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自分らしく、この地域らしく、村を元気に

自分らしく、この地域らしく、村を元気に

2018年05月20日

信州安曇野に位置する長野県松川村は、北西に北アルプス連峰がそびえ、山から流れる水が大地を潤す、自然環境豊かな人口9,790人の村です。古くから稲作の盛んな村で、米づくりに励む茅野良(ちの りょう)さんは39歳。結婚を機に、サラリーマン生活を離れ、32歳で就農。現在は米生産の傍ら、企業勤務時代の経験を活かした設備メンテナンスの仕事と、農業イベント事業を行う会社を営むほか、北アルプス山麓わさび生産組合に属し、陸わさび(畑わさび)の生産に力を入れています。「一日一日、生きている実感を得る毎日」を心がける茅野さん。この場所、この地域を必要とし、必要とされる若手農業者の「自分らしく生きる」現在地。

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32歳、農業という決断

今を遡ること7年前の2012年、32歳の若者が長野県松川村で米農家としての道を歩み始めました。サラリーマン生活に別れを告げ、就農した茅野良(ちの りょう)さんは、結婚を機に義父の営む米生産の現場に加わり、農業の世界に飛び込みました。
「仕事が面白くなくなったのでもなく、行き詰まりを感じたわけでもなかったけれど、30歳を超えて、この先、どのように生きていくかを考えていた時期」に、60歳を超えてなお、元気に働く義父や、地域の先輩農家の姿を目の当たりにして「定年がなく、自分の考え方次第で自由に動ける農業に関心を持った」と言います。
義父は、30町歩の水田で稲作を行う大規模な米の生産農家。稲作に自動化の波が訪れた早い段階から機械化に取り組み、田んぼで活躍する田植え機、コンバインから、収穫後の乾燥機、もみすり機、選別機に至るまで、設備投資が完了している恵まれた環境を活用できることも決断理由の一つ。「この設備を活用しない手はない」と思い、義父の指導の元で、文字通り一から米作りを学びました。
それまで経験してきたサービス業は、一日中、目の回るような忙しさの中での接客がメーン。もともと体を動かすことが向いていると自負していたものの「想像していたよりも重労働だと感じた」米作りの現場。初めて実りの秋を迎えたときは「感慨深かった」と振り返ります。

自分にできること、自分しかできないこと

「起きている時間、仕事ができる時間は、自分の判断でなんでもやる。依頼された仕事は断らない」。企業を辞めたときに自分で決めたルール。茅野さんは稲作に従事する一方で、サービス業施設の設備メンテナンスと、農業イベントを運営する会社の代表という顔を持っています。顧客からの「続けて欲しい」という要望に応え、設備メンテナンスの業務を請け負うために立ち上げた会社は、集客イベントの会場で、野菜のつかみ取りなどの農業企画を運営する事業も併せて行っています。「野菜のつかみ取り」は、地元の農家との交流の中で、流通に乗せられない形の野菜を活用する方法を話したときに生まれたアイデアを実現したもの。ほかにも、屋台や市場、様々な形態で松川産の農作物を提供する企画は、長野県のみならず、愛知県や静岡県などからも依頼が届く人気コンテンツに。会社の経営は、農業に携わったからこそ加わった茅野さんの仕事です。

「陸わさび」 ほかにはない個性を作る

米の生産者と企業経営者。茅野さんの仕事はそれだけに止まりません。松川村と周辺自治体の農業者で組織する北アルプス山麓わさび生産組合に所属し、わさびの生産に挑戦しています。
もともと安曇野は水がきれいで、ワサビの生産が盛んなエリアですが、茅野さんたちが手掛けるのは、水の流れる浅瀬で栽培する水わさびではなく、陸わさび(畑わさび)と呼ばれる畑で栽培するわさびです。
高齢化や後継者不足による農家の減少は、松川村も例外ではありません。それに伴う米の生産量、流通量の減少。その対策として、生産者や自治体関係者が、米に次ぐ村を代表する農産物を検証していた中で、陸わさびにたどり着いたのは、茅野さんが就農した時期と重なります。
陸わさびは、大量生産できないことや、手間がかかること、品質の高いわさびを作る最適解やノウハウがなく、栽培が難しいとされる作物です。生産組合に所属する農家は、北アルプスの冷涼な空気と、林が作る木陰の日照量が作り出す環境が栽培に適しているという条件と、どこでも作れるわけではないという優位性、世界的にニーズがあるというプラスの要因を追い風に、陸わさびの生産に取り組んでいます。
わさびの花はJA、茎や根の部分は加工会社と、販路は確立しているものの、思うような生産量を確保できない試行錯誤を繰り返し、「ここ1、2年、ようやく安定出荷の光が見えた」という現状。何度も諦めかけても、挑戦を続けた理由は、この土地、この地域の農地を守らなければならないという使命感。「この村で、農業を一生の仕事にしようと考えたときから、自分の土地と他人の土地の差がなくなった」と言います。

「農業」で地域に貢献していく

 

「高齢化の進む村で、農地を守っていくためには高齢農家をサポートするのは必要なこと」と、茅野さんは田起こしや畔焼き、ラジコンヘリを使っての空中散布などを率先して行っています。畑を維持し、荒れ地を作らないために、地域ぐるみで何をできるか、何ができるかを考え、実行に移す。そのスピード感は「企業に属した経験が生きている」と自負しています。
自分が就農したときに、支えてもらった恩を返す意味もあって、農業研修生の受け入れも積極的。村が主導で実施する修学旅行生の農家民泊にも協力し、中学生に農業体験をしてもらうことにも「自分自身の気づきがある」と話す茅野さんは、彼らを「後継者ではなく、将来の仲間」と表現します。
地域の基幹産業である農業に携わるすべての人がいつまでも笑顔で、自分自身がやりがいや充実感が得られるように。茅野さんの「農業」はいつも地域とともにあります。

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