東京都心にも、連綿とつづく農業があった
農業は、ふつう、自然豊かな地方で行われている商売です。よもや、首都・東京の中央部に、農家がいると聞いたら驚くことでしょう。東京23区に住んでいる人も、そこに農業があるなんて、大半の人が気づいていません。しかし、そこには日々、農業に勤しんでいる農家がいるのです。
見方を変えれば、東京であえて農業を行っている農家は、ともすると地方の農家と同じかそれ以上に、農業へのこだわりが強いと言えるでしょう。
ちなみに数字で言うと、東京23区内には約486ヘクタールの農地があります(2019年、農林水産省調べ)。
さすがに、中央区などの都心中の都心には農地はありません(企業や学校が開設している小規模な菜園は除外)。
一方で、練馬区や世田谷区には比較的農地がまとまって残っています。今回は、その2つの区よりも、さらに都心に近い場所にある農園を取材しました。
ひとつは江戸川区の瑞江駅(都営新宿線)、もうひとつは高級住宅街である目黒区の自由が丘駅(東急東横線)から歩ける場所にあります。
都心での単品勝負
まず、都心部で、農業の王道ともいうべき“単品勝負”でしっかり売り上げを立てている農業を紹介します。
ちなみに、東京都全体としては、野菜の少量多品目生産をしている農家が多いです。足元に大きなマーケットがあり、消費者のニーズが多様化しているので、おのずと葉菜、果菜から根菜、ともすれば果物(典型的なのはブルーベリーやキウイフルーツ)まで、一軒の農家で作ることになります。
そうした戦略と真逆をいくのが、江戸川区の小松菜栽培です。
江戸川区には小松菜の単品勝負をしている農家が多数あります。基本はハウス栽培で、ひとつの畑で年6~8回転させます。畑の面積が限られるので、坪効率(一坪当たりの売り上げ)が重要です。
坪効率を最大化しつつ、鮮度が大事であるという作物の特徴を生かして、豊洲など近隣の市場で販売するのが一般的な形です。
今回取材した小原農園は、そのなかでも先進的な取り組みを行っている農園です。
地下鉄の都営新宿線瑞江駅から歩くこと10分、小原農園の小松菜のハウスが並んでいます。
広さは約25アール。
地方の農家の方は、いくらなんでも狭すぎる、ときっと思われたはずです。
しかし、この狭さこそ、高収益な農業を生み出す小原農園の神髄といえるでしょう。
ハウスに入ってまず驚くのは、足の踏み場がない、ということです。
園主の小原英行(こはら・ひでゆき)さんいわく、「1条減らしただけで、収益が何万円か変わると思うと、どうしても通路がなくなってしまう」とのこと。それほど面積効率は大事です。
そして、収穫したそばから次の作型に入ります。
小原さんのモットーは、1人当たりの収益性を最大化すること。そのために、作業の効率性をつねに工夫しています。
数年前までは、両親とパート社員を含めた4人体制でした。しかし、母親が農作業から引退、パート社員もいなくなり、現在は父親と2人で以前より高い売り上げを上げているということです。
作業性を良くするために、土には赤土を半分混ぜています。収穫時に、根っこから土を落ちやすくするためです。
味を良くするためだけではなく、作業性のために土を変えるというのは、目からウロコの農家さんもいるのではないでしょうか。
また、農業機械の減価償却も大きなコストになりえますが、小原農園には古いトラクターが1台あるだけ。驚くほどの低コスト経営を実現しています。
他にも、小原農園にはここには書ききれないくらいの収益性を高める工夫があります。
一方、売り上げの面では、小松菜は市場の相場が大きく下がりやすいことが長年の課題でした。
そこで、小原さんは市場出荷をだんだんと減らし、現在は給食用に食材を納入している業者4社と冷凍加工業者1社と取引をしています。そして、その取引価格はあらかじめ決定されています。
これが他の江戸川区の農家と大きく異なる点で、小原農園では以前よりもはるかに安定した収益を見込めるようになりました。
また、こうした業者が希望するのは、高い品質と同時に、安定的な商品供給です。そのため、小原さんは技術力のある近隣農家とグループを結成、商品が足りないときには融通しあっています。
