15アールで2万個のパッションフルーツ育てる若手農家
房総半島の南にある千葉県館山市。黒潮の影響による温暖な気候もあって、マリンスポーツが盛んな地域だ。幹線道路の街路樹はヤシやソテツで、南国の雰囲気が漂う。市内には温暖な気候を利用して、マンゴーやパパイヤなどの熱帯・亜熱帯植物を栽培する農家もいる。
南房総最大のパッションフルーツ農園RYO’S FARM(リョウズファーム)の梁寛樹さんもその一人だ。栽培品目はパッションフルーツのみ。全部で15アールあるハウスをたった一人で管理している。
取材に訪れたのは6月の末。つやつやとした緑色の実に交じってパッションフルーツの個性的な花が咲くハウスの中、梁さんは受粉作業に忙しい。年間約2万個収穫するというが、その実の一つ一つが、梁さんの指先による細かい作業のたまものだ。
「夏場は忙しくて、サーフィンに行く暇がないんですよ」と笑う梁さん。今の生活を選んだ理由の一つは、サーフィンを楽しみたいからだという。しかし、半農半サーファーというわけではなく、梁さんの生活の基盤はあくまで農業だ。仕事としての農業も、趣味としてのサーフィンも、思う存分楽しんでいるように見える。
サーフィンの縁で館山へ
梁さんは1985年生まれで東京都杉並区の出身。農業には全く縁のない家庭で育ち、都内の大学を卒業後、大手住宅設備機器メーカーの広報部に勤務していた。
館山に通うようになったきっかけは、サーフィンだった。大学時代に友人に誘われて始め、社会人になってからは毎週のように東京から館山に通ってサーフィンをしていたという。
「館山の海は本当にキレイで透明度も高いし、意外と東京からも近くていいところだなと。こんなにポテンシャルが高い地域なのに、湘南みたいにオシャレなイメージもついてないから、地域としての伸びしろがあると感じました」(梁さん)
2012年、梁さんは4年勤めた会社を辞めて館山市の地域おこし協力隊に。その募集時に掲げられていたテーマが農業だったのだが、当初は自分が農家になるとは思っていなかったという。しかし着任して地域に入るとすぐ、農業現場の求めるものを感じ取った。
「地域が求めているのは農家をサポートする若者ではなく、若手農家そのものなんだと。それで、自分が農家になり成功することが地域おこしの第一歩だと、早い段階で確信しました」
とはいえ梁さんは農業経験ゼロ。まずは市内の農家を回りながら少しずつ農産物の栽培について学んでいった。そんな中でベテランのマンゴー農家に出会い、弟子入りすることに。その農家の教えが、梁さんの農業への姿勢を決定づけたという。
「栽培技術はもちろん、農業への姿勢が素晴らしく、おいしいものを作るためには絶対に手を抜かない人でした。残念ながらその方は去年亡くなってしまったのですが……。私も手を抜きたくなる時がありますけど、サボったら怒られそうだな、と師匠を思い出して自分を戒めます(笑)」
パッションフルーツを選んだわけ
梁さんにパッションフルーツの栽培を勧めたのは、千葉県南部の温暖な地域に適した作物を研究する県の施設、暖地園芸研究所の研究員だった。「館山はパッションフルーツ栽培に適した気候で、ハウスで加温すれば年2回収穫できる。さらに東京にも近いため販路も確保しやすい」。そう言って苗も分けてくれたという。
そこで梁さんは、地域おこし協力隊時代から小さなハウスを借りて試験栽培を始め、研究所の普及員から栽培技術の情報ももらい、自分なりに栽培技術を磨いていった。
そして3年の任期の最後の年、梁さんは館山に定住するべく、農地を探し始めた。情報をくれたのは、サーフィンを通じて知り合った地元の男性。ハウスの加温に使う重油をあちこちの農家に運ぶ仕事をしており、地域の情報通だった。その男性が、カーネーション農家の女性が高齢のために離農するのでハウスが空くと梁さんに教えてくれたのだ。「その農家の女性も地元の広報誌などで私の存在を知ってくれていたので、話はわりとスムーズでしたね。ハウスの周りの草刈りをしてくれたら助かるからと言って、貸してくれることになりました」(梁さん)
元はカーネーションを栽培していたハウスを借り、パッションフルーツ農家となった梁さん。商品作物としてのパッションフルーツの栽培には新規就農者にとって大きなメリットもあった。通常の果樹だと栽培を始めて4~5年収穫できないこともあるが、パッションフルーツは1年目から収穫できて、すぐに収入につながったからだ。
おいしさの追求のために
よりおいしいパッションフルーツを作るための試行錯誤も続けていた。パッションフルーツは収穫適期になると自然落果する。その衝撃で中の種を含むゼリー状の果肉と外側の皮が離れてしまうと味が落ちるそう。そのため、輸入物などはまだ実が緑色のうちに収穫して追熟させるものが多い。また、国内の生産者は実が落ちないようにネットをかけるなどの工夫をしている。
一方、梁さんの対策はシンプルだが、とても手間がかかる方法だ。「100円ショップの洗濯ばさみで、実が落ちないように一つ一つとめるんです」とのこと。その数、約2万個。夏場、サーフィンに行く暇がないわけだ。
