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ヒストリー・オブ・ニッポンのブドウ

ヒストリー・オブ・ニッポンのブドウ

最終更新日:2018年01月25日

ブドウが伝来したのは奈良、平安時代と言われています。しかし、木の性質上、限られた地域以外での栽培がうまくいかず、栽培が活発になったのは技術が海外から導入された明治以降です。日本でのブドウ栽培は、どのようにして広がっていったのか紹介します。

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甲州ブドウを広めたのは

甲州ブドウ
平成28年(2016年)におけるブドウの全国の結果樹面積は1万7,000haで、収穫量は17万9,200t、出荷量は16万3,800tです。日本国内の果物において、収穫量や出荷量で5指に迫るまで、どのような道をたどってきたのでしょうか。

6~8世紀ごろには、「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」と呼ばれる、ブドウの絵が描かれた青銅鏡が各地で出土しています。これらは唐製のものがほとんどですが、青森県の三内丸山遺跡からブドウの種子と思われるものが発見されており、縄文時代にはすでにブドウの仲間が存在していたことが明らかになっています。

栽培が日本で広まったのは奈良時代ごろから。そのきっかけはあくまで伝承的なもので、はっきりしません。有力な説は、大仏建立に大きな力を果たした僧・行基が甲斐の国を訪れた時のものです。行基が勝沼にある柏尾の渓谷で修行していた際、夢で手にブドウを持った薬師如来が現れました。行基はその後夢に出てきた薬師如来像を作って、寺(現在の柏尾山大善寺)に安置しました。その後、行基は薬園をつくり、法薬としてのブドウの作り方を村人に教えました。これが現在に続く甲州ブドウの始まりとなったという言い伝えです。

そのほかにも、平安時代末期に勝沼の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)が栽培したのが甲州葡萄の始まりとされる説があります。

爆発的に広がることはありませんでしたが、甲州種のブドウは中世、近世を通じて着実に栽培されていきました。この時代には、生食が中心だったようです。

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