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都会から里山へ 農的暮らしの実践者が描く里山シェアハウスの姿

都会から里山へ 農的暮らしの実践者が描く里山シェアハウスの姿

最終更新日:2018年09月19日

都会の生活から解放されたくて、田舎暮らしにあこがれる人は少なくありません。ある調査では、首都圏に住む若者の半数の以上が〝田舎暮らし″にあこがれているという結果が出ています。その理由は「穏やかな時間が流れていそう」「仕事に覆われない生活が実現できそう」「満員電車に揺られることもなく、ストレスから解放される」など。「理想と現実の間にはギャップがあるけれど、地方での生活ならでは充実感が味わえるのも確か」と話す、永森昌志(ながもりまさし)さんは、東京と南房総の二拠点生活を実践中。その暮らし方は。

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東京生まれ東京育ちの若者が地方に向かった理由

東京・吉祥寺出身の永森昌志さんは40歳。シェアオフィス「HAPON(ハポン)新宿」の共同創設者、合同会社AWATHIRDの代表という2つの肩書きを持ち、南房総と東京との二拠点生活を送っています。当たり一帯が鎮守の杜のような、厳かな雰囲気を持った山の中腹にある、かつての農家の一軒家が永森さんの城。WEBディレクターの仕事の合間に畑を耕し、薪をくべた風呂を沸かす「農的暮らし」を送っています。
「生まれ育った地域以外で生活してみたい」という漠然とした希望は持っていたものの、地方には関心のなかった永森さんが、地方に興味を寄せたきっかけは「実家のIターン」だと言います。永森さんが就職し、家を出てから、両親は千葉県木更津市に引っ越しました。里帰り先は自身にとっては縁もゆかりもない土地になりました。ところが〝実家″に足を向ける度に、木更津の印象が変わり、ぼんやりと千葉に魅せられるようになります。アクアラインの長いトンネルを抜け、海の上の一本橋を渡るときの「日常からワープするような感覚」を求め、永森さんは千葉にもう一つの拠点探しを始めました。

二つの日常を実感する東京と千葉の二拠点生活

永森さんが千葉の拠点を探し始めたのは大学を卒業し、5年間の広告会社勤務、1年間の海外放浪などを経て、環境関連事業を主軸にする企業に属していたとき。自然保護への取り組み、エコロジー、仕事で環境を語る自分と、実生活では自然の真ん中に存在しない自分との矛盾を感じる日々と、千葉の魅力に気付き始めた時期が重なりました。

実家のある木更津市周辺エリアから、永森さんの〝理想郷″探しは始まりました。「自然の中のもう一つの拠点」という視点を持つと「木更津はまだまだ街だった」。たどり着いたのは、房総半島の南端、館山市のワンルーム物件でした。週末の館山暮らしの時間がもたらしたのは「オンとオフのメリハリ。東京から離れられる場所があるだけで、心に余裕ができた」と言います。仲間を誘って、釣りをしたり、バーベキューをしたり、何もしなかったり。

2年間の二拠点暮らしを経て、物件の更新のタイミングで今度は、南房総市の千倉の海の見える一軒家に移ります。二拠点暮らしに共感する4、5人の仲間と、シェア別荘を構えました。「海の側だからこそ」サーフィンも始めましたが、夢中になったのは、稲作のワークショップ。「田んぼはよくできたコンテンツ。米を知らない人はいないけれど、米作りを体験したことのない人は多い。みんなで一緒に行う田植えや、稲刈りはほかに代わるものがないエンタテインメントだと思った」。千倉で過ごした4年間で、地元の人々や参加者と交流する機会が増えたことが、軸足を東京から千葉に移すきっかけになりました。

南房総に住まいを持つ 農的暮らしのはじまり

環境関連会社を辞め、友人と立ち上げたWEB制作会社を運営していた永森さんは、将来的な千葉への完全移住のために、働き方を変えていきます。シェア別荘の仲間と一緒に、新宿にシェアオフィス「HAPON新宿」を立ち上げ、自身はWEBディレクターとして独立。同じころ、南房総市の農家レストラン「じろえむ」のご主人、稲葉芳一さんに紹介してもらった、かつて農家だった一軒家が現在の住まいに。「ずっと前に、良い物件があったら」と軽い気持ちでお願いしていた〝口約束″を覚えていてくれたそう。「縁を大切にすること。その表現の仕方を目の当たりにした」と言います。それまでの週末に千葉に通う生活から、仕事のある時に上京する生活に。気が付いたら会社員ではなくなっていました。その変化がもたらしたのが「農的暮らし」でした。ネットで種を買うことからはじめて、一歩一歩、自分の体験から野菜の知識を得る生活に。そして、もう一つの変化が訪れます。

江戸時代から続く、築200年とも300年とも言われる古民家との出会い。背後には小高い裏山を持ち、軒先には長い間、休耕地となっていた畑。この家をその地名を冠して「ヤマナハウス」と名付けて、仲間と「シェア里山」をテーマにした活動をはじめたのは2015年春のことでした。

共有する 交流する シェア里山「ヤマナハウス」

「ヤマナハウス」は、古民家、休耕地、裏山の活用を楽しむ仲間でシェアする場所の総称。ITや飲食、デザイン関係で活躍するシェアメンバーは、そのほとんどが都内在住者です。それぞれの視点で、衣食住を支える知恵や仕組み、里山の楽しみ方のアイデアを出し合って、自然の中でリフレッシュしています。20年近く人が住んでいなかった家に手を加えるDIYそのものも〝楽しみ方″のひとつ。床やテーブルの塗装、古材を使ったロングテーブルづくり、土間の壁貼りや薪ストーブの設置、ピザ釜作りとやりたいことはたくさん。週末里山BARは、その形が見えてきて、先日プレオープンイベントを行いました。

「里山の魅力は自由なこと」。その時の勢いも手伝って始めた「シェア里山」で、永森さんは「場を持つことの大切さ」を実感したと言います。「とりあえず、人が集まる場所を作った」ことで、自身の二拠点生活も広がりを見せます。永森さんは現在、南房総市公認プロモーターの名刺を持って、市が実施している移住者や、企業のサテライトオフィス誘致のプロモーション活動にも参画しています。東京の人材を南房総へ。本人が移住実践者として感じるのは「地方には他人を巻き込んで活動するようなアクティブなプレーヤーが少ない」という現状。だからこそ必要なのは、都心に住む活動的な人に向けて、まだまだ黎明期のヤマナハウスのような拠点を開放すること。人の動きをつくることが地域の活性化につながる。「シェア里山」で感じる自分自身の「農的暮らし」の魅力を伝えることが永森さんの役割の一つになりました。

「居場所も、仕事も、今までも選択し続けてきたし、これからも選択し続けるのだと思う。10年後、20年後に今の場所にいるという確証はないけれど、いつ、どのタイミングでも、選択と偶然の連続の中で、今いるところが一番大切と思える自分でいたい」。永森さんは〝今いるこの場所″南房総で、今日も朝日を迎えます。

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