山奥の秘伝の食材
市場デビューはつい最近のこと
現在、日本では3,000~4,000種のきのこが認められていますが、そのうち食用になるのは、その1割の約300種。さらにその中でも一般の生活者が買える食品として市場に出まわっているのは、わずか15種類ほどしかありません。
その中でまいたけは新参者の部類に含まれます。八百屋やスーパーで売られ、一般家庭の食卓に上るようになったのは、せいぜい30年ほど前から。現在30代半ば以上のほとんどの人たちは、子供の頃にまいたけを食べた記憶はないはずです。
山奥に生える一種の薬として珍重
もともとまいたけは、おもに東北地方の深山の老木の根ぎわに生えるサルノコシカケ科のきのこです。いくつものカサが折り重なってできており、中には20キロや30キロの大きさに育つものもあると言われています。
昔の人はその美味しさと、食べると体の調子がよくなることから一種の薬として珍重していました。そうしたことから長らく「幻のきのこ」とされ、今では想像できないほどの高値で取引されることもあったようです。
「大量生産は不可能」が従来の常識
このまいたけが大量生産され、日本全国に流通するようになったのは昭和も終わりに近づいた1980年代の半ばから。もちろん、それまでにもたくさん作って儲けようとした人はいましたが、成長過程で管理するのがたいへん難しく、しいたけやしめじなどのように人工的に栽培し、市場で売れるほどの生産量にすることは不可能と思われていたのです。
「雪国まいたけ」のチャレンジ
雪国まいたけの創業者
その常識を打ち破り、まいたけの人工栽培に成功したのが、太もやしを栽培していた新潟県南魚沼市の大平喜信氏であり、彼が1982年に創業した「雪国まいたけ」です。
現在でも圧倒的シェアを占めるその名は、八百屋やスーパーで売っている商品の袋などで誰でも目にしたことがあるのではないでしょうか。
徹底的な研究で大量生産に成功
大平氏は小さなまいたけ工場を作り、2年間そこに寝泊りして、その幻と言われた生態を徹底的に研究。自前の空調設備で温度・湿度をコントロールすることによって、まいたけが自生する山奥の環境を人工的に作り出すことに成功。日本初のまいたけ人工量産技術を発明しました。
そして「雪国まいたけ」は、まいたけの美味しさと栄養を日本全国に送り届ける会社として一躍有名になったのです。
きのこ総合企業として躍進
「不可能を可能に」の言葉をみずから実践し、大きな成功を収めた大平氏は、雪国まいたけを「きのこ総合企業」として位置づけました。メーン商品のまいたけを筆頭に、子供でも比較的食べやすいと言われるエリンギ・ぶなしめじを加えて三本の柱を整え、会社経営の基盤を確立。同時に大手企業の参入を阻むための経営戦略でシェアを確保しました。
総合食品企業をめざして
今まで培った栽培技術や安全・安心への追求。厳しい品質基準、独自の流通体制を活用し、かつて栽培していたもやし、サラダ用のカット野菜、さらに納豆など、農産品を加工販売する「総合食品企業」を目指して事業展開を行っています。
拡大するまいたけの市場価値
ガン予防の期待を担って
30年をかけて日本の食卓に浸透したまいたけは、市場デビュー当時、その栄養価の高さ、特に「ガン予防に効果がある」と言われ、しばしばメディアで大きな話題になりました。
近年では高齢化社会が進み、予防医学に対する意識が広がっており、健康食材としての人気・評価は安定しています。
栄養価はやっぱり高い
まいたけにはたんぱく質、脂質、糖質、ミネラル類およびビタミン類の栄養成分のほか、人間の体にとって大切な食物繊維が豊富に含まれています。そして健康維持・増進に関与するβ-グルカン(MDフラクション)。これが、きのこ類の中でも群を抜いて多く含まれており、抗がん作用が取りざたされる要因になっています。
研究者は抗がん作用については明言を避けつつも、成人で1日約30~40g食べることによって健康増進が期待できると発表しています。
安価で安定供給の強みを活かして
いずれにしても薬とも言われたまいたけの栄養価が高いことは事実であり、それ以上に美味しいことも事実。また、人工栽培のため、自然災害の影響もほとんど受けず、年間を通して安価で安定供給されています。これは消費者にとっては嬉しい限りです。
開拓者である「雪国まいたけ」に倣って小規模ながら栽培に取り組む農家も増えており、今後もますます消費量は伸びると思われます。