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100年続く味を残したい。佐賀県で続く、唯一の味を持つ唐辛子。

100年続く味を残したい。佐賀県で続く、唯一の味を持つ唐辛子。

佐賀県で、祖母が作っていた家庭用の唐辛子を受け継いだ宮崎可奈子(みやざきかなこ)さん。100年以上続く唐辛子に込めた思いとは。未経験で農業にチャレンジした先輩の物語をお届けします。

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佐賀県で、祖母が作っていた家庭用の唐辛子を受け継いだ宮崎可奈子(みやざきかなこ)さん。農作業に一切関わったことがなかった宮崎さんが、なぜ農業を始めたのでしょうか。100年以上続く唐辛子に込めた思いとは。未経験で農業にチャレンジした先輩の物語をお届けします。

宮崎可奈子さん略歴

・唐津生まれ、千葉・兵庫育ち

・高校卒業後、モデル事務所に所属

・20歳の時に上京し芸能プロダクションに所属

・家族の病気をきっかけに27歳で兵庫に戻る

・佐賀の祖母の畑を引き継ぎ、起業して唐辛子の生産を行う

辛さの中に旨味がある唐辛子

佐賀県唐津市で、農薬や化学肥料を一切使わず祖母から教わった昔ながらの方法で唐辛子を作っています。その唐辛子を使った一味「唯一味(ゆいいちみ)」は、パワフルな辛さと豊かな野菜の風味が特徴の、とても味わい深い逸品です。

使用している唐辛子は、鷹の爪の中でも一番の辛さと風味を誇る「熊鷹」という品種。辛さと風味が、食卓を豊かに彩ります。辛いだけでなく、糖度も一般的な鷹の爪と比べると格段に高いようです。正確な数値を計るために、2017年度中に、研究機関で糖度の測定をする予定です。無添加ですので、安心・安全にご使用いただけます。

色々な使い方がありますが、私のおすすめはハンバーガーに使うこと。バンズを開けて、中の肉に一振りか二振りしてください。ピザにタバスコをかけるようなイメージで、とてもおいしくなります。

「祖母の味を失くしたくない」という想いがきっかけ

唐辛子づくりを始めたのは、「祖母が作っていた唐辛子の味をなくしたくない」と思ったことがきっかけです。

私は都市育ちで、両親も農家ではありません。東京に住んでいた頃は自分用に少し野菜を作ってみたりしたことはありましたが、農業とは何の関連もないモデルや女優業の仕事をしながら暮らしていました。野菜を作っていたのは佐賀県に住む祖母でした。家族で食べる分の野菜を作り、毎年野菜を送ってくれました。

全部おいしかったのですが、中でも唐辛子が格別でした。他の農作物では味わったことのない風味は格別でした。唐辛子に魅せられて、他にも色々な生産地や品種の唐辛子を試してみたのですが、祖母の唐辛子を超えるものはありませんでした。

しかし、祖母が80歳を過ぎた頃、畑をやめようと思っていると聞きました。私にとって、祖母の唐辛子はなくてはならないもの。この唐辛子がなくなってしまうのは寂しい。それで、祖母に作り方を教えてもらうことにしました。とはいえ、兵庫に住みながら、たまに佐賀の畑に行って作り方を教えてもおうという、軽い気持ちでした。

ところが「祖母から唐辛子の作り方を教えてもらうことにした」と周りに話すと、今までお裾分けして祖母の唐辛子を気に入ってくれていた人たちから、「じゃあ買うよ」という声をたくさん頂きました。畑の一角で作るだけでは生産量が足りなくなってしまい、畑を借りて、1年目はとりあえず5アールほどの規模で作ることにしました。

祖母と一緒に作業をしながら一つ一つ工程を教えて貰い、時には厳しい天候にみまわれましたが、その都度昔ながらの知恵を学ばせて頂きました。月の半分は佐賀に通い農業をするという生活が始まり、気がつけばもう5年目になります。今では祖母の手を離れ畑の規模も大幅に拡大しました。こんな風に本格的な農業をやることになるとは、自分でも驚いています。

100年続く奇跡を守り続ける

軽い気持ちで始めてしまったので、実際の作業は大変でした。最初の年、まずキツかったのが、畑にマルチというビニールを張る作業でした。ウネを立てマルチを貼り両端にスコップでひたすら土をかぶせていくという作業を全て人力でやりました。慣れないスコップを扱い手はマメだらけですし、体中筋肉痛になりました。また、20キロもある肥料袋を抱えて、何十袋も畑に肥料を撒くのは、体に堪えましたね。撒いている間に袋は軽くなりますが、撒き始めはほとんど動けませんでした。

