厚沢部農業歴1年半。山本和範さんが感じる、町の人への感謝と安心感
2018年12月に地域おこし協力隊に就任した山本和範さん(38)。今春からは自分でビニールハウスを建て、アスパラを植え始めます。厚沢部町にやって来るまでは、アメリカのコロンビア大学で目の病気に関する研究に取り組んだり、帰国後は微生物を活用した医薬品の研究に携わったりするなど、長い間研究施設内で過ごす人生でした。それがなぜ、畑違いである青空の下での新規就農を目指したのでしょうか。
山本さんに聞いてみると、「子供のころから家庭菜園を手伝うことが好きでした。学生の頃から農家になりたい気持ちがあり、高校卒業後に選んだのは大学の農学部。農業をやってから研究者はできないだろうと考えていたので、研究者としてのキャリアを積んでから農家になる道を選びました」と話します。
研究者として一通りのことができたと感じた山本さんは、36歳で農家の道へ。ネット検索で見つけた厚沢部町に連絡を取り、現地へ向かいます。移住の決め手は、役場の人の温かさだったそうで「何でも親身になって相談に乗ってくれました。実際に町へ移住すると、今度は農家の方からも、とても親切にしてもらいました」と笑顔を見せます。
研修でお世話になった農家さんが、手取り足取り自分の時間を投げ打って教えてくれたこともうれしかったし、こちらからお願いをした訳でもないのに、ハウスの様子を見て「もう苗を植えないと駄目だ」と、農家仲間を引き連れて手伝いにきてくれたこともあったそうです。集落全体で自分を受け入れてくれようとしている、厚沢部町の皆さんの温かさに感謝の気持ちを強く持っていると話してくれました。
また初めての土地に移住して、新しいことに挑戦しているのに、山本さんはいつも安心感を持って暮らせているそうです。その理由が、町の仕組みです。厚沢部町には『農業担い手育成対策協議会』という名の組織があり、栽培技術を教える檜山農業改良普及センター、営農計画などを見てくれるJA、就農支援制度などを教えてくれる役場、の3者に加え、先輩農家として農業全般と農村での生活を伝えてくれる指導農業士が連携し、新規就農者の状況を共有し合っています。
例えば、檜山農業改良普及センターのスタッフが農地を見に来て指導してくれた場合、「山本さんの圃場はこんな状態で、こんなことに困っている」といった情報が協議会内で共有され、解決方法を伝えに来てくれます。町全体で自分を受け入れサポートしてくれている、いつも気にかけてくれている、そのことが安心感につながっているのです。
農業歴4年。奥様のために5年以内の“アスパラ御殿”を目指す阿部さん
次に紹介するのが阿部隆二さん(43)。3年間の地域おこし協力隊としての研修期間を終えた後に独立し、今は『阿部農園』を経営。アスパラガスなどを育てています。神奈川県出身の阿部さんはIT関係で働いていました。仕事に漠然とした違和感を抱え、「デスクワークよりも体を動かす仕事がしたいな」とぼんやり考えながら踏ん切りがつかない日々を過ごしていました。
その中で発生したのが、2011年3月の東日本大震災。電気が使えなくて何もできないのに、それでも会議だと会社に呼び出された時、阿部さんの中で、何かスイッチが切り替わりました。都市機能がストップする中、これから生きていくには一次産業しかないと本能的に感じたそうです。そこから就農への道を考え始め、地元の神奈川で農家ができないか可能性を探ります。
ところが土地代のことを考えると、とても無理という現実の壁にぶち当たります。そこで移住を検討し、新規就農者向けのイベントへ行きました。「まずはどのような農業をしたいのか決めないと駄目だよ」というアドバイスを受け、小さい耕作地でも営農できて、収入面でも安定しているアスパラ栽培をすることになりました。移住の候補地として九州などもありましたが、人の温かさ優しさが決め手となり、北海道を移住の地に決め、厚沢部町へやって来ました。
そこから3年間、地域おこし協力隊の立場で、先輩就農者からしっかりと栽培の知識や技術を教えてもらいました。「ただ教えられたのでは覚えない」という考えから、畑を与えてもらい「好きなものを好きなように育てて良いよ」と言われました。振り返ってみても、「自分で考えるという方法で教えてもらったことが良かった」と阿部さんは語ります。
任期が終わった後は、先輩就農者のビニールハウスの一部を譲っていただく形で新規就農をスタート。一からハウスを建てなくて良いので初期費用も抑えられるし、農機具もレンタルで使わせてもらっているし、何といっても師匠である先輩就農者のハウスがすぐ隣にあるので困った時はすぐにアドバイスをもらえるという好条件。
