獣害対策研究家“雅ねえ”に教わった、住民が獣害対策に積極的になる方法
公開日:2023年06月21日
最終更新日:
島根県美郷(みさと)町は獣害対策に成功していることで有名な町。その立役者のひとりが「雅ねえ」とみんなに呼ばれている獣害対策研究家の井上雅央(いのうえ・まさてる)さんです。隣の鳥取県で獣害対策に携わっている私は「成功の秘訣(ひけつ)は何だろう?」と気になり、雅ねえに話を聞こうと会いに行ってきました。結果、成功するための基本的な獣害との向き合い方や取り組みの姿勢を学ぶことになりました。
地域ぐるみの獣害対策に取り組む“雅ねえ”
雅ねえこと井上雅央さんは、全国の獣害に悩む地域をめぐってアドバイスをしている獣害対策研究家として知られています。奈良県や国の研究機関で獣害対策担当を務めたのち、害獣の結んだ縁で島根県美郷町に移住してきました。地元住民の皆さんと一緒に地域ぐるみでの獣害対策に取り組み続けていて、その様子を実際に見たいと全国各地からたくさんの人が視察に訪れるほど。さらにその取り組みはテレビ番組や農業系雑誌でも取り上げられ、多くの人に知られるようになりました。また、雅ねえ自身が執筆した獣害対策の本や記事もたくさんあります。私もいろいろ読んだのですが、今ひとつわからないのが、「なぜ雅ねえの獣害対策は地元の人を巻き込むことが可能なのか」ということです。
私が雅ねえに聞きたいこと
私が地元鳥取の中山間地域で獣害対策活動を行うようになって5年目。地元の農園付近や奥山でイノシシやシカを捕獲したり、農家さんに柵の設置方法を教えたりしています。
しかし、私の地域の住民は高齢者ばかりでマンパワーがなく、地域の施設を維持したり、共有道の草刈りをするだけで精一杯。獣害対策は私のような有害鳥獣捕獲員に頼らざるを得ない状況です。
私自身、地元の人に「ありがとう、最近被害が減った感じがする」と声をかけてもらえるので達成感はあります。しかし、「この活動をいつまで続ければ被害が完全に収まるのだろう……?」と思いながら活動しているのも事実です。
そんな中、美郷町では高齢の住民も雅ねえの指導で獣害対策に参加し成功していると聞き、私も雅ねえの書いた本などで勉強してみました。なるほどとは思うものの、正直、地域ぐるみで獣害対策なんて提案したら、地域の人には「また負担が増えた」という感情しか生まれないのが目に見えています。
そこで、雅ねえはどんなふうに地元の住民をやる気にさせたのか、被害が続く中でどうやって対策を続け成功に導いているのか、直接聞いてみることにしました。
「雅ねえ」こと井上雅央さん。この日も獣害対策のために朝から3時間の草刈りを終えてからインタビューに応じてくれた
雅ねえ
私はわざわざ話を聞きに来てもらうほど大したことは何もしてへん。じっちゃん、ばっちゃんが「被害がかなわん」言うから、助けたいと思って知恵をかしてるだけや。
飄々(ひょうひょう)と語るその姿は、有名な獣害対策研究家というよりも、地元のバーの店主のよう。私が通された雅ねえの仕事場にはウイスキーの瓶がぎっしりと並び、コーヒーの香りがふわっと漂っていて、机の周りにはたくさんの椅子。「いつもたくさんの地元の人を迎え入れているんだろうな」と思いながら私はその椅子の一つに腰掛け、始まった雅ねえの話に耳を傾けました。
獣害対策は楽しく分かりやすく伝える
山本
私の地域は高齢の人が多くて、なかなか住民を巻き込んでの獣害対策は難しいのが現状なんです。でも雅ねえは高齢化率の高い美郷町で、住民と一緒に住民主体の獣害対策をしていますよね? どうしてそれが可能なんですか?
