実家のみかん農園を継いだ谷井康人(たにいやすと)さんは、日本一甘いみかん作りに取り組み、10年という歳月をかけて高糖度のみかんの栽培に成功しました。さらにその後、売り物にならないみかんを利用して、ジュース作りにも着手。今では日本を代表する高級ホテルと提携するなど、実績を積み重ねています。
谷井さんの著作「奇跡のみかん農園」(SBクリエイティブ)から、谷井さんの成功の軌跡を追いかけました。
化学肥料や農薬を使わずに、糖度の高いみかんを生産する
谷井農園は、古くからみかん栽培が盛んな和歌山県有田郡湯浅町にあります。現在、農地7ヘクタール、社員13人を抱え、地物の三宝柑や温州みかんの他に、ブラッドオレンジやバレンシアオレンジ、伊予柑など10種類以上の柑橘類を育てています。
30年前、谷井さんが「日本一の甘いみかんを作りたい」と最初に試したのが、与える水の量を減らして糖分を凝縮させる「マルチング」という栽培方法。みかんの平均な糖度は、10~13度といわれていますが、マルチングの開始から5年、初めてみかんの糖度が16度近くに達しました。しかし、「確かに甘いけれど、どうもおいしいと感じられない」と違和感を抱いた谷井さんは、「その年の気候に逆らわずに“自然体”でしっかり陽を当てて完熟させる方法しかない」という結論に至ります。
自然体というのは、つまり「何もしない」ということ。「何もしない状態」でおいしいみかんのために重要だったのは、土の質を高めることでした。
肥料は、動物の糞や魚粉末、落葉、米ぬかなどの有機物を原料に、酵母菌を入れて発酵させたものを使用。化学肥料や農薬を使わず、1年間の降雨量をおおむね予測して水分を見ながら、畑や土、一帯に生えている木々に、必要な分だけ有機肥料をまいたのです。
おいしさで勝負。農協や市場に頼らず「個人通販」へ
自然体の農法を続けて約10年、「舌にわずかに酸味が残る甘すぎないみかんが出来上がりました。糖度は15〜16度でした。
谷井さんが父親から農園を引き継いだ昭和60年当時は、この地域で生産されたみかんのほとんどは農業協同組合が買い上げていました。みかんの姿形や大きさから、秀・優・良などの等級、L・M・Sなどの階級に分けられ、味よりも傷がないきれいなみかんが良しとされていました。そんな中、谷井さんは見た目よりも味を重視し、「市場には出さない」と決め、「個人通販」へと大きな方向転換を図りました。
個人通販で力を入れたのが、社内の受注システム整備です。電話で注文を受け、パソコンなどに慣れないスタッフでも簡単に入力できる、独自のシステムを開発しました。最初に400万円でシステム会社に顧客データベースのプログラム制作を依頼したのですが、「もっとこうしたい」という思いが出るようになり、1年半でこのプログラムは使わなくなってしまったそうです。現在の独自開発のシステムなら、受注作業にかかる時間が当初の10分の1で済むそうです。
売り物にならないみかんをジュースにして販売
次に、谷井さんが着手したのが、ジュース作りです。収穫したみかんのうち、顧客に販売できるのは約3割、出来が良い年でも約4割。残りの約7割は加工用として安く売るか、破棄してしまうかの選択肢しかありませんでした。そのため、谷井さんは売り物にならないみかんをジュースにして販売することに決めたのです。
研究のため、谷井さんは市販のフルーツジュースを数え切れないほど飲んだと言います。そして、一口飲んだだけで、どんなふうにみかんを搾り、どれくらいの温度で瓶詰めされたのかがわかるほどになったそうです。すると、「どのみかんジュースも大手メーカーの機械を使用し、同じ熱殺菌の方法を用いているので、似たような味になっている」と谷井さんは気づきました。
ジュース作りを始めて3年、納得できるものがなかなかできなかった中で、ふとアメリカ留学時代に感動した果物ジュースのことを思い出しました。そこで平成12年、あらゆる伝手をたどって、アメリカのジュース搾り機を導入することにしました。買取りはできず、リース料は年間150万円。清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟でした。
一流ホテルが認める、安全でおいしい生搾りジュースが完成
アメリカの機械で搾った自分のみかんのジュースを初めて飲んで、なめらかな果汁、果肉感が程よく残る感覚に、これは間違いなく「これまで飲んだジュースの中でも最高品質のものだ」と実感したそうです。
谷井さんが作る生搾りジュースは、直販のほか、パークハイアット東京やフォーシーズンズホテル丸の内、セントレジスホテル大阪などの高級ホテルに卸しています。近年では、銀座和光、星野リゾートとも取引をしています。
一流ホテルに販売できるほど、高品質のオレンジジュース製造に成功した谷井さん。このオレンジジュースの販売価格を、原料となるみかんに換算してみると、1キロあたり2,400円で販売していることになります。一般的に、ジュースの原料となるみかんの市場価格は、1キロあたり10円が相場と言われています。つまり、1キロ10円でしか販売できなかったみかんを、ジュースにすることで240倍の価格で販売できるようになったということです。
また、2014年に日本に初上陸したラグジュアリーなリゾートホテル、アマン東京とは、フルーツジュースを共同開発してデザインまで手がけるほどに。レストラン用とルームサービス用で微妙に味を変えて提供し、料理と一緒に出す際には、少し甘さを控えめにして、料理を引き立たせるなどの工夫をしています。「頭の引き出しには、取引するホテルごとに約100種類ものジュースの味が入っています。一流のお客様に評価されれば、必ず認められるようになります」と谷井さん。
小さいみかん農園だからこそ実現できた「生搾りジュース」という高付加価値が、高級ホテルとの取引を可能にしました。「インターネットやAIなど、スピード化や効率化が盛んになっていく時代ですが、だからこそ今まで当たり前だった『時間をかけて、汗水流した労働の積み重ねでしか生産できない仕事』が本当に重要になるのでは」と谷井さんは教えてくれました。
参考書籍
谷井 康人著「奇跡のみかん農園」SBクリエイティブ
http://www.sbcr.jp/products/4797386981.html
谷井農園
http://www.taniifarm.jp/
写真提供:谷井農園