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美食のシェフが農家に? 食材の真価を現場から伝える挑戦とは

深江 園子

ライター:

美食のシェフが農家に? 食材の真価を現場から伝える挑戦とは

札幌の郊外にある「アグリスケープ」は、シェフが仕入れ先の生産者を迎えて農業法人化した、レストラン付きの農園です。なぜ料理と農業の両立に挑むのか、3周年を迎えたオーナーと料理長の2人に、その実態と思いを聞きました。

札幌の郊外で、シェフが農家になった!

札幌は、地下鉄が通る中心部から車で20分ほどで、市内でありながら農村地域になります。札幌駅から西へ車を走らせ、札幌オリンピックの舞台にもなった大倉山ジャンプ競技場を過ぎ、小別沢トンネルをくぐると、そこはもう畑が広がる中山間地帯。しばらくして見えてくるのが、「AGRISCAPE(アグリスケープ)」の農園です。

アグリスケープの畑。営農面積は2カ所の借地畑と山林の計2.5ヘクタール。畑作100品目、鶏3品種500羽、黒豚29頭、羊6頭、ヤギ2頭も飼育

実はここにはレストランも併設されており、農園で育てた野菜や肉をふんだんに使った料理を目当てに遠方からも客が訪れるほどの人気店です。オーナーは東京の星付きレストランで修業し札幌市内のフレンチレストラン「SIO(シオ)」のオーナーシェフだった佐藤陽介(さとう・ようすけ)さん、シェフはカリフォルニア留学を経て東京、そしてSIOで料理の研さんを積んだ吉田夏織(よしだ・かおり)さん。吉田さんは農場長も兼務しています。

「アグリスケープ」レストラン棟の前で。右からシェフの吉田さん、オーナーの佐藤さん、妻の美香(みか)さん

■佐藤陽介さんプロフィール

佐藤陽介さんプロフィール写真 1979年札幌生まれ。市内調理専門学校を経て料理の道に入り、28歳で東京の有名フレンチレストランの魚料理部門長に。その後札幌のレストランで副料理長を務める。2010年「SIO」を開業し2011年法人化。2017年、農業法人アグリスケープ設立。2019年4月、レストラン併設型農場を開業。

■吉田夏織さんプロフィール

吉田夏織さんプロフィール写真 1978年函館生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業後、米国カリフォルニア州へ留学し、授業の一環で飲食業で研修。東京と札幌で料理の経験を積み、SIOに入店。農業研修を経てアグリスケープの料理長兼農場長に。2021年狩猟免許取得。

タマネギへの愛着が農業への入口

アグリスケープの特徴は、料理人自らが農地所有適格法人を立ち上げ農産物を生産しながら、併設するレストランで本格的な料理を提供していること。栽培する品目の多様さや畜産まで手掛けるタフさには目を見張ります。
2017年の法人設立、2019年4月のレストラン開店、そして今日までの道のりを、2人に聞きました。

──自家菜園つきレストランはあっても、自ら農家になる例は他に知りません。

佐藤:そうですね。2017年の法人設立から今まで、気づいたら5年です。畑と畜産、飲食を一貫する事業計画を描いてスタートはしましたが、今の形を100%想定していたというより、仕事でずっと抱いていた問題意識を僕らなりにつきつめたらこの形になったんです。

──地元農家さんとの縁が深いと聞きました。

佐藤:当時のお店SIOでは、「札幌黄(さっぽろき)」という固定種のタマネギを愛用していました。この小別沢地区で我満嘉明(がまん・よしあき)さんが無農薬で育てるタマネギです。札幌黄はこの地域が開拓された頃から作っている品種で、特に我満さんのタマネギはじっくり炒めた時のしみじみとしたおいしさに類がなく、僕らの料理に欠かせません。ある時、我満さんのタマネギづくりに後継者がいないと知り、いろいろ考えた末、「僕らと一緒に(新事業を)やって、農業を教えてください」とお願いしました。我満さんに農業法人の顧問として加わっていただいて、自分たちがこの土地の農業に加わり、畑や暮らしの知恵を僕らなりにつないでいけたらと考えたんです。