イノシシはな、手ぇがチョキやろ。せやから財布からお金出されへんねん。買い物に行かれへんから、自分で食いもんを探しとるわけやん。
雅ねえ
山本
ということは、これは食いもんか毒か、毎回やっとるわけやん。昨日食べたことあるもんの方が安全に決まっとるから、食べるわけ。しかもその餌を食べとる間、怖い目にはあわんかった。そしたら「ここをしばらく餌場にしよう」って思わしたんは人間や。イノシシが悪いわけやないやろ。
雅ねえ
山本
(イノシシは手がチョキって、実はちゃんと獣害対策の話だった!)
そうか……。
例えばな、やっとハイハイして立ち上がり始めた孫が正月に来ました。じいちゃんは正月やからいうて、床の間にめちゃめちゃ高い掛け軸を飾りました。孫がハイハイしていってそれにつかまって立ち上がろうとしたら、掛け軸がべりっと破れました。その時そのじいちゃんは「高い掛け軸破りよって、この孫があかん」とはならんやろ。
イノシシは畑にあるもんが人間の物やと知らんで食いよっただけなのに、なんで「殺せ」となるんや。
雅ねえ
山本
確かにそうだ。掛け軸かけるな、ということですよね。いつもこんなふうに皆さんに説明をしているんですか?
こう話したら、聞いてたじいちゃんらがだまされたような顔しとったけどな。
イノシシは畑にあるもんは人間のもんと知らん。まして土地に境界線があるって知らんねん。あいつらはただ安心して食えるところに住みたいと思とるだけや。なら「ここは安心して餌食えるとこちゃうよ」というメッセージ送ったら、それでおしまいやんか。
雅ねえ
山本
なんか、私が地元で話していることとまるで違います。それで伝わるんだ!
うん。そんなふうに伝えたら、80のばあちゃんが自分の畑をさっさと守り始めたわ。
こんな風にイノシシにはイノシシの都合がある。理由があって畑のもん食べよんや。そのことを理解して畑を守らなあかん。マニュアル見てこうしましょう、ああしましょうっていうだけじゃ完璧に防げるもんやない。
雅ねえ
山本
ああ、私って、マニュアルに沿って体系的に伝えようとしてたかも。雅ねえの話を聞いてると、なんだか楽しく獣害対策ができそうな気がしてきました。
住民に獣害対策を“自分ごと”にしてもらうには
山本
美郷町では、みんな獣害対策に積極的だと聞きました。みんな獣害が「自分ごと」なんですね。うちの地域では、猟師に丸投げのところがあって……。
「何匹駆除しました」と行政とかが言えば言うほど、狩猟免許を持ってない人は「鳥獣害対策って駆除してもらわんと、自分たちではできんもんなんか。免許持ってる人にやってもらわんと」と思って、ますます何もせんようになる。そうなると、なんで被害が起こるのか、何でイノシシやシカが増えるのか、そこの根本を考えん。それに、国が補助金つけて駆除せえと言うとる以上、みんな「駆除したら効果あるんや」と思い込むやん。
雅ねえ
山本
駆除だけじゃない方法があると、みんなわかってないのか。
情報が伝わってないんやな。
例えばな、田んぼに電気柵したのにイノシシに入られたということがあった。この田んぼはなんで電気柵が効かんかったかというと、じいさんが昼間は電気を切って、夜だけ通しとったんや。じいさんは「イノシシは夜行性やない」ということを知らんかった。行政もその情報を出してなかったということや。
雅ねえ
山本
確かに、獣害対策のいろんな方法についての情報が住民に伝わってないということはあるかも。
畑の看板にカニの絵を描いてるおっちゃんがおってな。「さるかに合戦」の話があるから、サルはカニが嫌いなはずやって。そんなことをせんとあかんぐらい、サル対策をどうすればいいかの情報がないということや。行政には駆除班や柵の前に、情報拠点を作ってほしいな。
雅ねえ
山本
情報があればみんな動くんですか? 人が動くときって、もっと自分でやりたい!って湧き上がるものがあるときだと思うんですけど。
