ハーブで日本の食文化を変える
大多喜ハーブガーデンは、まだハーブが日本で普及していなかった頃からハーブの生産卸販売を行っている会社だ。前身であるサン農園が設立されたのは1970年。場所は房総半島のほぼ中央、太平洋寄りの千葉県・大多喜町であった。当初は花の生産がメインであったものの、ハーブ栽培を始めた理由は、創業者がハーブで日本の食文化を変えようと志したためだ。とはいっても市場がハーブを取り扱おうとしなかった時代である。生産したハーブは、国産オイルサーディン(イワシの油漬け)の原料として用いられる以外に使い道が見つからない状況がしばらく続いた。
同農園の特徴的な点は、1980年以降はハーブ生産とハーブを用いた観光農園の二本柱で事業を進めてきたこと。農場と観光農園は併設されており、現在それぞれの面積は約1.1ヘクタール(約1万1000平方メートル)と約0.45ヘクタール(約4500平方メートル)となっている。従業員は45人。農場部門と観光部門の人数比は、2:1である(2021年6月現在)。
2014年に不動産事業を営む株式会社イントランスの子会社となって以降も、事業内容、経営スタイル共に変化はない。「暮らしにハーブを。」を前面に掲げ、「食べる・つくる・香りを楽しむ」の3つの切り口からハーブの市場拡大に挑んでいる。
「かつては7:3だった生産部門と観光部門の売上比率は、今では5:5と同じぐらいに変わりました。新型コロナの影響で飲食店向けのフレッシュハーブの売り上げが4割減ってしまったため、去年は4:6と観光部門の方が大きくなっています。ハーブの出荷先は、飲食店向けが7~8割、スーパー向けが2割といったところです」と語ってくれたのは、支配人の羽山秀顕(はやま・ひであき)さん。
農場部門にしても観光部門にしても、「ここで働きたい」という人が集まり、スタッフの採用には困ったことはないそうだ。
フレッシュハーブとハーブ加工商品の製造販売から、地域貢献まで
羽山さん自身は外食業界からの転職組。植物栽培と雑草取りができる仕事がしたくてサン農園時代に入社したという経歴を持つ。その時にはまだハーブには何の興味もなかったそうだ。
農場で生産しているハーブは20種類。出荷量トップ3はスイートバジル、スペアミント、ルッコラである。
「国産ハーブの市場はさらに拡大していくと考えています。すべての品目の生産量を増やしたいというのが本音です。そのためにも全国に生産拠点と物流拠点を作りたいですね」
こう話す羽山さんは、農場部門の今後の成長に自信を見せた。
観光事業では、公共交通機関のアクセスが悪いという立地条件にもかかわらず、大多喜ハーブガーデンは年間約4.5万人の観光客を集める。普通のハーブガーデンだと思って訪問すると、4500平方メートルを超えるガラス温室に驚くはずだ。温室内は全天候型のハーブガーデンとなっており、一年中多種多様なハーブの生態を間近で観察できる。なんと入園料は無料。もちろん駐車場も無料だ。温室内にはレストランも併設され、思い思いにゆったりと過ごす人が多い。リピーター比率が高いのも特徴だ。入園料無料で天気を気にしないですむ点が、来やすさにつながっているのは間違いない。
「観光地といっても、うちが見せられるのはこの温室の中だけです。ここでできることといったら、温室内の散策と食事と買い物ぐらい。それにもかかわらずゆっくりされる方が多いんですよね。理由をお客さんに尋ねてみたら、緑が多くてのんびりできる雰囲気に癒やされるからなんだそうです」(羽山さん)
レストランの一番人気は、コイバジ。「濃いバジルにきっと恋する」がコンセプトの生パスタだ。自社農園で取りたての新鮮なバジルをこれでもかというほど使ったパスタは、他ではまずお目にかかれない。これを目当てに何度も足を運ぶ人も多いという。
ショップには多種多様なハーブ商品が並ぶ。特徴的なのはオリジナル商品が多いことだ。大多喜ハーブガーデンでは、6次産業化などという言葉が生まれるずっと前から、生産・加工・販売を当たり前に行ってきている。現在独自に開発した商品の数は約350。45アイテムを超えるハーブティーなどはすべてが自社で生産加工したものばかりだ。クッキーやケーキなども自社で加工していたが、製造可能な量を超えたために最近委託生産に切り替えたそう。
このほかに少々変わった方法で地域貢献にも取り組んでいる。月2回、温室内で開催するイベントがそうだ。「あつまんべ市」と「ちばの真ん中 集(あつ)マルシェ」と名づけられたイベントは、地元の手づくり商品を誰もがジャンルを問わず何でも販売できる場だ。出店料は売り上げの10%と格安。商品を販売してみたい人に、その夢をかなえる機会を提供しているのである。羽山さんはイベントにかける思いをこう語る。
