東京都伊豆諸島の南部に位置する八丈島にて、ジャージー牛の自然放牧に挑戦する八丈島乳業の魚谷孝之さん。「牛の幸せを最優先に考えています」とお話する背景には、どのような想いがあるのでしょうか。酪農天国八丈島で目指す、完全放牧スタイルとは。お話を伺いました。
魚谷孝之さん略歴
・神奈川県出身
・大学で農学部に進み、ラクトフェリンの研究に従事
・大学院卒業後、乳業会社に就職し、チーズの加工に携わる
・東日本大震災を機に、食品や土壌などの放射線濃度を検査する会社に転職
・29歳の時に八丈島と出会い、32歳で八丈島乳業を創業
ー八丈島乳業の酪農について教えてください
私たちは八丈島の国立公園内にある「ゆーゆー牧場」で、ジャージー牛を育てています。日本の酪農で活躍しているのは白と黒が特徴的なホルスタイン種ですが、私たちの牧場では国内に1%未満しかいないジャージー種のみを飼育しています。ホルスタインと比べて体格は一回りほど小さく、乳量は半分以下ですが、高い脂肪分と豊かな甘さが特徴的です。また、カルシウム含有量がホルスタインの1.3倍あります。
搾乳は朝夕の二回行います。搾りたての生乳は、工場で65℃30分程度の低温殺菌をして牛乳にします。さらに、プリンやチーズ、ヨーグルトなどの加工品にして販売しています。
–どのようなこだわりを持っていらっしゃるのでしょうか?
こだわりは3つあります。ひとつ目は、「牛の幸せ」を最優先に考えていることです。動物福祉という言葉を聞いたことがありますか。動物福祉とは、一言で言えば「動物が精神的・肉体的に十分健康で幸福であり、環境とも調和している」ということです。
動物も人間も命あるものであり、感覚や感情があります。人間以外の動物の基本的ニーズ(生理的、環境的、行動的、心理的、社会的)は人間と共有しています。飼育下あるいは人間によって制限された環境にいる動物たちは、これらのニーズを自身で満たすことができません。人間には、動物ができる限り快適で苦痛を受けずに生活できるようにする義務と責任があります。
1960年代の英国で、家畜の劣悪な飼育管理を改善させ、家畜の福祉を確保させるために、「5つの自由」が定められました。
・飢えと渇きからの自由
・不快からの自由
・痛み、傷害、病気からの自由
・恐怖や抑圧からの自由
・正常な行動を表現する自由
私たちの牧場でも動物福祉の考えを取り入れており、通年自然放牧のスタイルで牛を育てています。狭い牛舎で育つよりも、開放感のある外で育ったほうが、ストレスが無いと考えられているのです。
日本では、畜産・酪農の全体の1%未満しか放牧は行われていないと言われています。広大な土地がある北海道でも、数えるほどしかありません。多くの牛たちは、牛舎で育てられ、一生涯を3畳ほどのスペースで過ごします。
私たちの牧場は、牛舎はなく放牧のみ行うので、1頭あたり約3,000畳の面積を確保しています。それでもまだ狭いと考えております。
2つ目は、遺伝子組み換えの飼料を一切使っていないことです。日本は、世界一の遺伝子組み換え作物の輸入国と言われています。かなり多くの家畜の飼料に、遺伝子組み換え作物が使われていますが、私たちの牧場では、遺伝子組換え作物の給餌を行っていません。Non-GMO証明書(遺伝子組換えではない証明書)がある、確かな飼料を厳選して与えています。
3つ目は、牛乳を作る時に、低温殺菌法を用いていることです。低温殺菌は搾りたてを表現できる唯一の殺菌方法です。日本の牛乳の殺菌方法は「超高温滅菌法」と「低温殺菌法」のふたつに大別することができます。
「超高温滅菌法」は、超高温(135〜150℃)で1〜3秒滅菌する方法で、大体は130℃前後で2秒ほど処理します。この方法を用いると、賞味期限が長くなりますが、いわゆる牛乳臭い匂いがします。また、時間が経っても生クリームが分離してきません。
「低温殺菌法」は、63〜65℃の低温を30分間保持して処理をします。賞味期限が短いのですが、無臭です。また、低温殺菌処理されている多くの牛乳がノンホモジナイズという脂肪球を壊さない製法を取っています。そのため、時間が経つと生クリームが分離して浮いてきます。(ノンホモではない低温殺菌牛乳はクリームの分離は起こりません。ノンホモ牛乳とは、乳脂肪分の均質化をしていない牛乳です)
本来、牛乳は無臭で水のようにさらさらしています。それは低温殺菌でないと実現できないものです。日本で消費されてる牛乳の9割近くが超高温滅菌法で処理されたものなので、スーパーなどでは低温殺菌牛乳は見かないかもしれませんが、私たちは低温殺菌にこだわり、牛乳本来の姿、ありのままの牛乳をお届けしたいと考えています。
ー魚谷さんがこだわりを持つようになった背景を教えてください
東日本大震災が起きた影響が大きいです。震災の日、私は千葉県にいたんですけど、人と同じように、牛もすごく怯えていました。それで、地震が起きた日の夜に搾った牛乳は、味が全くしなかったんです。おそらく、怯えからくるストレスによって、成分がガラっと変わってしまったんだと思います。本当に、白い水を飲んでいるような感じでした。その時に、牛乳の味も母牛の感情によって左右されるのだと実感し、動物福祉に興味を持ち始めました。
ー今後の展望を教えてください
八丈島を酪農天国にしたいと考えています。八丈島に限らず、酪農は離島に適した産業だと思います。農業にしても、漁業にしても、天候に大きく左右されますし、島は天候不順が続けば、島外からの物資輸送が遮断されてしまいます。
しかし、放牧スタイルの酪農であれば、天候にはほとんど左右されず、何か物資が必要になるわけでもありません。しかも、牛乳はチーズやヨーグルトなどの加工品にすることで、保存もできます。
酪農は、もともと地域にあり、人間が利用するには難しい資源を活用して乳や肉として恩恵を受ける方法です。その経過は、農業と同じように、自然の虫や草木を育み、景観を産む素晴らしい手段だと考えています。
八丈島は、少し前は酪農王国と呼ばれるほど酪農で栄えていた時期がありました。その当時とは時代背景も大きく異なりますが、八丈島に根付いている酪農文化や乳文化に新しいエッセンスを加え、産業目線の酪農王国ではなく、牛目線の酪農王国を目指していきたいです。