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株式会社福光屋

老舗酒蔵が60年をかけて追い求めた酒米の契約栽培。有機純米酒の実現がもたらした企業風土

公開日:2021年05月18日

金沢に福光屋という酒蔵がある。創業は1625年、396年の歴史をもつ市内最古の老舗だ。「加賀鳶」、「黒帯」という全国に知られた銘柄をもち、生産石高は1万255石※。全国第21位、北陸3県では生産高1位という酒蔵だ。老舗の伝統を守りながら、数々の先駆的な取り組みを進める酒蔵として酒造業界では知られた存在である

その一つに、会社をあげて取り組んだ酒米の契約栽培を出発点に、初の有機純米酒シリーズ「禱と稔」の醸造に辿り着いた大きなストーリーがある。地方の酒蔵が原料米への情熱を具現化した道のり、土づくりからこだわった契約栽培米とその先の有機純米酒の醸造が、老舗酒蔵に何をもたらしたのか? 約60年に及ぶ米と酒の物語を取材した。

※『酒類食品統計月報』2021年3月号より

量より質の日本酒が必ず到来する。酒米の契約栽培を始めた先見性

福光屋が酒米の最高峰である山田錦の契約栽培を開始したのは1960年(昭和35年)。今から61年も前のことだ。高度経済成長期が始まったばかり、右肩上がりの大量生産・大量消費の時代。

収穫前の福光屋の契約栽培米・山田錦。山田錦は、高級酒の原料米として欠かすことのできない酒米の最高品種でもある(兵庫県多可郡多可町中区坂本)。

酒は造れば造っただけ売れる状況でありながら、品質を重視したい先代社長は、よい酒米を探し、その先の時代を見据えていたという。13代の現社長・福光松太郎社長に話しを聞いた。

「父が山田錦の契約栽培を始めた当時、私はまだ10歳でした。身の周りに家電製品やプラスチック、マイカーや白黒テレビなんかが次々に登場して、世の中がワーと成長していった時代です。お酒もどんどん売れた、悪くいうとどんな酒でも売れた。その一方でお米の価格は年々上がるので、多くの酒蔵は安い米をこぞって探すという時代だったんです。ところが先代は、ちゃんとしたお酒を造ろうとしていた。なぜかというと、経済の急成長が終わって成熟期に入ると、酔うためのお酒から食事を楽しむための嗜好品の時代になる。お酒の質や、味わいのよさを求める時代がくると。だから品質第一を考え、酒造りも向上させないといけないと考えたわけです」。

美しく手入れされた山田錦の田んぼ。1960年の契約栽培米開始時から代を継いで、生産者の親から子、孫の代にわたる長い付き合いが続いている。

そのためには、お酒の原料となる上質で信頼のできる酒米の安定仕入れが課題で、紆余曲折を経て兵庫県の多可郡多可町中区坂本の山田錦の栽培農家数軒と、地方の酒蔵としては前例のない山田錦の契約栽培をスタートさせたという。

28年後には、長野県の金紋錦、兵庫県のフクノハナも契約栽培に

山田錦の契約栽培が成功したことをきっかけに、福光屋は他の酒米の生産者とのつながりも深めていく。その28年も後の1988年には、長野県の木島平村で栽培される金紋錦、兵庫県豊岡市出石町のフクノハナの生産者と契約栽培を始める。

酒蔵内のすべてのタンクの酒を唎酒する13代社長・福光松太郎氏(左)と板谷和彦杜氏(右)。

レギュラー酒から高級酒まで多銘柄の酒を造る福光屋には複数品種の酒米が必要で、金紋錦もフクノハナも契約栽培を結ぶ前から長年大切に使用していたが、他の酒蔵で引き合いがないから米づくりをやめるという事態から契約栽培という形で、品種と生産者の存続が叶ったという。

「例えば、金紋錦の需要が大きく減って生産者の士気も下がって、もう米づくりをやめるとなったんです。私どもからしたらそのお米の代わりになる品種はない。そのお米にしか出せないお酒の味というのがあるんですね。ですから、代替の品種で間に合わせるとか、そんな簡単な問題ではないんです。その酒米がなくなれば、お酒の銘柄が消滅することになるんです。それならば、福光屋のためだけにぜひとも金紋錦をつくり続けて欲しい。そのかわり全量をうちで買い取る契約栽培にしましょう、酒米の改良を一緒にしましょうと、私もずいぶんと現地に通ってお話しをしたりお願いをしました」と、福光社長。