私は町の人たちに、コメとか柿とかイノシシとか、それぞれの都合を考えながらものを見て行けるような年寄りになってほしいと思ってるんや。
今、小学5年生にSDGsの授業で教えてんねん。鳥獣害の勉強しながらサツマイモ作ってるんやけど、「畑にはサツマイモと土と雑草だけやなくて、たくさん虫さんもいるんやで」って子供たちに言ってる。例えば、何でここに冬イチゴが生えているのかと不思議に思ったら、それはアナグマが食べてうんこで増やしたんやということに気付く子になってほしいからや。こういうことに気付くと楽しいやん。じいさんばあさんも気付くようになれば、100歳になっても畑に行くのが楽しくて、元気でいられる。
雅ねえ
山本
それは情報の提供の仕方が悪いんやと思う。それに、興味のない人を無理にこっち向かそうとせんでもええ。「私、やってみるわ」という人だけでええやん。全員同じ方を向くというのも、怖い話や。
雅ねえ
身の丈に合った方法で行う
山本
私が住んでいる集落はとても人が少なくて、10軒程度しか人が住んでいません。その多くは高齢者で、ただでさえ農道や水路の維持作業だけでひいひい言っている状況。そんな中、獣害対策をみんなで頑張ろうなんて言えないです。
そうか、それは大変やな。まずはな、小さい畑から始めてみたらええ。身の丈に合った方法で、守れる農地を守ることが大切なんや。例えば思い切って耕作農地を減らすとか。
あとな、畑の栽培方法も工夫したら、それこそ農業自体が楽になる。キウイの木や柿の木なんかも、収穫しやすいように低くするとか。
雅ねえ
いつまでたっても獣害対策が成功しない理由
山本
あはは。あんな、まずは被害にあっている人自身が「被害がなくなった」と実感せんと、被害は永遠になくならん。
一度被害が防げたら楽しくなって、腰が曲がって動けん言うとった80のじいさんが急にシャキシャキ歩き出して草刈りするようになるわ。
雅ねえ
山本
そうか~。雅ねえは、まず獣害にあっている本人の気持ちへの効果を考えているんですね。私は被害をデータや物理的な面から考えて、数字として効果があるようにと考えていました。だから被害が減らないと思って苦しかったのかも。
獣害対策を広げるには
山本
例えば、私が1軒の農家さんと一緒に獣害対策をして、やっとのことで被害を抑えることに成功したとします。でも、抑えられるのはたった1軒の農家さんだけじゃないか?私はなんとかして世の中全部の農家さんが助かる獣害対策の仕組みを模索したいのです。
あんな、ひとりのじっちゃんに私がこうしたらええでって獣害対策をアドバイスするやろ。んで、そのじっちゃんが対策がうまくいったで~って喜ぶ。隣の畑のばっちゃんがどうしたら成功したんや?って聞いてくる。じっちゃんはその方法を伝える。そうやって獣害対策方法がどんどん広がっていけばええんとちゃう?
雅ねえ
山本
確かに、雅ねえが獣害対策に関わっている美郷町吾郷(あごう)地区の活動は全国に知れ渡ってますよね。雅ねえも各地で講演会に呼ばれ、そこで学んで獣害対策を成功させた人たちが今度は別の地域でその方法を伝えるといったサイクルが出来上がっていますよね。
まあ、町のおばちゃんたちにもいろいろ聞いてみ。私はあのおばちゃんたちと波長が合ったからここにいるわけやし。私は町の人といい付き合いをしたいだけや。
雅ねえ
住民主体の対策
雅ねえに話を聞いた翌日、私は獣害対策の主人公である美郷町吾郷地区の婦人会「なでしこ会」の皆さんに会うことができました。ちょうど皆さんが共同で耕している畑の作業があったのです。現地に着くと、15人ほどのご婦人たちが集まって畝を立てたり、除草をしたり、マルチシートを敷いたりと各々が畑に散らばって作業をしていました。
畑は、放置されてしばらく経った空き家が目立つような集落の入り口に広がっていて、イノシシとサル対策の柵とネットでぐるっと囲われていました。
少し離れたところから雅ねえの草刈機の音、それに負けないくらいの笑い声が交じったご婦人たちの会話が聞こえてきます。