「うちで店舗販売の経験を積んでいただいて、力をつけてもっと大きなイベントに出店し、さらにはお店を持ったり全国区の人気者になったりと羽ばたいていってほしい。後々、デビュー戦は大多喜ハーブガーデンでしたと言ってもらえたらうれしいですね。もう十数年間地元の作り手たちを応援し続けている、当社ならではの地域貢献です」
来場者の移り変わり、ハーブ愛好家の変化
スパイスを含めた日本人のハーブ購入量は、世界最大のハーブ消費国ドイツと比べると1/100にも及ばない。食の多様化とともに、まだまだ生産量を伸ばす余地が残されている農作物だとも言える。最近ではパクチーの事例がわかりやすい。一大ブームのおかげで初めてスーパーの青果コーナーに並ぶようになったパクチーは、ブームが去った後でも棚落ちせずに残っている。国産の新鮮なパクチーのおいしさを初めて知った消費者にとって、パクチーはなくてはならない野菜に変わったからだ。
ところが羽山さんの見解は異なる。
「たしかにフレッシュハーブの消費量は、ここ十数年少しずつ伸び続けています。ただうちのお客さんの様子を見る限り、日本人の味の好みが変わってきたからというよりも、健康ブームに乗っかっている面の方が大きいと見ています。
来園者は圧倒的に女性比率が高いです。ただ残念ながら若い女性はまだ多いとは言えません。ここはぜひ伸ばしていきたいですね」
「うちに来てくださるお客様だからなのかもしれませんけど、ハーブ好きの男性は増えてきているような気がします」
こう語ってくれたのは、ハーブ教室が大人気のハーブ男子こと小幡恭稔(おばた・やすとし)さん。理由は、話しかけてみると意外なほどハーブに詳しい男性客が結構いるからだそう。
「料理好きな男性はいつか必ずハーブ男子になります」とは、小幡さんの持論。小幡さん自身は、自分でブレンドしたホホバオイルを愛用するなど、ハーブのある暮らしの実践者である。
将来を見据えた高冷地農場開設
大多喜ハーブガーデンが新たに昨年開設した長野農場は、標高約1000メートルの御代田町(みよたまち)にある。御代田町は軽井沢町の西隣だ。高冷地でよい場所はないかと探し回り、ようやく条件に合う土地を見つけたのだという。
大多喜ハーブガーデンでは、最近まで各地の生産者に生産を委託する体制構築に力を入れていた。千葉の自社農場では時期的に生産しにくい品目を中心に、周年供給体制を整えるためである。冬は閉鎖する高冷地農場を開設してまでも自社生産主体に切り替えたその決断には、やむにやまれぬ理由があった。
「残念ながら、完全にうちの実力不足です」と羽山さんは説明し、こう続けた。
「自分たちでうまく生育状況の把握や数量の管理をし切れず、顧客に迷惑をかけてしまうことが続きました。手を広げてみたはよかったものの、仕組みを構築しきれなかったということです。このようなことを続けてしまうとハーブ需要を拡大していくための足かせになってしまいますから、やむなく方針を変更しました。できれば委託で回したいんですけどね」
これからのハーブ市場
「うちが販売量を伸ばすためには、やはり外食とスーパーを開拓しなければなりません。イタリアンレストランだけでなく、ようやくさまざまなお店がハーブを仕入れてくれるようになってきました。和食にすらハーブが使われ始めたことを知って、スーパーでの扱い量が増えていくといった展開を狙っています」(羽山さん)
新型コロナの影響を受けて、農作物の外食需要は急激に落ち込んだ。他の野菜と異なり、そこまでひどく値下がりしているわけではないが、ハーブも例外ではない。
価格が下落しても生産し続けなければならないのが、農産物生産のつらいところだ。作るのをやめれば顧客を逃す。特に必要不可欠なわけではないマイナーな作物は、一度使わないですむ状態に戻してしまったら、再度手に取ってもらうようにするのは困難だ。
「コロナ明けの需要回復に合わせて攻めに出られるように、いまは準備の時と割り切っています。ハーブビジネスは面白いですよ。まだまだやりたいことがたくさんあります。通販は伸びてはいるものの、全体の売上比率から見るとわずか。ここを3本目の事業の柱にしていきたい。
将来的には自社生産のハーブを原料にしたサプリを作りたいんです。ハーブを売りにした老人ホームなど、農福連携の道も探っていきたいですね」
そう話す羽山さんは、これまでにない新商品を新たな販路で販売する計画についても語ってくれた。
帰り道、車内がほのかにハーブの香りに包まれているのに気づいた。どこからかと思えば、自分の手。入園時にかけてもらった大多喜ハーブガーデンオリジナルの除菌スプレーの香りだ。これも車で訪れる観光客へのPR活動のひとつなのだろう。にくい演出だ。と感心すると同時に、除菌スプレーも買っておけばよかったという気持ちになった。