農業は想像以上に大変だと実感しました。同時に、農業に携わる人に対し、感謝の気持ちが湧きました。「農業を舐めていてすみませんでした」という感じです。

唐辛子は6月頃に苗ができあがり、畑に植えます。8月下旬に実が赤くなると、色が着いたものから収穫します。それを12月の後半まで2週間毎に続けます。並行して、収穫した実はすぐに乾燥させて保存します。挽き立ての方がおいしいので、実の形のまま保管して、出荷する時に粉末にします。朝から晩まで毎日作業があるので、本当に大変でした。

それでも、唐辛子づくりをやめようとは思いませんでした。畑仕事をしながら祖母が話してくれた昔話の中で、この唐辛子は、祖母の家系で100年以上受け継がれてきたものだと知りました。

唐辛子の多くは戦後に品種改良されたと聞きましたが、わが家の唐辛子は手を加えずにそのまま受け継がれてきた、いわば在来種に近いものです。家庭で食べるためだけに、100年以上に渡って、その貴重な種のバトンが繋ぎ続けられてきたことに、ものすごく感動しました。

作物は、簡単なことで失われてしまうものです。例えば、その年に採れたものを全部食べてしまえばそれで終わりですし、不作で全滅することもあります。100年以上受け継がれてきた種は、家レベルの話ではなくて、日本の農業にとってもすごく重要なことではないかと思いました。しかも、祖母は辛いものが好きではなく、唐辛子をあまり食べないのです。それなのに「育てることが習慣だった」という理由だけで続いてきたことに、まるで奇跡ではないかと思います。

そんな唐辛子が、今では私にとってはなくてはならないものになっている。まるで、この唐辛子に引き寄せられているような因縁を感じました。だから、大変なことがあってもやめようとは一切考えませんでした。

愛情を込めて育てること

唐辛子を作り始めて、5年目になります。毎年新しい困難が起きるので、その度に頭を悩ませています。

2016年は、大干ばつに見舞われました。干ばつに強いと言われる唐辛子もダメージを受けてしまったので、急遽水路工事を行い、畑に水を流す作業を毎日繰り返しました。今後は、大雨でも日照でも、どちらにも対応できるようにしたいと考えています。そのためには、耕作地の拡大が大切だと考えています。様々な場所で作れるようになれば、天候のリスクは分散できます。各地域の人に委託して畑を耕していただき、それを買い取るような仕組みも検討しています。

ただ、唐津市で作ることにはこだわりたいと思います。唐辛子の唐と、唐津市の唐は同じ漢字。ここで作ることに意味があると感じていますし、私は唐津市の唐辛子を愛しています。

ビニールハウスで育てた方が収穫は安定すると言われていますが、それはやりたくありません。同じ種でも、育て方によって味は変わります。100年続いた味を守るためには、先祖代々続けられてきた生産方法を残さなければならないと考えています。

昔ながらの作り方なので、他の唐辛子農家の方からは「こんなやり方初めて見た」と言われることもあります。例えば、苗づくりは、多くの場合、プラスチック製の容器であるポットを使うことが多いのですが、うちの場合は苗床という苗を作る専用の畑を用意しています。ポットで育てた方がやりやすいので、ポットを試したこともありますが、育ちづらいという印象を持ちました。

育てる人の肥料の使い方とか、草むしりの方法などによって、同じ品種でも性格が変わると感じます。そういう意味で、これから農業を始める方には、作物に自分なりの愛情を注ぎ続けてほしいと思います。その人なりの個性を持って育てれば、作物もその個性に影響されます。手塩にかけて完璧にやる必要はなくて、その人なりの個性を発揮できたら作物もそれに応えてくれると思います。

私はこの唐辛子の味を繋いでいきたいという使命感を持っていますが、一方で、思い入れを強く持ちすぎないことは意識しています。受け継ぐ時に祖母に「なくなったら、なくなった時ばい」と言ってもらいました。本当に必要なものなら繋がるし、そうでないならなくなるのが自然の摂理。色々なものがなくなったり淘汰されているのを見てきた人の言葉なので、説得力がありました。

もちろん、大好きなこの味を多くの人に知ってもらうために、できることはやります。「唯一味」を口にした人は、きっと感動してくれると思います。その努力は続けつつ、あとはこの唐辛子の運命に委ねたいと思います。

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