山田錦の契約栽培米をスタートさせた先代の意志を引き継いだ福光社長は、生産者との信頼関係を築きながら酒米の品種を広げ、より親密なものにしていった。

(その後、1992年に富山県福光町と石川県白山市の生産者と五百万石の契約栽培も始める)

生産者の顔がわかる上質な契約栽培米。生産者と酒蔵の揺るぎない信頼関係が、純米化を実現させた。

脱・醸造アルコール。2001年、万石単位として日本初の純米蔵に

一方で、福光屋は生産高1万石以上の酒蔵として全国で初めて全量純米化を宣言した酒蔵でもある。サトウキビや穀物などから造った醸造アルコールをお酒に一切添加しない、米と水だけですべてのお酒を醸造する酒蔵へと舵を切ったのだ。この決断は、酒米の契約栽培米と深い関係がある。

安価な醸造アルコールに頼らず、全量を米で造るとなるとお米の使用量が増え、当然コストが跳ね上がる。さらには醸造期間も伸びる。社外からは「これで福光屋はついに潰れる」などと陰口いわれたそうだ。ちなみに、国税局の最新データでも国内の清酒生産量の77%※を醸造アルコールが添加された、通称“アル添酒”が占めている。このことからも、20年前の純米化が醸造業界にどれほど衝撃を与えたかがおわかりいただけるはずだ。

「酒造りの歴史は、戦前と戦後で大きく違います。戦後の酒税確保のための酒造り、アル添酒主体の日本酒から、どんなに時代が下がってもアル添酒のシェアは8割前後のままなんです。だからこそ戦前のお米と水だけでお酒を造る、本来の姿へ戻ろうとしたのです。良質の酒米、仕込み水、微生物の力でしっかりと十分に醗酵させた素直な美味しさ、体にすっと馴染む酔い心地を大切にするということです」と、福光社長。

「お米もお酒も健やかであること、健全なものづくりから生まれる素直な味わいを大切にしなければならない」と、福光社長。

契約栽培する山田錦、金紋錦、フクノハナという素晴らしい酒米があるからこそ、「米の国の酒」として襟を正し、本来の酒へと立ち返る意思表明ができたのだという。

※酒類課税数量の推移/特定名称の清酒のタイプ別課税数量の推移表より(国税局 平成30酒造年度)

農薬・化学肥料50%減から、完全無農薬・無化学肥料の有機へ

酒米にまつわる話しにはまだ先がある。福光屋が酒米の契約栽培をすすめた理由は、お酒の質を向上させることが最終目的ではない。その延長線上にある使用農薬50%減・化学肥料50%減という特別栽培米。さらにその先の農薬も化学肥料も一切使わない有機米の栽培。それが実現したら、有機純米酒を醸造するという大きな展望があった。

標高500mの豪雪地帯・長野県木島平村の金紋錦の刈入れ作業。金紋錦は、約100種存在するといわれる酒米品種のなかでもとくに栽培が難しいといわれる。

「福光屋の情熱を理解して、契約栽培をお願いしている農家の方々に、農薬と化学肥料を半分以下に減らす、特別栽培米というのをまずお願いしたんです。特栽米までは頑張って応えてくれた農家の方も、有機栽培にはなかなか踏み切れない人が多かった。後継者不足と高齢化がすすむなかで、薬を撒けば一発で解決できる問題にグッと堪え、稲の間を這うようにして草を抜き続ける。有機米として出荷するには有機JAS認証を取得しなければなりませんが、その認証を取得するまでに丸3年もかかる。非有機の田んぼで使ったトラクターの泥すら有機の田んぼに持ち込めない。リスクが高いうえに生活もかかっている。苦労して有機米をつくった甲斐があるだけの質を維持できるのかどうか。いろんな制約やプレッシャーの中で、農家の皆さんは福光屋の有機栽培米をつくってくださっているんです。それはもう、健全な農産物をつくりたいという、心からの願いのようなものです」というのは、福光屋の原料米担当として25年間も現地との往来を続け、生産者との関係を築いてきた上松昇氏。

そんな生産者の並々ならぬ苦労が実を結び、山田錦とフクノハナが2008年に、金紋錦が2009年に有機JAS認証を取得。有機純米酒へのバトンは、ついに酒米の生産者から酒蔵に渡されることになり、有機酒の仕込み研究が加速することになる。

