“奄美”で“甘み”の強いドラゴンフルーツを鉢で育てる
奄美大島の東部にある龍郷町のふるさと納税の返礼品の一つに、町産のドラゴンフルーツがある。「龍の郷(さと)」だけにドラゴンフルーツ、なかなかシャレが利いている。
町内にあるドラゴンフルーツを育てる圃場(ほじょう)を訪ねてみると、広い敷地に大量の鉢が整然と並んでいた。
「なぜ地植えではなくポット栽培?」と不思議に思っていると、この圃場の管理責任者、髙司雄二(たかし・ゆうじ)さんがその理由を説明してくれた。「これは水を切って糖度を高めるため。ドラゴンフルーツはサボテンの仲間だから水を嫌うんだけど、奄美の土は水はけが悪くてね」。この土地で地植えしてしまうと、水っぽくて薄い味になってしまうというのだ。
しかし、筆者が過去に食べた輸入物のドラゴンフルーツは、味の印象が残らないほど薄味だった。そもそもドラゴンフルーツとはそういうものなのではと聞くと、髙司さんがその場でドラゴンフルーツをもいで食べさせてくれた。
とれたて完熟の紫がかった赤い実には小さな黒い種が交じり、かぶりつくと果汁がたれるほどみずみずしく、そして甘かった。まったりとした甘さではなく、口に糖分が残らないようなスッキリとした甘みだ。
「輸入物は熟す前にとるから甘さがのってない。でもうちは完熟でとるからね」と髙司さんが言うように、甘さのポイントは収穫時期でもあるようだ。一番おいしいのはやはり収穫したてだそうだが、冷蔵保存すれば10日ほどはおいしく食べられるとのこと。
このドラゴンフルーツ、収穫期が7月から11月の5カ月間と長く、月に2回、計10回収穫ができる。1つの枝に実が1個ずつになるように摘果をし、1回の収穫で1本から5個ほどとれる。1本当たり1シーズンで50個収穫できるというわけだ。
栽培を始めた当初から20年間挿し木で増やしてきて、今は全部で4000鉢になった。「そろそろ樹勢が落ちてきた木もあって、これからは更新していかないと」と髙司さんは言う。
別の圃場も見せてもらった。圃場は全部で8カ所あるが、場所によってはカラスによる鳥害がひどく、防鳥ネットが欠かせないという。そのネットを張るのに、ドラゴンフルーツの支柱を利用している。
こうした工夫は誰が考えたのかと聞くと、「会長がアイデアマンで」と髙司さんは答えた。ドラゴンフルーツを栽培しようと言い出したのも“会長”なのだそう。この“会長”とは、この圃場でドラゴンフルーツを栽培する地元の大型スーパー「ビッグツー」の会長のことだ。
龍郷町にある「ビッグツー」は地元住民にとって生活に欠かせない買い物の場であり、観光客にとっては奄美のものならなんでも買えるお土産スポットでもある。
もちろんドラゴンフルーツも販売している。店長の松浦能久(まつうら・よしひさ)さんによると、観光客が立ち寄った際に購入して、その後電話注文による通販でリピートしてくれることが多いそう。ドラゴンフルーツの売り上げはビッグツーの売り上げの中ではまだ微々たるものだが、その存在価値は大きいと松浦さんは言い、「今後は6次化など、ドラゴンフルーツの打ち出し方を考えていかないと」と語った。
そうした取り組みの一環の意味もあって、ドラゴンフルーツを使ったメニューを出すカフェも敷地内にある。その名は「TABIBITONOKI(旅人の木)」。
ビッグツーの会長が「このカフェを観光客が旅の計画を立てたり、地元の人と交流したりするような場所にしたらどうか」と言ったことから、観光の情報拠点となるような場所を目指して作ったという。また、ここで働く2人のスタッフは関東出身の移住者で、スタッフからも奄美の魅力を聞くことができる。
さて、さまざまなアイデアを出してドラゴンフルーツ栽培を推し進めている会長に、実際に話を聞いてみることにした。
