農相交代で本当に改革は後退するのか
2025年の主食米の生産量は748万トンが見込まれている。24年の679万トンと比べると大幅な増産。高米価による収益性の向上に背中を押されて作付けを増やしたことと、好天に恵まれて豊作だったためだ。
これに対し、高市早苗内閣で農相に就いた鈴木氏のもと、農林水産省が示した2026年の生産の目安は711万トン。25年の748万トンと比べると減るので、石破氏が掲げた増産方針が修正されたとの見方が広がった。
注意が必要なのは、711万トンの外枠で政府備蓄米として21万トンの生産を求めている点だ。25年の豊作分を合わせると、実は一般にイメージされているような減産ではない。むしろ「横ばい」と言っていい生産量だ。

2026年の生産目安が論議を呼んだ
この点に関し、鈴木氏は「需要に応じた生産」を強調する。需要が定かでないのに増産すれば、コメが余る懸念が当然ある。足元の高米価は25年前半の集荷競争のあおりであって、コメが足りないせいではない。
店頭価格がいまも5キロ4000円を超える米価について、消費者の立場から批判する報道が収まっていない。だがその是非を論じるのが本稿の目的ではない。増産とは何を意味するのかを、ここでいったん立ち止まって考えてみたい。
「需要に応じた生産」を農家は歓迎
ここ数年、食料安全保障という言葉がメディアで盛んに使われるようになった。筆者も記事で度々この言葉に触れてきた。軍事紛争など地政学リスクの高まりや気候変動、日本の経済力の低下など理由はさまざまにある。
だが現場に目を転じれば、食料安保のためにコメを作っている農家はほとんどいない。他の仕事と同様、働く理由は家計を支えるため。地域の田んぼを守るのを励みにしている例もあるが、所得の確保が前提にある。
何人かの農家にも意見を聞いてみた。反応は一様に「そもそも増産方針に違和感があった」というものだった。対照的に「需要に応じた生産」との考えには共感を示した。経営者の立場としては当然の受け止め方だろう。
















