養蚕の主な工程

養蚕業で絹糸を生産するためには、カイコガ科に属するガの一種である蚕(カイコ)に桑の葉を与えて飼育し、繭を作らせる必要があります。蚕の飼育においては、他の畜産業と同様に適切な温度や湿度、エサの管理、清潔な環境の保持などが必要です。
養蚕の工程は、蚕を卵から孵化(ふか)させる段階から始まります。蚕の幼虫にエサとなる桑の葉を与え、蚕座(さんざ)と呼ばれるかごのような道具で飼育します。一般的に養蚕を行う農家は、蚕の飼育と並行して桑の葉を栽培します。蚕の飼育期間を通して新鮮な桑の葉が必要となるため、桑の栽培も継続的に行います。
蚕は4度の脱皮を行う生き物で、孵化から脱皮2回までの稚蚕期(ちさんき)、脱皮4回までの壮蚕期(そうさんき)、繭を作る準備に入る熟蚕期(じゅくさんき)と段階を踏んで成長していきます。

蚕は足場となる蔟(まぶし)の中で少しずつ糸を吐き、繭を作ります。数日後に繭が完成したら、蔟から取り出す収繭(しゅうけん)を行います。収繭は、一般的な農業における収穫にあたります。
繭を茹でて蛹(さなぎ)を取り出し、乾燥させます。その後は養蚕業から製糸業の領域になり、製糸工場などで生糸を作る工程へ移っていきます。
日本養蚕業の始まりと発展

古代中国で始まった養蚕は、弥生時代に日本へ伝わったと考えられています。福岡市にある有田遺跡群では、弥生時代の遺構から青銅器などとともに絹織物が発見されました。
養蚕の歴史的背景と養蚕技術の普及
中国から伝わった養蚕が日本に根付いた背景には、日本の風土との相性の良さがあります。蚕のエサとなる桑は、日本の大半の地域で比較的管理、栽培しやすい植物です。また、農閑期を利用して養蚕作業を行うことで、農家にとって貴重な副収入になりました。
江戸時代中期には、銀の国外流出を防ぐために幕府が生糸の輸入を制限し、国産生糸の使用を奨励します。戦国時代の混乱の中で養蚕が停滞していた地域も含め、再び全国各地で養蚕が行われるようになります。
桑の栽培と地域ごとの適応
養蚕の発展とともに、冷涼な地域では耐寒性の高い品種など、その土地の気候や土壌に適した桑が開発されていきます。
全国各地で養蚕業の盛んな地域が生まれ、独特の集落を形成しました。一部は現在まで残っており、群馬県の中之条町六合赤岩、石川県の白山市白峰、山梨県の甲州市塩山下小田原上条、長野県の東御市海野宿、兵庫県の養父市大屋町大杉などは文化庁の重要伝統的建造物群保存地区となっています。
富岡製糸場と近代養蚕の基盤

世界文化遺産である富岡製糸場
明治時代に入り、養蚕にも近代化が起こります。1872(明治5)年にはフランスの先進技術を導入した官営の富岡製糸場が設立され、高品質な生糸の大量生産が始まりました。生糸の輸出により日本の養蚕業・製糸業は国際的な競争力を持ち、富岡製糸場は、近代的な養蚕技術を全国に広めるモデルとなりました。
絹製品産業と国際市場への進出
アメリカやヨーロッパ諸国へ輸出された日本製の生糸は品質の高さが評価され、明治の日本において貴重な外貨獲得源となりました。生糸の生産とともに絹織物などの関連産業も発達します。京都府の西陣や群馬県の桐生などの伝統的な絹織物の産地でも近代化が起き、技術が発展しました。
国内養蚕業の衰退とその要因