「有機栽培米は粒の大きさにばらつきがあり、収穫年ごとに変化もある。それでも蒸したときの香りは格別にいい」と、板谷和彦杜氏。

肥溜めのような香りがするといわれた、失敗続きの有機酒の仕込み

大学で土壌肥料学を学び、2012年から酒蔵を率いる板谷和彦杜氏は1990年の入社。杜氏の世界では若手といわれる、眼力のある52歳だ。そんな板谷杜氏は、入社2年目から酒造りが終わった後の夏場を兵庫県の山田錦の生産者と過ごしていた。時間を見つけては足繁く田んぼに通い、意見を交わして生産者と土壌改良に取り組み、会社の上層部を動かして酒米の品質コンペまで企画。そのお米で少量仕込みのお酒を造るほど、酒米の質の向上とお酒の関係を研究し、情熱を注いでいたそうだ。

生産者一人ひとりの名前、顔、それぞれの田んぼの風景、あぜ道や土手をきれいに刈り込んで自分の田んぼに心血を注ぐ姿。米づくりと酒造りは似ているといわれながら、比較にならない過酷さを間近で感じてきたからこそ、有機米に宿った苦労や、祈るような気持ちを痛いほど理解していたという。

そんな生産者の思いを誰よりも感じながらも、有機米を使ったお酒の仕込みは順調にはいかなかったという。

「有機米でお酒を造ると、なぜかよくない匂い、ツワリ香が出るんです。日本酒に好ましくない匂いをオフフレーバーといいますがそれが強い。ひどいときは肥溜めのような匂いがするとさえ言われました。不思議なもので有機米が相手だと、麹や酵母といった微生物が予想以上によく働く。働き過ぎというくらい。それで荒い風味になることが多かったんです」。

有機純米酒「禱と稔」の仕込みは、1年に1度毎年行われている。蔵人一人ひとりにとっても学びの多い酒造りになる。

同じ酒米でも有機米にだけなぜこのような差が出るのか、明快な理由がわからず、悩みに悩んだという板谷杜氏。精米歩合を変え、仕込み配合や造りを変えて山廃仕込みにも挑戦した。そんな試行錯誤を7〜8年ほど続けた後に、酒米の個性を尊重するという思いに至ったという。

のびのび育ったお米が望むように、なりたいように導いて酒に

「普通お酒は、銘柄のイメージやコンセプトに合わせて酒質設計をします。例えば、キレのよい辛口のシリーズであれば、お酒の味わいもそうなるように逆算して造る。当たり前ではありますが、言ってみれば商品企画に当てはめる酒造りなんですね。上手くいかなかったのは、“有機酒らしさ”を全面に出そうと意識し過ぎていたのかもしれません。これ以上続けていてもお米に見合う酒は生まれないと、追い詰められていたタイミングで社長から、山田錦は品格、金紋錦は洗練、フクノハナは豊満という、お米ごとの大きなテーマをもらったんです。

「有機栽培にはよりよい有機質肥料が必要だからと、牛を飼った山田錦の生産者の方もいる。そのくらい真剣な気持ちでつくられた酒米で仕込みができるのは幸せなことです」と、板谷杜氏。

考えが180度変わって気持ちが楽になりましたね。のびのびと育てられたお米の個性を、そのまま素直にお酒に表わしていけばよいという風に。もちろん、なるようになれという乱暴な話しではありません。3つの酒米の特徴に合わせた酵母の選定や、醗酵の経過を見極めて、手入れを行うなどの技は尽くしながら、そのお米と微生物がのびのびと力を発揮するように、思い切り醗酵させて、溶けたいだけ溶かして、進みたい方に行かせて。あとは自然の力を信じて見守る。“有機酒らしさ”というコントロールをしないことです。お酒が売れたら嬉しいのはもちろんですが、有機純米酒に限っては、商品企画も商業的な下心もかなわないんだなと、お米に教えてもらったような気がします」。

いわば無心になることでようやく有機酒の仕込みが安定し、2015年醸造のお酒が“これだ!”というお酒に仕上がった。

「お酒の香りや味がよいというのは大前提として、いいお米を使うとお酒に奥行きがでる」と、福光社長。

銘を「禱と稔」と授けられ、山田錦、金紋錦、フクノハナの3種が2019年春に満を持して発売された。有機栽培米をはじめてから11年(金紋錦は10年)、農薬・化学肥料の使用を50%以下に抑える特別栽培米の開始から15年(金紋錦は14年)、山田錦の契約栽培を始めてからじつに59年。このお酒の完成を誰よりも喜んだのは、有機栽培米のお米の生産者だったという。

