子さん。真紀さんも「新たにこれをやりたいというよりも、母がまいた種をしっかりと育てていくことに力を入れようと考えています」と言葉を続けます。
非農家でありながら、国産紅茶の味に惚れ込み山を開墾し、茶工場まで建設した田中さんご家族。より本物をというこだわりは訪れる人に確実に届き、お茶を愛飲し英国館を訪れるファンの獲得につながっています。インタビューの最後に京子さんが実はウーロン茶も製造してみたいと言われたことに驚きながらも、田中さんご家族の前へ前へのチャレンジ精神はこれからも続き、更なる展開が楽しみでなりません。