水稲の転作で始まったキュウリが、今すごいことに
岡山県中央部に位置する久米南町(くめなんちょう)。高齢化が進む小さな町で、耕作には不利な中山間地域にもかかわらず、新たにキュウリ栽培に取り組む生産者が増えています。その中心となっているのが、JA晴れの国岡山久米南キュウリ部会です。
現在、久米南キュウリ部会には52人が在籍。そのうち41人が直近10年で新たにキュウリ栽培を始めたメンバーであり、さらにその約3分の2が非農家出身です。
もともとは棚田だった山間の土地にキュウリの導入が進められたのは、1970年代後半から2000年代初頭にかけて。水稲の転作作物として始まりました。作型は夏秋露地栽培が9割を占め、JA晴れの国岡山全体の年間生産量588トンのうち530トンを同キュウリ部会が生産。県下の生産量の6割を担う生産者グループに成長しました(2025年4月時点)。

「正直なところ、なぜここまでキュウリに取り組む人が増えているのかよくわかりません」と語るのは、JA晴れの国岡山津山南部アグリセンター副所長で、同部会を担当する山本徳久(やまもと のりひさ)さんです。こう語る背景には、同JAが特に担い手募集のPRをしていないことがあります。それでも、他地域からの移住やUターンで就農する人の多くが、知人に勧められてキュウリを選ぶといいます。
キュウリが推奨されるのには、直近10年間でキュウリが稼げる作物になったことが大きな動機付けとなっています。その転機となったのは、20年前に久米南キュウリ部会が決断した自動選果機の導入でした。いち部会が大型選果機を導入するという前例のない決断が、地域農業の明暗を分けたといっても過言ではありません。
喧々諤々の末に自動選果機を導入
選果機を導入する以前は、キュウリの選別・箱詰めをすべて生産者が各自手作業で行っていました。早朝に収穫したキュウリを選別・箱詰めの出荷調整をして午後3時までにJA選果場へ持ち込み、夕方に再び収穫して出荷調整をする毎日。最盛期にはその作業が夜遅くまで続くことも珍しくありませんでした。
さらに10日に1度の当番制で選果場業務を担うため、体調を崩すわけにはいかず、行事や冠婚葬祭に出席する余裕もない状態で、生産者の心身に大きな負担となっていました。山本さんは「当時は作付けを勧めても、出荷作業の大変さに尻込みする人が多かった」と振り返ります。
転機が訪れたのは1996年。他の農協から譲り受けた簡易選果機の運用を始めると、「収穫だけでいいなら」と新たな参入者が現れるようになりました。既存生産者の間でも農繁期や緊急時のスポット利用が増えて共選への理解が広がる一方で、「箱詰めができて一人前」という考えも根強く、導入には生産者から強い反発もありました。

それでも簡易選果機の利用率が3割を超えると、個人での出荷調整に限界が見え、全量共選化への協議が進みました。ベテラン生産者も「若い世代のためなら」と前向きな姿勢を見せるようになり、全会一致で導入が決定したのです。
ところが、今度は行政が猛反対。県内では当時、キュウリは右肩下がりの品目だったことに加え、部会単独での導入事例がなかったことから、山本さんのもとには連日抗議の電話が入りました。そこでキュウリ部会は臨時総会に行政担当者を招き、生産者の本気度を示すと、ついに行政も納得。県の補助事業に採択され、半分の資金を部会が融資を受ける形で賄って選果機の導入へとこぎつけました。融資を受ける際、山本さんを信頼して何人もの生産者が名義人に名乗りを上げてくれたのです。
この一件が生産者の結束を生み、「次の世代に産地を渡す」という気運が高まりました。
労働環境の改善で魅力ある作物に急浮上
こうして2004年、カメラセンサー付きの自動選果機を導入し、待望の久米南選果場が整備されました。同年に隣接する鏡野地区、2018年は勝英地区が加わり、3地区のキュウリを1ロットで扱う体制が整いました。

選果作業が一元化されたことで、「安心して収穫に専念できる」「通院や昼寝の時間が取れるようになった」といった声が生産者から聞かれるようになり、現役継続の年齢を押し上げることにつながりました。また、新規参入のハードルも下がり、「作るだけならやってみたい」と新たにキュウリに取り組む人も増加。新規参入の年齢層は幅広く、30〜40代に加え、定年後を見据えた50〜60代の挑戦者もいれば、80歳で始めて87歳まで活躍した生産者もいます。
選果場を維持存続させるために、「収量を向上させて収益を上げたい」との意欲も高まりました。部会では、技術の共有や勉強会、土壌深耕機や肥料散布機などの貸し出しといった支援を行い、新規栽培1年目には支柱も無料で貸与しています。
「新規参入が増えたのは、先輩たちの伴走支援があってこそ」と山本さんは言います。ベテラン生産者が新人のトレーナーを務めて丁寧に指導するなど、部会には面倒見の良い文化が根付いているのだそうです。
生産技術の共有で反収向上、産地のこれから
「今、人が増えているのは、10年前に入ってきた若手が中堅層となり、技術を磨いて収量を上げ、キュウリで確かな収益を上げているからではないでしょうか」と山本さんは語ります。選果機を導入した当時の平均反収は6トンでしたが、現在は9トンにまで拡大。10年前に耐病性の高い品種を導入した効果もあり、若手生産者の中には技術を磨いて反収19トンという驚異的な収量を達成する人たちも現れています。
こうした生産技術は部会内で積極的に共有され、土づくりから収穫までを体系化したマニュアルも定期的に整備・更新しながら、次世代へと継承されています。市場価格の安定も追い風になり、今やキュウリは「やりがいのある作物」として地域に深く根を下ろしています。

地域の学童向けにキュウリ栽培・収穫体験などの活動もしている
生産面の未来は明るい一方で、新たな課題も浮上しています。それは、選果機の稼動限界です。現在、選果場は農福連携の取り組みを含めて運営されていますが、昨今の働き方改革によるスタッフの労働時間制限が選果能力の制約となっています。しかし、これまで多くの困難を団結力で乗り越えてきた久米南キュウリ部会。その取り組みは高く評価され、54回日本農業賞では集団組織の部で優秀賞に選ばれました。これからも中山間地域の農業を次世代につなぐ道しるべとなることでしょう。
















