直販中心に独立3年目で年商2640万円
たかすタロファームの経営耕地面積は2020年度が11ヘクタール。収穫したコメはJAに出荷する以外の9割を直販している。その95%以上は個人向け、残りは業務向け。2019年産の実績を見ると年商は約2640万円。独立してから黒字経営を続けている。
敏腕経営者といえる平林さんは筆者の大学の同級生。といっても知り合ったのは卒業してから12年が経った2016年末。拙著を読んでくれて、Facebookで友達申請があったのだ。同書に載せていた略歴から、妻の純子さんが夫と私が大学の同級生であることに気づいたそうである。
面識のない同級生と初めて会ったのは2017年9月。私事で北海道を旅行していた最中、平林家を訪ねた。
気になっていたのは、どうして高給を捨ててまで農家になったのか、ということ。しかも、縁もゆかりもない土地で……。
芽生えたサラリーマン生活への疑問
平林さんは東京生まれ。「実家は裕福ではなく、お金に苦労しました。だから将来の家族にはお金で心配をかけたくなかった」。そのため卒業後の就職先として狙ったのは大手企業。とくに食に関心があったことから、第1志望は大手のビール製造会社にした。ただ、それはかなわず、高給を約束された製薬会社のうち「業界7番目か8番目くらいのところ」に希望した営業職で入った。
成績が良かったため、4年目でさらに大手の同業他社に引き抜かれる。そこでの仕事も順調だったようだ。やがて同期で「2、3%だけ」という出世のラインに乗る。退職する間際には11人の部下を抱え、年収は1000万円だった。同じく愛知県名古屋市で外資系の製薬会社に勤めていた純子さんと30歳で結婚してからは子どもにも恵まれた。ただ、ある時から仕事と生活に疑問を感じるようになる。
「単身赴任で家族と離れて暮らす上司がみんな働きバチに見えてしまったんですよ。好きな家族といられず、子どもの成長を見られないなんて、結婚した意味があるのかなって」
同時に自分には年収1000万円をもらえるだけの実力があるのかという問いも生まれてきた。高給を得ているのは会社の力に過ぎないのではないか……。ふと辺りを見渡せば、「みんないい給料をもらって、きれいなスーツを着て、偉そうにふんぞり返っている」。やがて自分も慣らされて、同じようになってしまうのではないか。そう思ったとき、「なにもかもぶっ壊したくなっちゃったんですよね」。
家族の幸せとものづくり
仕事と生活の理想はあった。たとえば子育てについては、米国のテレビドラマ「大草原の小さな家」にあこがれていたこともあり、「自然のなかで伸び伸びと暮らしながら、家族と幸せに暮らしたかった」。
一方、仕事では人に喜んでもらうことがうれしかった。それは製薬会社で医薬品の情報を医療関係者に届ける中で気づいたことだ。ただ、医薬品は自分ではつくれない。自分でつくったものを届け、顧客に喜んでもらう仕事につきたい。
この二つを願うようになってから、脱サラして農家に転職することを思い始める。いったいどこで、何を? 選んだのは北海道でコメをつくること。「コメは保存が利き、年間通して販売できますよね。それから『ゆめぴりか』にほれ込んだこともあります。2012年ごろに実家で初めて食べて、そのおいしさに驚きました。これを自分で作って売り、多くの人に喜んでもらいたいなと」
平林さんはそんな思いを純子さんにときどき打ち明けるようになった。答えは言うまでもない。断られる日々が2年半続いた。平林さんは「何を言ってるんだと、奥さんはあきれてましたね」と振り返る。
その一方で就農に向けた準備は着々と進めていた。農林水産省の経営継承事業で第三者に経営を譲りたい農家を探し続け、北海道鷹栖町の由良春一(ゆら・はるいち)さんから譲り受けることを決めていた。
背水の陣で妻に提案、30ページのパワポ資料で
やがて背水の陣で臨まなければいけない日がやってきた。2人目の子どもが幼稚園に入園する願書を提出する期限が迫っていたのだ。「提出してしまえば、農家になるチャンスは二度と訪れない」。あせった平林さんはこれまでと違い、農家になるための提案資料をパワーポイントでつくった。「新規就農計画」と題したその資料は「愛する純子へ」と妻への感謝の言葉から始まり、なぜ北海道で直販する稲作農家になりたいのかが31ページにわたって書かれている。

平林さんが妻・純子さんを説得する際に、実際に使ったパワーポイントの資料
その作成に当たってとくに重視したのは金と生活について。平林さんいわく「農業の素人ながら」も、この業界の現状と将来を分析や予測。さらに社会人としての自分たちの強みと弱みを洗い出した上で、どんな経営であれば生活できるのかについて収支計算を含めながら説明している。
生活については保育園や幼稚園、小学校の児童数や生徒数などの情報も入れて、妻や子供たちが不自由なく生活を送れることを示した。さらに鷹栖町で農家になることを具体的に感じてもらえるよう、「新規就農計画」を作成するのと前後して、家族を連れて同町を何度か訪ねている。「就農するにあたって家族が安心して暮らせることは大前提ですから」
「新規就農計画」の最後は妻にあててこう締めくくった。「一緒にビジネスをやっていただけませんか?」。2年半に及ぶ説得に純子さんはようやく首を縦に振った。

たかすタロファームの田植え
新規就農希望者に足りないと感じていること
平林さんはいま、鷹栖町の「移住定住コーディネーター」という役職に任命され、ときに東京に出向いて同地に移住して農業をしたい人の相談を受けている。数百人という相談件数の結果として感じるのは、「覚悟と準備が足りない人が多い」ということだ。
「その土地でなぜ農業をやりたいのか、暮らしたいのかが不明確な人が多い。そういう人は移住しても、つらくなったら逃げてしまいますよね」
一方、準備について平林さんは2年半かけて情報を集め、「新規就農計画」に結集させた。金についていえば、脱サラした時の貯金は夫婦で1500万円(退職金込み)。そのほか移住や就農にかかる資金を見積もった。「少なくとも2年半は暮らしていけるだけの貯えがないと厳しいです」(平林さん)
平林さんが相談を受ける相手の多くは男性のサラリーマンだが、少なからず学生もいる。学生には「まずは就職して2、3年修行したほうがいい。企業で学ぶことは多い。しかも無料で学べる。そんなところほかにない」と説明している。
次回は平林さん一家が経営継承事業を活用して研修を受けて独立してから、どうやって直販する相手との関係を築いてきたのかを紹介したい。答えは「人」にある。