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「古来種野菜」とは?伝統野菜の八百屋が語る野菜と種の話【前編】

「古来種野菜」とは?伝統野菜の八百屋が語る野菜と種の話【前編】

「古来種野菜」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。いわゆる「伝統野菜」や「在来種」など、古くから種が続いてきた野菜を総称したもので、それらを専門に扱う八百屋「warmerwarmer」の高橋一也さんがつけた呼び名です。20〜30代を料理人やバイヤーとして過ごした高橋さんは、この野菜に出会って、人生の舵を大きく切ることになりました。全国に何千種類もあるとみられながら、都会ではあまりお目にかかれない、そんな知られざる野菜とその種について高橋さんに話を伺いました。

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種が代々受け継がれてきた野菜

「古来種野菜」と名付けた理由

―「古来種野菜」とはどんな野菜のことでしょうか。

いわゆる「伝統野菜」とか「在来種」「固定種」と言われる野菜の総称で、種が代々受け継がれてきた野菜のことです。僕が付けた名前ですが、この名前に特別にこだわっているわけではなく、自分でも伝統野菜とか在来種と呼ぶことがあります。

古くから種が続く野菜を「古来種野菜」と名付けた(写真:「warmerwarmer」HPより)

―新しい名前をつけた理由は?

実は「伝統野菜」というのは地域ごとに定義が違っていて、「在来種」や「固定種」も人によって解釈が違ったりする。そのため、八百屋を立ち上げて間もないころ、伝統野菜や在来種の定義について議論を投げかけられることが多かったんです。僕としては種を守りたいからやっているだけなのに、本質ではない議論に巻き込まれるのを避けたかった。

それに、この野菜の大切さを伝えたいターゲットはマニアの方でも研究者の方でもない若い人。2011年以降の新しい潮流の中で、若い世代に向けたメッセージを発信するには新しい言葉が必要だと思ったんです。


◆プロフィール◆
高橋一也(たかはし・かずや)
1970年生まれ。高校卒業後、中国上海の華東師範大学に留学。その後、(株)キハチアンドエス青山本店(当時)で調理師として勤務。1998年に自然食品専門店(株)ナチュラルハウスに入社。店長、エリアマネージャー、販売部長、農産物のバイヤー、人事などを経験し、2011年、同社取締役を辞任して独立。同年、「古来種野菜」の普及・販売を行う「warmerwarmer」を立ち上げる。

全国に1000種類以上の野菜がある

―古来種野菜の魅力は?

どれもすごく個性的です。同じ種を植えても、育つスピードも形や大きさも違う。人間と同じです。そして、味わいが深いですね。とびきり美味しいものもあれば、正直言ってそのままでは食べにくいなと思うものもある。ピーマンは売場に匂いが広がるほどだし、大根はすごく苦い。でもその苦みが漬け物にしたときには旨味に変わったりする。

―どのくらいの野菜の種類があるのでしょうか。

「都道府県別地方野菜大全」(農文協)という本に、1980年のデータとして、1214種類の野菜の地方品種があるという記載があります。大根だけで110種類、なすが67種類、かぶが78種類、きゅうりが50種類。

でも、もっとある。農家さんのところを訪ねると「こんなのもある」とリストにない野菜が次々に出てきます。名前もついていない野菜が全国にたくさんあるんですよ。2000種類以上あるんじゃないかと思います。一方で、途絶えてしまった野菜もたくさんあると思う。

五木赤大根。同じ種でも人間と同じように同じものは一つもない大根になる(写真:「warmerwarmer」HPより)


 

スーパーに並ぶ野菜はほんのわずか

―都市部の食品スーパーにはそんなに多くの種類が並んでいませんね。

スーパーで扱うのは一つの野菜につき1〜2種類でしょうね。それも一代雑種の「F1種」の野菜ばっかり。そもそも在来種の野菜って流通に乗りづらいんです。大量生産に向かないし、大きさや形などの規格も揃わない。旬の時期にしかとれないし、地方から持って来る間に痛んでしまうこともある。

それに、テレビの料理番組でも料理雑誌でも、大根といえばみんな青首大根ですよね。それを見た消費者はやっぱり青首大根を求めるし、スーパーも農家も売れるものを作って並べたいのは当然だと思います。スーパーだったら、ごく一部でブランド野菜が売っているくらいですよね。

伝統野菜の虜になるまで

キハチの厨房で鍛えられた

―もともとは料理人をされていたんですよね。

僕はイタズラ好きで、人を喜ばせるのが好きなんです。音楽も好きでパンクバンドをやっていた。料理学校で学んだ経験もないけれど、ダメ元で働かせてくれと頼んだら、変なヤツだと面白がられて有名レストランの「KIHACHI(キハチ)」に入れてもらった。

キハチにいた影響は大きいでしょうね。創業者の熊谷喜八(くまがい・きはち)さんは野菜にも魚にもこだわっている方で、直接畑にいって農家さんとの付き合いもしていた。当時は週一回、店の裏に無農薬野菜を売りにくるトラックが来ていたんですけど、喜八さんがその場で野菜を選んで夕方のメニューが決まる。

料理人としては、けっこうプレッシャーですよ。でも、そのライブ感はなんともいえないものがあった。一年を通じていろいろな野菜を料理して表現する面白さと、食べた人の笑顔を見たときの喜びは大きかった。

形に特徴のある“木引かぶ”(右)は室町時代から続く野菜だという(撮影:菊地由美子)


 

オーガニックを仕事にしようと思った

―その後、オーガニック食品を販売する「ナチュラルハウス」に中途入社されました。

まだキハチにいたころにサンフランシスコに行く機会があって、ヒッピーの知人に勧められたカリフォルニア州バークレーの「シェ・パニーズ」を訪れた。オーガニック料理の母とも言われる料理人アリス・ウォータースが開いた店です。日本に帰ってアリスの記事を読み漁るうちに「料理で世界を変えようとしている人がいるんだ」と思って、オーガニックを仕事にしようと考えた。

一方では料理人としての挫折感もあったんです。一流の料理人には研ぎすまされた感覚があった。味覚が形になって見えるっていうか。それが僕にはなかった。料理人として一流にはなれないなと思いました。

畑の端で栽培される在来野菜に出会った

―ナチュラルハウスではバイヤーをしていたんですか?

小さな店の店長から始めて、業績の悪い店をどんどん立て直して最後は青山本店の店長もやりました。その後、本社に上がってから野菜のバイヤーとして全国を飛び回った。ちょうど有機JAS認証の表示規制が始まるころで、協力してくれる農家さんの開拓をした。

在来野菜の存在を知ったのはその頃です。最初は意識にとめていなかったんですよね。畑の脇で栽培される野菜を見ても、「種が大事」という農家さんの話を聞いてもピンときていなかった。でも、あるときにすごい野菜に出会ってしまって、いまのような活動を始めることになったんです。
 
◆高橋さんの人生を変えた野菜との出会いとは。
【後編】では独立のきっかけや、種を守る意義について話を聞きます。
 
warmerwarmer

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