株主は住民 営農組合の系譜継ぐ
田切農産は飯島町田切地区の250人以上の住民を株主にして設立された。集落営農法人と言ってしまえばそれまでだが、品目横断的な経営安定対策の施行とともに、補助金目的でにわか仕込みに出来上がった組織とは性質がまったく異なる。同対策が始まる前に地域の要望から生まれた自発的な法人である。
話は1986年にさかのぼる。飯島町では第2次農業構造改善事業がすべて終わり、1筆平均が25アールの農地が誕生した。このため、多くの農家は従来持っていた農機具では対応できなくなった。そこで兼業農家が中心となり、農機を共同で利用する営農組合が続々と立ち上がる。
3年後、それらを束ねるようにして地権者がすべて参加する格好で「地区営農組合」が誕生した。周りの地域では精密機械業やIT産業が盛ん。兼業農家は実に8割に及び、彼らの農作業を地区営農組合が請け負うようになった。
しかし、それから10年以上が経ち、営農組合員の平均年齢はいつしか60歳を超えるようになっていた。当時住民を対象に実施したアンケートで「法人ができたら、農地をどうしますか」とたずねたところ、「5年後までには預けたい」という回答は6割に達した。以上を背景にして、地区営農組合の農業生産の仕事を引き継ぐ格好で誕生したのが田切農産である。
飯島町では農家の代表者や行政、JAなどの農業団体などを会員とする「営農センター」が農業振興の企画と立案をする。田切地区ではその計画を踏まえて地区営農組合が農地の利用調整を進め、田切農産が農業生産と農産物の販売を担っている。集落営農の仕組みで言うところの「2階建て方式」である。
農地の維持管理が困難になる予想
筆者が7年前に初めて田切農産を取材したとき、地区の農業はこの体制で当面はうまくいくように思えた。ただ、様子は少し変わってきたようだ。代表の紫芝勉(ししば・つとむ)さん(59)はこう語る。
「これからは農地を貸したい人が一気に増える感じがしてきました。そうなったときに困るのは借りる側の負担が大きくなること。景観維持のための草刈りなどにかかる負担が年々きつくなっている中、引き受ける農地が一気に増えたら、とても対応できない」
これまで地権者が加入する地区営農組合と田切農産の関係は一方通行だった。地区営農組合が利用調整した農地について、田切農産が農業の生産だけではなく草刈りなどの管理も引き受けていた。ただ、経営面積は7年前の90ヘクタールから100ヘクタールに広がり、「経営規模としてはいまがちょうどいいサイズで、これ以上になると厳しくなる」と紫芝さん。
地区営農組合を一般社団法人化した訳

田切農産が農業経営をする長野県上伊那郡飯島町
そこで5年前に踏み切ったのが、任意組織だった地区営農組合の一般社団法人化だ。法人化した理由はいくつかあるものの、今回注目したいのは地区営農組合も農作業を受託できるようにしたことだ。任意組織だと受託はできない。これによって地区では田切農産や専業農家以外にも農作業の委託先ができた。
とはいえ地区営農組合は大型農機を所有していないので、田植えや稲刈りなどはできない。それらは田切農産に委託し、人手を多く要する草刈りや溝さらいなどを専ら請け負うようにした。
それには人手が欠かせない。そこで組合員の対象を全住民に広げた。それまで組合員にしてきた地権者だけではなく、その家族や地権者以外は准組合員として加入できるようにした。組合内では草刈りサポーターという集まりを結成。地区営農組合が発注し、サポーターは働いた時間に応じて賃金を受け取る。

すべての住民に農業に参加してもらうため地区営農組合を一般社団法人にした
准組合員になった人はサラリーマンやその家族が少なくない。彼ら彼女らは多少なりとも農業で収入を得るようになったので、いまや立派な兼業農家である。紫芝さんの狙いはここにある。
「できるだけ多くの人に主体的に関わってもらう。それがこれからの地域と農業の振興にとって必要なことだと思っているんです」
地区営農組合が田切農産から草刈りなどの作業を依頼されるといったことも生じるようになった。かつて一方通行だったのが、いまでは相互の関係が築かれているのだ。
紫芝さんは「新たな兼業農家をつくりたい」と話す。そのために町の来年度事業で企業との連携に基づく「アグリワーケーション」なる構想を練っているという。次回紹介する。