明治時代から昭和初期頃まで日本の経済を支える産業のひとつであった養蚕業は、第二次世界大戦後には急速に衰退していきます。
戦後の化学繊維と輸入絹の影響
第二次大戦後にはナイロンやポリエステルなどの化学繊維が台頭します。安価で大量生産が可能な化学繊維が世界的に普及し、高価な絹製品の需要低下をもたらしました。
安価で機能性にすぐれた化学繊維の登場により、美しさや肌触りの良さがありながらも取り扱いに一定の注意を要する絹製品は高級品、嗜好品の位置づけになります。日本国内では和装をする人も減り、正絹の着物なども需要が減少しました。
中国からの絹輸入との対峙
一方で、中国が安価な生糸の大量生産、大量輸出を始めました。価格の優位性により中国産の生糸が国際市場で優位になり、日本産の生糸は競争力を失っていきます。製糸業の縮小により、日本の養蚕農家も減少していきました。日本の近代化を支えた富岡製糸場も、1987(昭和62)年に操業を停止します。
現代における新たな蚕産業の創出
衰退した日本の養蚕業の現状は厳しく、大日本蚕糸会によると、2023年の養蚕農家数は146戸にとどまります。繭生産量は45トンで、生糸換算では約9トンとなっています。
ただし一方では、伝統や技術を活かした新たな価値創造を目指す動きが始まっています。
医薬素材開発への応用事例
衣料品以外の分野で、絹を素材として活用しようとする取り組みがあります。
絹を構成するたんぱく質は生体適合性が高く、医療分野での応用が期待されています。手術用の縫合糸やウイッグの土台、化粧品の原料としても研究開発が進められています。
2025年には、京都大学と三洋化成工業株式会社が共同開発した人口たんぱく質であるシルクエラスチン®が慢性創傷(難治性皮膚潰瘍)を治療する材料として国の薬事承認を取得した事例もあります。
観光資源としての養蚕体験

かつて養蚕が行われていた合掌造りの集落
かつて養蚕が盛んに行われていた地域を中心に、養蚕の歴史や伝統を観光資源として活用する事例も出てきています。養蚕が行われた古い家屋や集落を見学したり、蚕や繭に触れる体験をしたりして、地域の伝統文化を知るプログラムなどがあります。地方の観光振興に貢献するとともに、旅行者へ養蚕の伝統や魅力を広く伝える機会となっています。
養蚕を起点とした地域活性化の成功事例
養蚕や桑の栽培が行われていた地域では、養蚕を起点とした地域活性化の取り組みが進んでいる事例もあります。桑の葉茶や桑の葉パウダーは健康食品として注目を集めており、六次産業化の成功事例となっています。
地球環境とサステナブル素材としての絹
環境問題に対する意識が世界中で高まるにつれて、サステナブル素材への関心が高まっています。天然素材である絹は生分解性があり、蛹などの副産物も活用できるため環境にやさしい素材として評価されています。桑の葉の栽培にも農薬が不要である点、製造過程で排出される温室効果ガスが化学繊維に比べて少ない点もメリットです。
未来の養蚕業の挑戦と展望

このように、日本の伝統産業である養蚕業には可能性が残されている一方で、持続可能な未来へ向かうためには解決すべき課題もあります。
持続可能な養蚕業への課題
大きな課題として、養蚕業の担い手不足を解消することがあげられます。また、養蚕を新たに始めやすい環境、事業として継続できる環境を整えることがあります。
若者と新規参入者の育成
農業従事者の高齢化や後継者不足は養蚕にも共通しており、養蚕への新規参入者を増やす取り組みが期待されます。体験プログラムやワークショップを通じて養蚕の魅力を伝え、若者を中心とする新規参入者が挑戦しやすい環境を整える必要があります。
また、養蚕業のリスクとして想定される天候不順による桑の不作や、感染症などによる蚕の生育不良への対策も必要です。
AI・IoT技術の導入と効率化の実現
近年では、遺伝子組換え蚕を大量かつ安定的に飼育するスマート養蚕システムの開発が行われています。
蚕の健康状態や温度・湿度を自動で管理できるシステムが導入できれば、低コストで効率的な生産が可能になります。また遺伝子組換え蚕から有用なたんぱく質や高機能なシルク製品などを生産することで、新たな地域産業の創出も期待されています。
伝統とイノベーションの融合
養蚕業の未来には、長い歴史によって培われた伝統と、最新技術を取り入れたイノベーションの融合が必要です。伝統的な養蚕業、国産の天然素材としての更なるブランディングや、国内外への積極的なPRも不可欠です。
弥生時代に始まり、江戸から明治の近代化、現代に至るまで日本の伝統的な産業のひとつであり文化でもあった養蚕業には、未来へつながる地道な取り組みが求められています。
