就農して4年が経ち「アスパラ栽培が、分かるようになりましたか?」と聞いてみると「農家の勉強に終わりはない」との答えでした。現在は隣のハウスでスイートコーン栽培にも挑戦しています。阿部さんの夢は、5年以内にアスパラ御殿を建てることです。近くで作業していた奥様はその話を聞き、「期待しています」との言葉を掛けていました。年齢を重ねてからの移住や新規就農だったため、奥様に心配を掛けたそうですが、結婚11年目でも仲が良い2人でした。
地域ぐるみの新規就農サポートで、農業収入のみでも自立した生活が可能に
新規就農を目指すときに、農業経営で生計が成り立つのかどうかがというのが不安の要素になります。家族がいると、尚更です。厚沢部町では、北海道の中では温暖な時期が長く、新規就農者でも育てやすいアスパラガス栽培の適地であるということ。そして町としても、新規就農者が農業収入だけで食べていけることを目指しているのが、一番大きな理由です。そのために3つのサポートを用意しています。
1つ目は、地域おこし協力隊の任期期間を有効に活用できること。農林水産省の『農業次世代人材投資事業』では準備型として、2年間の資金の交付がありますが、地域おこし協力隊として赴任すると、3年間で農業研修を受けることができます。1年サイクルの農業の世界では、知識や技術の習得という観点から、この1年の違いがかなり大きいです。阿部さんも「天候や気温などさまざまな条件は毎年違うので、その時々で栽培方法が変わる」と言います。
2つ目は、先述した『農業担い手育成対策協議会』が新規就農者の情報を共有し、新規就業者が経営や技術面で立ち行かなくなるケースを発生させないように、いろいろな角度から手助けしてくれること。
3つ目は、“良い意味でお節介”な近所の農家の皆さんの存在です。新規就農した方は「周りの方に助けられた。とても面倒見が良い」と感謝の言葉を口にします。
また地域の特徴として懐が広いという点も挙げられます。独自で販路を開拓した農家が、周りから浮いてしまい、付き合いが疎遠になるという話を耳にしたこともあるかと思いますが、ここではそのようなことはありません。自らの努力で売上を伸ばした仲間をリスペクトし、お互い困ったことがあれば、それまでと変わらずに助け合う、それが厚沢部町の流儀なのです。
何でも楽しむ厚沢部の風土。地域ぐるみのサポートは子育てや教育まで
「厚沢部町は、過ごしやすい!」。そう感じる最初のきっかけは、地域おこし協力隊への応募相談で役場の人とやりとりをする時かもしれません。町が持つ明るさが、担当者からも伝わってきます。地域を活気付かせるために特産品のメークインを約400㎏使い、直径2.1mものジャンボコロッケを作り、ギネス申請を目指すといった遊び心があります。また厚沢部町を訪れると、町民皆が大好きという“おらいもくん”というキャラクターに出会えます。ちなみに奥さんは“さつきさん”、長女は“ポテコちゃん”、昨年2019年3月には、待望の第2子が誕生し、一般公募で“はぜるくん”と名付けられました。町のイベントの時は、おらいもファミリーも皆と一緒に楽しみます。
家族での移住を考えている人にとって大切なことの1つに、子育てサポートや子供の教育環境がありますが、この点でも心配いらず。小高い丘の上には真新しい『認定こども園 はぜる』があり、町を担う次世代が大切という考えのもと、町全体で子育てを支援しています。また中学生向けの公営塾もあり、昨年度は生徒全員が志望している学校への入学を実現しているのです。
厚沢部町には『素敵な過疎づくり株式会社』という名前の会社があります。一般的にはネガティブなイメージのある“過疎”をむしろ“資源”と捉えて、PRに使おうという考えで町の振興を担っています。誰もが「住んで良かった」「住んでみたい」「いつまでも住み続けたい」と思える、安全で安心して暮らすことができる町、個性豊かで活力に満ちた『素敵な過疎のまち』の実現を目指すというのが、この会社の理念です。
『ちょっと暮らし』事業という名で、移住体験住宅も整備しているので、厚沢部暮らしをまずはお試しにしてみたいという人は気軽に利用してみましょう。短い滞在時間でも町の空気や人に触れ、アスパラ農家としての新規就農を前提とした移住の検討材料がたくさん集まるはずです。
マイナビ就農FEST ONLINEにて、6月25日(木)17時より動画公開!
【お問い合わせ先】
厚沢部町役場 農林商工課
〒043-1113
北海道檜山郡厚沢部町新町207
電話番号:0139-64-3314
あっさぶ町農業ポータルサイト
厚沢部町公式HP
新規就農について