──芯のところにあったのは、料理と食材にまつわる問題意識だったと。

佐藤:実は東京にいた頃からずっと、あるモヤモヤを感じていました。「レストランが食材の真価を伝えることはできるのだろうか」という疑問です。
例えば、素晴らしい農家さんにとびきりおいしい野菜を分けてもらったとしても、輸送に1~2日かかり、さらに冷蔵庫で保存し数日かけて使うのが現実です。それでは産地で感じた爆発的な野菜のパワーは失われていると感じます。また、どんな料理を目指すのかによるのでしょうが、厨房に届く前の食材の姿を知らずに解釈を加えて料理してしまうことに、違和感を持つようになりました。

──料理人の仕事を超えていますが、この事業は流通の矛盾や作物への理解の問題に対する試みなんですね。

佐藤:札幌に戻って「北海道にしかないおいしさって何だろう」と考えると、やっぱりうちの料理で野菜の生命力まで感じていただきたい。もしもレストランが農家と一体になれば、食べる瞬間に最高の状態を目指せる。どんな形になるかわからないけれど、それを自分でやってみたいと思うようになりました。それに、料理の仕事をする人間としては、魅力的な近郊の産地の存続を願う気持ちもありました。だからレストランの菜園ではなくて、農家になることが大事だったんです。

小さな山を背にしたレストラン棟。同じ区画に畜舎と野菜のハウスがある

──法人設立から開業までの2年間について教えてください。

佐藤:レストランの仕事と、書類作成にはじまる開業準備の両立はハードでした。2017年に土地取得を目指したのですが、借地の地図がない上に、測量基準になる道路が公道でないなどさまざまな事情をときほぐすのも大変でした。レストラン棟の借地は市街化調整区域なので、建設にあたっては札幌市の「農業交流関連施設」の認定を受けました。他にも前例がないという理由で手続きが何度もストップし、心が折れそうな思いもしました。
資金面では2018年、日本政策金融公庫から2回に分けて融資を受けました。農とそれ以外を一貫させた事業計画と、SIOでの法人実績が決め手になったようです。同年に借地の裏手の山を購入して苗木を植えるなど整備し、借地部分では畜舎、納屋、レストランが着工。2019年4月にレストラン棟がオープンしました。また、国の6次化補助事業の認定を受け、棟内に加工室も設けることができました。

「シェフで農家」の厳しさと喜び

吉田さんと肉用種プレノワール。地元のくず米や野菜で育てる

──吉田さんは2017年から農業研修を受けたんですね。

吉田:はい、我満さんの農園で2年間、研修させていただきました。朝は6時頃に畑へ行って野菜を収穫し、契約先の八百屋さんや注文をいただいたレストランへ配達して、SIOのランチタイムを手伝い、午後は畑へ行く毎日です。その間、佐藤シェフは営業と仕込みをして研修生活を支えてくれました。

──もともと農業には興味があったのでしょうか。

吉田:正直に言うと、畑のことは知識ゼロでした。でも、料理人として我満さんの畑に見学に通ってお話を聞くうちに、身近に素晴らしい農村があることの大切さは感じていました。そしてこのプロジェクトが始まる時、佐藤シェフにやってみないかと言われて、抵抗なく「自分がやるんだ」という気持ちに変わっていたんです。自分でも不思議ですが、我満さんの札幌黄が本当に好きだったのは確かです。

──農家になって大変なことは?