酒蔵が加工場として有機認証を取得しなければ、有機酒は造れない

生産部門の責任者・正司和利副本部長からも興味深い話しを聞くことができた。有機純米酒は有機JAS認証を取得したお米を100%使用して醸造すれば完成するものではない。“有機純米酒”として販売、輸出をするならその製造現場の酒蔵自体が加工場として有機認証を取得する必要があるからだ。

醸造蔵の壽蔵はもちろん、瓶詰めなどの生産ラインのすべてが有機認証を取得した加工場である福光屋。認証を継続するために、毎年調査員の実地検査を受けている。

「有機JAS認証を取得した米は、一度米袋に詰めて封をしたら次に開封する際は有機認証を受けた加工場でしか開封できません。それ以外の場所で開封すると、そのお米の有機の資格を失います。そのくらい厳密なんです。原料と加工場の両方で有機認証をとって、はじめて有機認証マークをラベルに印刷できたり、有機またはオーガニックと謳えるんです」と、正司氏。

具体的にいうと、加工場として精米、洗米、製麹、醗酵、上槽(搾り)から瓶詰めまですべてのラインで有機認証の基準を満たさなくてはならない。福光屋が酒蔵として有機認証を取得したのは2008年。その数年前から準備をすすめ、契約栽培する山田錦とフクノハナが有機JAS認証を取得した年に加工場として認証を取得した。

認証取得にあたって困難なことは多々あるというが、その一つが機材の共有だ。有機酒・非有機酒それぞれに専用の機材があるわけではないため、タンクやお酒の搾り機、瓶詰め機はもちろん、ホース1本ですら有機酒と非有機酒の混和が一切ない製造計画の組み立てが必要という。毎年仕込み計画も生産量も異なるなかで、洗米から瓶詰めまでの全工程を有機酒と非有機酒をパズルのように組み合わせるのは、至難の業でもある。

創業時から金沢市石引の地で酒を造り続ける福光屋。老舗の挑戦は、蔵人と技師たちの伝統的かつ革新的な技術で支えられている。

生産量わずか2.6%の有機酒が、企業意識を高めるきっかけに

それからもう一つ、空間の共有という大問題がある。機材は洗浄後の朝一番のものを有機酒に充てることで非有機酒の混和が避けられるが、空間のすみ分けはさらに難しい。

「有機認証を受けた加工場では、殺虫剤などの化学的に合成された薬剤を使用することができません。例えば、ショウジョウバエは、熟した果物の香りに集まってきます。この香りは酵母がつくり出すもので、お酒の醗酵と同じ香りなんですね。お酒が大好物のどこにでもいる虫が、加工場内に飛んだとしても絶対に殺虫剤は使えないんです。たとえ非有機酒の瓶詰め工程であっても、空気を化学的に汚せないのです」と、正司氏。

「福光屋の清酒生産量に占める有機酒の割合はわずか2.6%です。それでも残りの97.4%を、厳しい有機の基準にどうしても合わせる必要がある。有機酒を醸造し、有機酒として販売するということは、その覚悟をしなくてはならないわけです。これは福光屋という酒造メーカーにとって、われわれ社員にとっても非常に重要な意味があると思いますね。有機酒の醸造が実現できる、有機認証を維持しようとする意識の高まりは間違いなくありました」。

福光屋が61年前に山田錦の契約栽培米をスタートさせた、兵庫県多可郡多可町中区坂本の田植えの頃の夜明け。健やかな農業を守り高めることが日本酒の未来につながる。

福光屋が約60年をかけて実現した初の有機純米酒ブランド「禱と稔」が、老舗酒蔵にもたらしたものは計り知れない。わずか2.6%の有機酒の存在が、進歩的な酒蔵の姿勢を示しているともいえる。日本酒は、お米と水、微生物、気候という自然の大きな営みのなかで造られる。だからこその企業モラル、生産活動が環境に与える負荷を自問するのは当然のことかもしれない。正司氏の「有機酒の醸造が、環境負荷を増幅させることは100%ない」という確信は、純米蔵・福光屋の酒造りの方針に矛盾がないことの現れでもある。

(監修:株式会社 福光屋、取材・文:柳 ゆう)

株式会社 福光屋

石川県金沢市石引二丁目8番3号

TEL 076-223-1161(代)

オフィシャルサイト www.fukumitsuya.co.jp

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