野生動物の食生活
なぜ野生動物が人里にやってくるのかを知るには、野生動物の素顔を知り、私たち人の生活と野生動物の生活が大きく違うことを認識する必要があります。
そんなことは当たり前だと思っていても、私たちはつい、人の価値観で野生動物を見ています。
野生動物は生活のほとんどを休息と餌の探査で占められています。
たとえばイノシシ。彼らは1日のうちの3分の2を休息に費やし、3分の1を活動に充てています。活動のほとんどが餌探しで、1日7~8時間餌を探していることになります。
言い換えると、休息以外の時間のほとんどを割いて餌を探さなければ命をつなぐことができないのです。
イノシシは、土を掘って植物の根や幼虫を見つけ、河原では石を転がして川虫やサワガニを探します。
体の大きなイノシシにとって、ひたすら石を転がしても、得られる川虫などは豆粒のようなものです。
皆さんの食生活はいかがでしょうか。忙しい現代人は1日の食事時間が1時間に満たない方も多いのではないでしょうか。
イノシシの気持ちになってみましょう。
まず、皆さんが食べるお茶碗のお米を外にばらまいてください。次にばらまいたお米を一粒ずつ探して食べてみましょう。普段ならあっという間に食べてしまうお茶碗一杯のお米を、全部見つけて食べるのに1時間や2時間かかってしまうのではないでしょうか。そして、これだけ苦労したら、食べ終わった時にお腹が減ってしまうのではないでしょうか。
野生生物の自然死が減った理由
野生動物にとっての餌は確実性が低く、低密度に存在する場合が多いのです。季節や年による変動も大きく、冬場や凶作の年では餌が不足して餓死したり、抵抗力の低下から風邪をこじらせ死にいたったりすることもあります。いわゆる自然死です。
真冬の餌のない時期の野生動物は必死に餌を探します。餌がなかなか得られなくなったイノシシは普段より遠くまで餌を探し歩きます。以前は山の中で薪(たきぎ)をとるなど、多くの人が作業をしていました。イノシシは山際に近づくと人に見つかり追いかけられます。うまく人を避けて、山際に出てきても、昔は人がたくさん住んでおり、子供達が数十人まとまって遊んでいます。子供達に見つかろうものなら、集団に追いかけられて逃げるしかありません。それに気づいた大人が鉄砲を持ち出し……。
結局、元の場所で餌を探すしかなく、死んでいきます。
ところが今はイノシシが山を下りても人を見かけない、山際の竹林も管理が放棄されて真っ暗で良い隠れ場所であることを学習します。
すると、12月になれば地中に埋まったタケノコを食べはじめます。竹林から顔を出しても人の気配はほとんどなく、代わりに山際に捨てられた作物残渣(ざんさ)の山を見つけます。そこには、白菜やレタスなどの冬野菜やかんきつ類が捨てられています。
人にとっては泥がついたり、虫が食ったりしたゴミですが、シカやイノシシにとっては、山の中では見たことのない、最高にみずみずしく栄養価が高くおいしい作物です。
かんきつ類に至っては、甘くておいしくビタミンC豊富です。
野生動物は風邪をひかないでみんな生き残るかもしれません。
山際にジャガイモの種イモを捨ててある光景もよく見かけます。1日に何時間もかけて餌を探す野生動物が、ジャガイモの山に遭遇したらどうなるでしょう。まるで、短時間でお腹を満たすことのできるバイキングレストランです。
こうして徐々に、野生動物たちは人里の餌の価値に気づいていきます。
人間は野生動物に餌付けしている?
本来、餌がない冬場は、野生動物が自然死によって自ら個体数を減らすことができます。しかし、野生動物が一年を通して栄養価が高く、高密度に餌が存在する場所を知ってしまったら、どのような行動をとるでしょう。
人里では山際から人が消え、誰も収穫しない柿、栗、ビワ、クワなどの放任果樹や、竹林などが散在しています。
後継者がなく、閉園した栗園を想像してください。
数百本の栗の木が伐採されることなく放置されます。もう、人は来ません。翌年からたわわに実った栗は全て野生動物の餌になります。
加えて、農地周辺では耕作放棄地が増加しています。
野生動物はこの環境が格好の隠れ場所であることに気づきました。耕作放棄地に隠れて、作物残渣や放任果樹を食べて冬場の命をつなぎながら、春には最高においしい畑や水田に気がつくのです。
私たちは知らず知らずのうちに野生動物に餌付けを行い、誘引し、隠れ場所まで提供しているのです。これらの野生動物に対する餌付け行為は、人里に行けば一年中安定して餌が得られることを野生動物に学習させています。
人が作った環境が年間通して野生動物を養い、自然死を減少させ、農作物の価値さえも教えているのです。