色に魅せられ、ドラゴンフルーツ栽培へ
「うちのドラゴンフルーツは甘みが自慢なんですよ」と言うのは、株式会社ビッグツーの創業者で会長の藤茂喜(ふじ・しげき)さん。
藤茂喜さんは1941年に奄美大島で生まれ、戦争中に本土に疎開し、その後は鹿児島市で育った。大島紬(つむぎ)の製造を手掛ける会社の2代目として事業拡大を担う中、1983年に鹿児島市にて織物工場跡地を利用した大型スーパー「ビッグツー宇宿(うすき)店」を開店した。2000年には龍郷町で「ビッグツー奄美店」を開き、その隣に観光植物園「奄美フルフラガーデン」も併設。もともとの植物好きが高じて、自ら栽培の工夫などを行っていた。
藤さんがドラゴンフルーツに出会ったのは20年ほど前のことだ。「沖縄からビッグツーに売り込みに来ている人がいまして、実の中の色が白じゃなくて赤の品種だったんですね。その色が素晴らしくてね」とのことで、最初は味ではなく色にほれ込んで栽培することにしたという。また、「赤というのは燃えるような色。この色で龍郷をもっと燃えるように盛り上げたくて」とも話す。
今はドラゴンフルーツをピューレにしたものをグループ企業のレストランで提供する料理の色付けなどに使っているそうだ。
さまざまな工夫の理由
地植えではなく鉢にしたのにも、糖度を高める以外の理由があった。ほとんどの農地が借地であることから、鉢ならすぐ移動もできる。また、台風の多い奄美では、台風対策も必須だ。ドラゴンフルーツが台風で鉢と一緒に倒れてしまっても、根元から折れるより影響も少ないという。
また、先ほど紹介した防鳥ネットの支柱も、頂上をリング状にしてあり、防鳥ネットを張るときに作業がしやすい工夫がされているという。そういった工夫を既製品ではなく、自分で考えてやっているのだ。
グループ企業で堆肥(たいひ)を調達
ビッグツーのグループ企業ではレストランやホテル、結婚式場を運営している。そこで出た食品残渣(ざんさ)を、以前は焼却処分していた。しかしここ10年ほどは堆肥化してドラゴンフルーツ栽培に使っている。そのおかげでほとんど肥料は使っていないという。堆肥の量は年間40トンほど。その堆肥も自社で作っている。さらに、奄美フルフラガーデンで出た剪定(せんてい)枝なども堆肥の原料にしているという。ドラゴンフルーツの栽培は、グループ全体の持続可能な循環の取り組みにも欠かせないものになっている。
「あまみ」という言葉にほれる
藤さんがドラゴンフルーツに取り組む一番の原動力は、やはり奄美という地域の振興だ。「あまみという言葉にも最近ほれてまして」と藤さんは話す。
「ビッグツーの店長の松浦が去年私にイタリアのワインを持ってきましてね。その名前が 『AMAMI』というんです。その時に、アマミ(奄美)というのはイタリア語で『私を愛して』という意味だと知りました」
この「私を愛して」という言葉を口にするためには、自分が愛されるに足る人間になるために努力しなければならないと感じた藤さん。それと同時に、奄美もこの名の通り愛される地域にするためにより魅力を高めることが必要だと感じたという。
実はこうしたマインドは今に始まったことではない。ビッグツーという会社の名前にもそれに通ずるものがある。「“ビッグワン”はお客様のこと。私たちはずっとその次の“ツー”。お客様に喜んでもらうのが私たちの仕事です」(藤さん)
ビッグツーが育てるドラゴンフルーツのおいしさの裏には、3つの「あまみ」があった。それは「甘み」を引き出すための栽培の努力と、「奄美」という土地、そしてこの奄美を愛して(Amami)もらえるように魅力を引き出していこうというさまざまな工夫だった。