活動は強制しない
早速「なでしこ会」の会長の門田厚子(かどた・あつこ)さんと前会長の安田兼子(やすだ・かねこ)さんに話を聞いてみました。
なでしこ会の会長である門田厚子さん(左)と、前会長の安田兼子さん(右)
山本
みんな元気でビックリ! 人もたくさん集まっているし。
メンバーは50人以上います。20代から90代の人までいるんですよ。今日は集まった人が少ないくらい。会社などで働いている人もいるので、出て来られる人だけが参加しています。私も働きながらやってます。
門田さん
山本
そうですよ。別に絶対に出てこいって強制していません。でも、働いている人もこうやって出てきて、みんなで畑で野菜を作って、毎週水曜日にそこの青空市場で売ったり、あと、革のグッズを作ったりなんかしてね。
門田さん
婦人会の皆さんが作っているイノシシレザーのグッズ。イノシシマークの刻印がとっても可愛らしい
私の勝手なイメージですが、こういった地区の活動は半強制だったり決まり事だったりして億劫(おっくう)なものです。しかし、他のメンバーの皆さんに話を聞いてみても「畑作業というよりおしゃべりしにきてるだけなのよ(笑)。こうやって草取りくらいは私にもできるからやってる」「今日はたまたま参加できたんです。私は仕事を辞めたばっかりで畑作業もしたことなかったから楽しい」「仕事の前の30分間、顔出してみただけ」といった感じで、皆さん積極的に参加している様子がうかがえました。
獣害対策が目的ではない
青空市場で売る野菜を育てるために畑を耕す婦人会の皆さんと雅ねえ
安田さん
山本
やってないです。うちの集落10軒くらいしかいないので……。
やりぃさい(=集まった方がいいよ)! やっぱりみんなでやれば楽しいし、作ることが楽しみになるから。
安田さん
山本
月に1回でも集まってお茶を飲むだけでもいいじゃない。結局ね、明るく死ぬるか暗く死ぬるかよ。
安田さん
活動のきっかけ
うちなんかは元々婦人会があったんだけれども、イベントするくらいで。ここも限界集落に近い状況で、さらにサルやイノシシの獣害でしょ。何かしなきゃいけないという気持ちがあって。それでたまたま獣害対策の良い先生(雅ねえ)がいるっていうんで、来ていただいて。女性主導で始めたんだけど、男性たちもこの先生に付いて勉強したいってその場で言い始めて、それがきっかけで。活動始めてもう20年になるかなぁ。
安田さん
山本
そうよ。私なんか、とりあえず連絡員にでもなって、まあ、できることからやってみよう!って始めて。最初は2、3年のつもりだったのよ。2、3人からだったし、獣害対策なんかの補助金なども頼らずに。それが結果良かったのかもしれない。
安田さん
山本
行政に頼ってお金もらってもね、一時的なものだから。とにかく自分の地域だから自分たちが守らないと誰も守ってくれない。先祖が代々つないできてくれた場所。今度は次の会長の厚子さんがこの活動も引っ張っていってくれる。
安田さん
まだ2カ月前に就任したばっかりで、兼子さんに頼りっぱなしですけど(笑)
門田さん
雅ねえが獣害の指導に来たことをきっかけに、とにかくできるところから行動するようになった美郷町の人々。そこから少しずつ賛同の声が上がって、若年層も高齢層も参加したいと思える活動につながり、それが20年も続いている。その様子を見て私は、皆さんは獣害対策をしなきゃと思って取り組んでいるわけではなく、みんなで一緒に作物を作って無事に収穫するのが楽しいからその過程で獣害対策を行っているのだという、当然のことに気付きました。さらに皆さんは、どうやって獣から畑を守るのか一緒に考えて取り組むこと自体も楽しんでいるように見えました。
美郷町吾郷地区の皆さんの心は、獣害対策活動に向いているのではなく、みんなで楽しく暮らしていくことに向いているから、結果獣害対策もうまくいっているのだなと自然に納得できたのでした。