吉田:農家を名乗るには未熟で、失敗は数えきれません。ここは長年土づくりをされた良い畑なので野菜はとてもおいしいのですが、1年目は干ばつ、2年目は台風の年で、自然の力を痛感しました。畑作については、失敗を教訓にして毎年前に進むんだという気持ちです。ただ、家畜の生死に関わることはやはり厳しいです。家畜を飼うことは私自身の希望で、アグリスケープならではのおいしいお肉が目標なんですが、生まれた子豚を母豚から離す時、互いに鳴いて嫌がるのを見て辛くなってしまって。その時、「これはダメだ、気持ちを切り替えよう」と、改めて覚悟しました。豚にかまれてけがをしたこともあります。どの子もかわいくてたまらないのですが、同時に緊張感をもって接します。

レストランでコースの初めに披露される、畑のプレゼンテーション

──料理と農場の両立を選んで良かったことは?

吉田:レストランの営業日は朝7時に家畜たちを見回り、畑に行って作業メニューを決め、私がキッチンにいる間は農場スタッフさんに作業をお願いします。以前はタマネギの種を見たことがなく、冬に苗を育てることも知りませんでした。トウモロコシはカラスやアライグマから守らないと食われてしまうことも、1本の苗から1〜2本しか収穫できないこともです。畑で働き始めて5年たった今も、毎日が新鮮です。
朝の畑は本当に素晴らしくて、料理のイマジネーションが広がりますし、疲れていても力が湧きます。そして何より、野菜やハーブがいきいきとしているうちに料理して召し上がっていただける。これが「もう都会のお店には戻れないかも」と思うほど楽しい(笑)。畑で感じたエネルギーのようなものが、言葉抜きでお客様に伝わることが多くて、その度に驚きます。その手応えがあるから、楽とは言えない畑仕事にやりがいを感じていられるのだと思います。

今朝の畑のひと皿。カット、火入れ、ソースが素材ごとに異なる

料理と農業の関係、そしてコミュニティー

──自社レストランで使う以外の生産物は、どうしていますか。

吉田:自然食品店、レストラン、デパートなどに野菜や鶏肉、卵を販売しています。直売所では、レストランならではの洋風総菜やフレッシュさを残したトマトジュース、ピクルスなど、野菜の価値を感じていただけるものや保存性の高いものを製造販売し、できるだけ食べ方も提案します。レストランのお客様が食事に使った野菜を買ってくださる時は、ちょっぴり誇らしい気持ちです。

──農園とレストランの循環も事業計画に含まれていたんでしょうか。

吉田:はい、アグリスケープでは家畜の堆肥(たいひ)を畑に戻し、人間には食べにくい野菜くずを家畜の親の餌にするなど、資源循環をしています。最近はご近所さんや農家さんから家畜用の敷きわらや出荷用の段ボール箱をもらってうちの卵を差し上げるなど、地域での循環も始まっています。

直売所の加工品も魅力的。農園運営にとっても欠かせない要素だ

──最後に、今後のアグリスケープ像を教えてください。

佐藤:農業が“我がこと”になってからは、ひとつの野菜について考えた時、地域の気候や土壌や植物の生理から知りたいと思うようになりました。でも、農場を持ったからといって、頑張ったからとか、苦心したからという理由だけで料理人として納得いかない野菜はお出しできません。お客様の喜びをつくるレストランという場所では、料理がおいしいことが絶対条件。新米農家としては壁の連続だと思いますが、料理人として素材の実力を料理に生かす技術はあると思いますので、両方の役割を日々しっかり果たしていきます。

吉田:レストランが心地よい体験を提供するためには、食器やカトラリー、アート作品といった要素が必要です。小別沢の周りには、とても魅力的なクラフト工房や作家さんがいらっしゃいます。レストランがその魅力を伝える場になれたらうれしいです。周りのベテラン農家さんから見れば風変わりな農家ですが、少しでもこの農村地域が楽しく元気になれることを続けて、だんだんと受け入れてもらえたらと思っています。

* * *

アグリスケープが地域に入り、レストランの経営だけでなく営農も始めたことで、小別沢に新たな魅力が生まれました。魅力的で元気な農村で育まれる作物は料理を支え、訪れる人に楽しみと健やかさを与える。そして、その喜びが人の交流になり、さらに農村に還元されていく循環が生まれ始めています。

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