さらに特筆すべき点は、市場に比べて、給食で求められる小松菜は比較的大きいサイズであるということ。契約は重量ベースなので、1株を大きく育てた方が面積効率が上がるというわけです。
つまり、売り上げ面(単価の安定化)と効率面を両立させる、一石二鳥の販路変更でした。
小原さんは取引先の業者とは積極的に情報交換し、最新のニーズを把握するようにしているということです。
「農業には独特の文化や慣習があって、他の産業からすると近づきにくい。農家に、良い意味での損得勘定があった方がわかりやすく、他の産業の人が付き合いやすくなって新しいマッチングも生まれてくるはずだ」と小原さんは語ります。
小原農園のポイント
・1人当たり収益の最大化を目指した経営
・市場出荷メインから、給食業者・冷凍加工業者への切り替えで、単価が安定
・商品供給を安定させることで、業者との取引がスムーズに
高級住宅街の体験農園
2つめのケースは、小原農園とは全く異なる事例と言ってもいいです。栽培品目を絞り込み、技術を追求することで栽培効率を高めるという「小原農園」に対して、こちらは都心では希少な「畑」という空間の価値を活用しています。
東急東横線といえば、東京近郊きっての高級住宅街を走る路線ですが、なかでも目黒区・自由が丘は、ショッピングやグルメを楽しめるオシャレな街です。そんな自由が丘駅から歩くこと15分、目黒通りを渡ってすぐのところに宇津山裕和(うつやま・ひろかず)さんとその家族が営む農園「八雲のはたけ」はあります。
農園の周囲は家やマンションなどが建ち並ぶ住宅街ですが、地域には他にも数軒の農家があります。
筆者が訪ねたときには、地元の学校の給食に出荷する大根の収穫の真っただ中。東京・目黒に住む子供たちが、地元でとれた野菜を食しているとは意外です。
宇津山さんは長男ですが、両親から農業を継ぐように言われたわけではなく、大学卒業後の13年間はIT企業に勤務していました。
宇津山さんの実家は、祖母が農業に強いこだわりをもっていて、日に日に周りの農地がなくなっていくなか、畑を維持してきました。
宇津山さん自身も、この目黒区の中の農地という貴重な場所をせっかくなら残したいという思いが募り、家族みんなの後押しもあって、6年前に就農することにしたそうです。
もともと家業としては植木栽培と造園業がメインで、宇津山さん自身も6年前に就農した当初は、野菜の栽培にはノータッチだったそうです。祖母と近所のボランティアの人が野菜を担当してきました。
とあるきっかけで、宇津山さんは体験農園大手のマイファームに出会います。そうして、地域に開かれた形で畑を維持することが可能だということを知りました。
そこで2年前から、需要の少なくなった植木畑を少しずつ整理し、区画割りをした体験農園としていきました。現在は18区画あります。
土地には起伏があり、ミカンやユズの木もあったりして、変化のある飽きのこない空間になっています。
「今後は、食育を行っている団体のイベントへの貸し出しも検討していきたい」と宇津山さんは語ります。
さて、八雲のはたけの貸し農園の1区画(10平方メートル)の価格は、なんと月2万2千円。ちょっとびっくりするような価格です。
しかし、考えてみれば、目黒区で月決めの駐車場を1台借りようとすると同じくらいかかります。
そして、事実、区画の稼働率は高い水準を維持しています。
田畑が希少な都心だからこそ、その希少性に価格が付いているといえるでしょう。
体験農園に詳しい株式会社農天気の小野淳(おの・あつし)さんは、「都心にもっとも近い農園だからこそ、八雲のはたけの価格は、基準としての意味もある。他の体験農園の経営を勇気づける意味でも、高い価格を維持してほしい」と指摘します。
八雲のはたけのポイント
・目黒区の学校給食にも野菜を納入
・地域に開かれた農園とし、都市住民の「農」へのニーズをキャッチ
・植木畑から体験農園へ、時代の変化を見据えた戦略
今回、東京都心の2つの農家を紹介しました。
経営スタイルに違いはあっても、どちらにも時代のニーズを見据えた経営戦略がありました。
それは都心でも地方でも変わらない、農業経営を貫くテーマではないでしょうか。