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元パティシエが目指すカッコいい農業【前編】「清潔感のある農業」

元パティシエが目指すカッコいい農業【前編】「清潔感のある農業」

千葉県山武(さんぶ)郡にあるアグリスリーは、梨、米、加工を柱とした事業を展開しています。代表を務める實川勝之(じつかわ・かつゆき)さんは元パティシエという経歴の持ち主。この「元パティシエだからこそ」の視線で農業に革命を起こそうとしています。そのひとつは農業にあるプロダクトアウトからプロダクトインに転換させること。たくさんのケーキからお客さんに好きなものを選んでもらうような農業を推進しています。

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農家は自分達に価格決定権を取り戻すべき

千葉県山武郡にあるアグリスリーは、農作物の生産、加工、販売から飲食店の経営、農業コンサルタントまで多角的に事業を展開しています。

代表の實川勝之さんは農家を営む両親の元、3人男兄弟の次男として生まれました。料理が好きだったことから調理師学校に進み、卒業後は千葉県にある洋菓子店「シューベルト」に勤め、パティシエとして活躍するようになります。
ところが、働きだして1年ほどしたころ、父親が大きな怪我をしてしまいます。
「そのときは丁度、実家では作付けの最中。作業を止められないということから、急遽、私が手伝うことになりました」
事情が事情なのでただ単に手伝うだけ、という気持ちだったそうです。パティシエの仕事が面白くなっていたころです。目の前の作業を片付けたらまた、パティシエに戻ろう、そう考えていました。

「でも、初年度に作った大根を大量廃棄しないといけなくなったことから考えが変わりました」
陽気に恵まれ豊作だったのは良かったのですが、たくさん取れたため、市場価値が下がり、野菜の価格が暴落。作れば作るほど赤字になってしまうという事態になります。
「こんな、市場相場に左右されてしまうような経営はリスクがありすぎる、と思いました。価格決定権を自分たちに取り戻すにはどうすればいいかと考えました」
實川さんは夢だったパティシエを辞め、実家の農家を継ぐことを決意します。

たわわに実った梨

梨の栽培に元パティシエの経験を活かす

2001年に實川さんがまず最初に取組んだのが、梨事業でした。
「梨の栽培は私が始めた新規部門です。パティシエの目線で梨作りをしたいと思ったんです」

實川さんは農家にあるイメージをケーキ屋のような「清潔感」に変化させることに取組みます。それが、雑草もなく、木と木の間隔が一定で、高さも均一な、綺麗に並んだ「梨の木」たちです。
「弊社の梨園はケーキ店でいうところのショーケース。梨農園では日本一、綺麗だと自負しています。他の梨農園の経営者が視察に来られますが『こんなに綺麗な梨園は見たことがない』といってくださるので、多分、本当だと思います(笑)」
果実の梨を綺麗に育てよう、という梨園は多いですが、梨園を綺麗にしようとは、普通は思いません。しかし、綺麗に並べることで太陽の光や土から吸収する水や養分がどの梨の木にも均一に届き、結果的に良い梨に成長するといいます。

それと、もうひとつ、理由がありました。
「千葉は全国一の梨の生産地です。なのに山武郡には大きな梨農家がない。だったら私たちがこのエリアをカバーしようと考えたんです」
この作戦が功を奏します。しかし、マーケティングから考えただけではありません。
「ほとんどの農家はプロダクトアウトです。バイヤーさんや市場が求めているものを作っているだけ。梨にしてもその時期に取れた幸水(こうすい)や豊水(ほうすい)などをお店に並べて『買ってください』といっているだけ。消費者の気持ちは無視している、ちょっと乱暴だと思いました。私がやりたかったのはプロダクトイン。消費者の声を聞き、消費者も気づいていない欲求に対して梨を提供することでした」

そのため、梨の直販所を作り、直接、お客様に販売しています。最初は8種でスタートした梨も、若光(わかひかり)や筑水(ちくすい)、なつしずく、秋麗(しゅうれい)なども加わり35種類以上になっていました。
「AとBしかないから、AにするかBにするか、と迫るのではなく、いろんな選択肢があった方がいいじゃないですか。お客さんにはいろいろと食べ比べてもらって、自分の好みを見つけて買って帰ってもらいたかったんです」
8月初旬から10月上旬まで、さまざまな梨を提供しています。梨に関するノウハウもないところから、パティシエの目線で作った梨と直販所。これが大成功を納めます。

直接、お客様に販売する梨

消費者から直接、声を聞くことができる

どうして成功できたのでしょう?と訊ねると「成功したとは思っていませんが(笑)。やはり、自分が好きで始めたことなので楽しい。それが上手くいった理由かもしれません」とのこと。
2001年にスタートさせた梨事業は2006年から初収穫ができ、翌年の2007年に梨の直売所を開設します。直売所で買ったお客さんは「こんな珍しい品種はここにしかないから、また来年も来るね」とか「友達にも食べさせてあげたいから注文するね」と声をかけてくれるそうです。
「声をいただけるのは生産者にとって、とてもありがたいことです。両親がやっていた市場出荷だけのビジネスでは、こんなお客様の生の声は聴けなかったでしょう」

もちろん、自分で直接売る、ということは自分にダイレクトに反応が返ってくる、ということです。
「責任は付いてきます。でも、その責任を負ってでも、自分でやりたかった。私自身、いろんな梨を知りたかったし、品種の特徴も知りたかった。そのうえで自信を持ってお客様に買っていただく。そしてお客様に喜んでもらえる。そこに満足感があります」
最初は父親が怪我をしたから、ということから始まった農業が、實川さんを大きく変えたのです。
「そもそもやり始めたのは危機感からです。経営のすべてを市場に頼る、というのはリスクがあります。だからリスクを分散し、回避する必要があります。でも、リスク回避だけを考えていても面白みがありません。自分のやりたいことを突き詰めることが大事だと思います」

個人経営だった實川農園でしたが、2011年に株式会社アグリスリーとして登記してリスタートします。
社名は實川さんがパティシエだったことから、アグリとパティスリーを組み合わせた造語でアグリスリー、と決めました。しかし、現在は3つのアグリ(agriculture/地域の農業文化を守ります。agrinature/自然と人を、農業を通して繋ぎます。agrifuture/農業を憧れの職業にします)をコンセプトとし、生産するだけの農園ではなく、公園のように地域を護り、人々に愛される「アグリパーク」を目指しているといいます。
「規模が大きくなってきて、私だけの『想い』に限界が来ていたので、ブランドコンセプトを見直しました」
そして、『ひとと地域をともす』をミッションとし、「『「あなただけ、あなただから』」を増やす」』をビジョンに掲げました。
リスク分散のため、梨以外にもカボチャや米、ミニトマト、葉ネギの生産にも取り組んでいます。
特に米の生産に力を入れており、精米プラント新設し、古代米の作付けを開始。そして、新しいお米「恋の予感」のためにプロジェクトを立ち上げました。

後編では、アグリスリーが取り組む「恋の予感農業女子プロジェクト」を紹介します。
 

株式会社アグリスリー
 

アグリスリー代表の實川勝之さん

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