冬も収穫できると言われて栽培を始めたパッションフルーツだが、梁さんは現在、冬場の収穫は行っていない。「どうしても夏の実に比べると味が落ちてしまう。それに、暖房をたく重油代も高い。冬に無理して作ったもので評判を落としたくないんです」と、農家として作物の出来に対するこだわりを見せる。
しかしそうなると、冬場の収入が途絶えてしまう。年間を通じて安定的な収入をどうやって得ていくかというのは農家の共通の課題だ。栽培品目をパッションフルーツだけに絞った梁さんは、どのようにその課題を乗り越えたのだろうか。
冬場の売り上げの柱は加工品
パッションフルーツは、まだ日本でメジャーな果物とは言い難い。梁さんもまず販路の壁にぶつかった。
「人は味がイメージできないものを手に取ろうとしないんですよね。だからスーパーとかに置いても選ばれない。だから、あちこちのマルシェなどに出店して、対面で試食販売することにしました」
中でも一番反応が良かったのが、東京・青山の国連大学前で毎週末開催されているファーマーズマーケット。そこでまた梁さんの農業の方向性を決める出会いがあった。
「あるハワイ帰りの女性のお客さんが来て、『現地では“リリコイバター”というのを作って食べてるから、あなたも作ってみたら』と言われて、半信半疑で商品開発を始めました」
リリコイバターとは、パッションフルーツ(ハワイ語でリリコイ)とバター、卵、砂糖を混ぜて作ったもので、ハワイではパンなどに塗って食べる。
当初は農家が加工品を作ってもメーカーが作るものには太刀打ちできないと思っていたという梁さん。そこでプロに製造委託をしようとしたが、ここでも思わぬ出会いがあった。
「リリコイバターと作り方が似ているレモンカードで有名なジャム屋さんに製造を頼んでみたんです。でもそこの店主の女性に『私ももう年だからそんなにたくさん作れない。レシピを教えてあげるから、自分で作りなさい』と言われて、自分で製造することになりました」
そして、このリリコイバターは現在RYO’S FARMの年間売り上げの7~8割を占めるものになり、冬場の収入の柱になっている。
2019年の秋の台風でハウスが全壊し2021年の夏に再度収穫ができるようになるまで売り上げを支えたのも、やはりリリコイバターだった。幸い収穫後に果肉をくりぬいて冷凍しておいたものがあり、それを加工して2年間を乗り切った。加工品を主力商品としたことで、天候や収入の不安定さをどう乗り切るかといった農業経営の課題解決にもつながっている。
6次化商品「リリコイバター」の独特の売り方
しかし、ただ良いものを作っただけでは売れない。日本ではまだ一般的な食べ物とはいえないリリコイバターの売り上げがここまで上がった理由は、梁さんが営業をかけた場所の選択にある。
「リリコイバターはパンと一緒に食べるものなので、ベーカリーに置いてもらおうと。それで、インターネットで人気のベーカリーを探して、電話をかけたら、意外と話を聞いてくれました」
実際、この策は当たった。スーパーや百貨店の棚には多くのジャムやスプレッドが並び、その中から選ばれるのは難しい。一方ベーカリーの棚に並ぶジャムなどはそれほど多くない。しかも、農家が作ったこだわりの商品であるというストーリーを、人気のパン職人の口を通じて買い手に伝えてもらえる場所だったからだ。
「こだわりのあるパン職人の方って、農家に対するリスペクトがある人が多いと感じます。私がジャムメーカーの人間だったら逆に話を聞いてもらえなかったかも。農家の作る商品だったからこそ、一般的な商品との競合にならずに売れ続けているのだと思います」(梁さん)
そしてRYO’S FARMは2023年4月、新たな加工場も建設。リリコイバター以外の加工品の開発にも意欲的だ。
「パッションフルーツには女性にうれしい成分も含まれていて、種に含まれる成分のピセアタンノールは美肌や疲労回復を促進すると言われています。ホルモンバランスを整える働きがあるビタミンB6や、妊娠中に大切な栄養素の葉酸が豊富なこともあってか、最近ではパッションフルーツの商品も増えてきたなと実感しています。こういった利点も打ち出して、パッションフルーツや加工品もアピールしていきたいです」とパッションフルーツの魅力を語る梁さん。農家としてだけでなく、かつての広報マンとしての顔ものぞかせつつ、今後の抱負を語った。
農業は、続けることがチャレンジング
かなり意欲的に農業に取り組んでいる梁さんだが、2015年に独立してからずっと農地は15アールのまま、広げていない。あくまで一人農業が貫ける規模でやっていきたいというのがその理由だ。一人だからこそフレキシブルに農作業をコントロールできる自由さがあるという。「波のいい日にはサーフィンに行きたいですし。従業員が暑いハウスで作業をしているのに、自分はサーフィンに行くなんて、自分自身が許せないので(笑)」
自由な時間と暮らしを確保しながら、農業で生計を立てる道を見いだした梁さん。さらに、この10年で実感した農業の厳しさに触れて、こうも言った。
「ビジネスとしては成長しないなんてありえないと自分でも思ってはいるんです。でも、農業は天災もあって大変な仕事。農業で生計を立てることを長く続けていくって、それだけですごいことだなと。だから続けていくだけでも自分にとってはすごくチャレンジングなことなんです」
そんな梁さんの姿は自然体で、今の自分の農業に心から納得しているように見えた。