牛肉で起業した幕末の実業家 芝浦と場・食肉市場のあゆみ前史

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牛肉で起業した幕末の実業家 芝浦と場・食肉市場のあゆみ前史

牛肉で起業した幕末の実業家 芝浦と場・食肉市場のあゆみ前史
最終更新日:2019年05月22日

首都・東京で流通する食肉の大部分を送り出す、芝浦と場・食肉市場。
巨大ターミナル・品川駅のすぐそばに設けられたこの施設には明治期以来の日本の畜産の歴史が集約されています。
食肉市場センタービル6階の「お肉の情報館」に展示されている年表「東京食肉市場のあゆみ」に基づいて、施設の発展のストーリーを辿っていきましょう。食肉流通事業の元祖は幕末に現われ、東京で初めてと場を開いた、ひとりの起業家です。

中川屋嘉兵衛の野望

写真提供:函館市中央図書館

40歳で江戸へ、50歳で横浜へ進出

東京初のと場は1867(慶応3)年、荏原郡白金村(現在の品川区上大崎一丁目周辺)に開かれました。これを作ったのは中川屋嘉兵衛(なかがわやかへい)という人です。
徳川家康と同じ三河(現在の愛知県岡崎市)出身の嘉兵衛は、京都で漢学を修めた後、40 歳で江戸に出て、イギリス公使の料理人見習いをしながら英語を勉強。欧米人相手のビジネスをやろうと計画を練ります。そして1865(慶応元)年、50歳になった時、開港して間もない横浜に居を移しました。

牛乳販売事業を開始

横浜に来た嘉兵衛は最初、塵芥処理をする人夫などの仕事をしていましたが、 ほどなくしてアメリカ人医師の雇人に。そこでつかんだビジネスチャンスが牛乳の販売でした。
外国人の間で牛乳のニーズが非常に高いのを知った嘉兵衛は、これを事業にしようと現在の中区にある洲干弁天(しゅうかんべんてん)付近で搾乳業を開始。その医師を通して、びん詰めの牛乳を在住の外国人に供給します。

イギリス軍の食料用達商人になる

しかしこの事業が軌道に乗り始めた頃、乳牛を飼っていた牛舎を火事で失うという不運に見舞われ、牛乳販売は失敗。しかし彼は挫けることなく、今度は通称トワンテ山に駐屯していたイギリス軍兵士たちの食料用達商人になります。
 ちなみに「トワンテ山」とは、現在の「港の見える丘公園」にある横浜市イギリス館周辺地域で、イギリス狙撃兵第21連隊が駐屯していたために、ついた名称とされています。

中川屋嘉兵衛の洋食事業

野菜果実からパンへ、パンから牛肉へ

ここで嘉兵衛は最初、野菜果実を仕入れて納入していましたが、イギリス兵と親しくなるうちにパンのつくり方を習い、すぐさま小麦を原料としたパンやビスケットづくりにも着手。さらに牛肉のおいしさと栄養価、そして横浜に在留する欧米人が総じて牛肉好きなのを実感すると、牛肉の販売を新しい事業にしようと行動を起こしたのです。

公設屠牛場で牛肉ビジネス

ちなみに横浜の外国人居留地最初の屠牛は、1860年(万延元年)春、横浜ホテルで行われたとされています。1865(慶応元)年には外国人側の要求により、幕府が北方村字小港(きたかたむらあざこみなと)に公設の屠牛場を設けました。これは現在の中区小港町のあたりです。
嘉兵衛は1866(慶応2)年から、その小港屠牛場で処理される牛肉を販売し始めたのです。

白金村で屠牛場開設

しかし、まだ鉄道も自動車もなく、冷蔵・冷凍保存の技術も開発されていなかった時代のこと。納入先のメインである、芝高輪の英国大使館まで、横浜から鮮度を保って肉を運ぶのは至難の業です。すぐに「近くに屠牛場を設けたほうがいい」と考え、現在の都内港区周辺で借りられる土地を探しました。
これには散々苦労したようですが、やっと白金村の堀越藤吉(ほりこしとうきち)という名主が、畑の一部を貸与してくれました。そこで屠牛場と牛肉販売店を開設。嘉兵衛はほどなくして芝露月町で「牛鍋(すきやき)屋」も開業しました。

「御養生牛肉」の牛鍋屋も開店

しかし彼はこの事業の成功に甘んじることなく、さばいた牛肉を保存し、より販売しやすくするためには氷が必要であることに思い至り、今度は製氷業を開始。新しいビジネスを始めるにあたって、、土地を貸してくれた堀越藤吉に自分の名義「中川」を残したまま、牛肉販売と牛鍋屋の経営権を譲りました。この「中川」は幕末から明治初期にかけての東京の牛鍋の有名店となり、店先には「御養生牛肉」と書いた旗が掲げられていたそうです。

明治・大正・昭和のと場

この後、明治2(1869)年に築地で公営のと場が開かれたのを皮切りに、都市化の進展と業者間の競争などによって、各地で私営と場の開設・廃止が繰り返されました。
その中で整備が進み、1906(明治39)年、屠場法が制定され、1936(昭和11)年、埋め立て地だった芝浦に東京市営と場、および家畜市場が建設。東京都直営のと畜業務がスタートしたのです。

中川屋嘉兵衛の活躍から始まった東京の食肉流通

農業

バイタリティ溢れる幕末明治の実業家、中川屋嘉兵衛の活躍によって開かれた東京のと場。文明開化の世の中となり、日本人の生活に西洋文化がどっと流れ込んできた明治。庶民にも肉食が行きわたり始めた大正、昭和と時代が下るのにしたがって、食肉の需要、そのための処理施設の重要性はどんどん膨らんでいきます。
なお、嘉兵衛が開いた白金村のと場が、現在の上大崎のどこにあったのかは厳密に特定できないようです。

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