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国産コーヒーがフツーに飲めるのはいつ? 沖縄コーヒー産地化への道のり

国産コーヒーがフツーに飲めるのはいつ? 沖縄コーヒー産地化への道のり

私たち日本人にはお茶を飲む習慣があるが、それと同じくらいコーヒーを飲む文化も浸透しているのではないだろうか。その証拠に、街を歩けばあちこちにコーヒーショップや喫茶店が目につく。しかし、そこで提供されるコーヒーは必ずと言っていいほど輸入された豆を使ったものだ。コーヒーはそもそも熱帯で栽培されるもので、日本での栽培は難しいから仕方がないのだろう──。そう思っていたら、沖縄県では、国産コーヒーの大規模栽培を目指す取り組みが進みつつあるそう。そのプロジェクトとは?

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「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」で沖縄のコーヒー産地化へ

沖縄コーヒープロジェクト看板

沖縄で大規模な国産コーヒーの栽培を目指すプロジェクトが進んでいる。「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」だ。「ネスカフェ」とついていることからもわかるように、世界的な食品飲料企業であるネスレの日本法人であるネスレ日本株式会社と、サッカー元日本代表の髙原直泰(たかはら・なおひろ)さんが代表を務める沖縄SV(エスファウ)、そして琉球大学や地元の自治体などが協力して推進する産官学連携プロジェクトだ。

沖縄でのスポーツクラブ設立をきっかけに農業を始めた髙原さんが、ネスレ日本に「コーヒーを栽培したい」と相談したことから始まったこのプロジェクト。ネスレが世界的に展開する栽培支援プログラム「ネスカフェ プラン」の一環として、沖縄の耕作放棄地活用や地域活性化も目的とする。現在は沖縄県内の各自治体、琉球大学、北部農林高等学校、協力農家などと連携してプロジェクトを進めているところだ。
2019年のプロジェクト発足から5年がたち、協力農家として一緒にコーヒーを育てる仲間も増え、「沖縄のコーヒー産地化」という目標実現に近づきつつある。

“コーヒーベルト”からちょっと外れた沖縄で、コーヒーの露地栽培

2024年2月、筆者はネスレ日本が管理するコーヒー農園を訪れた。案内してくれたのは、一色康平(いっしき・こうへい)さん。ネスレ日本の社員で、このプロジェクトで栽培の指導を行っているコーヒーの研究者だ。

一色さん

一色さん

この圃場(ほじょう)はもともとマンゴーのハウスで、ハウスの古い骨組みは残されたまま。さらにマンゴーの木も、コーヒーのシェードツリーに活用するために残されていた。2023年の夏から整地を始めたばかりということで、植えつけられたコーヒーの木はまだ小さい。一色さんによると、この圃場のほか、協力農家に配布しているコーヒーの苗は、ネスレの研究の結果、世界の何百種類という品種のうち味が良く、沖縄という土地での栽培への適応性が高いとされたものであるとのことだ。

一般にコーヒーは「コーヒーベルト」と呼ばれる北緯25度から赤道を挟んで南緯25度までの熱帯地域で、かつ標高の高い産地で育てられることが多い。しかし、沖縄はそこからギリギリ外れた北緯26度だ。それでも一色さんは「露地栽培でコーヒーが育てられるのは、日本では沖縄ぐらい。沖縄では冬でも霜が降りず、5度を下回らない」と沖縄での栽培に自信を見せる。

一方で、沖縄での栽培で最も大変なのは台風対策だ。暴風にあおられると、あっという間に木が倒れてしまい、その後の復活も難しい。一色さんは「フィリピンなど、海外にも台風の影響を受けるコーヒー産地はある。環境条件の違いは考慮したうえで、そうした海外の例も参考にすることがある」と話してくれた。
また、台風対策としてコーヒーの木を2メートルぐらいで切り、枝が上に伸びないようにすることで風の影響を少なくしているそう。これは多くの生産国で収穫のしやすさのために実践していることだそうだ。
「本当は台風対策としては1.5メートルぐらいが良いのですが、それだと収量も少なくなってしまうので」(一色さん)
産地化を目指すには収量の確保は大前提だが、台風とのせめぎあいは避けられないようだ。

協力農家を呼ぶプロジェクトの農家支援

協力農家

ジェームス・ハービンさん(左)と北川明子さん(右)

2022年からコーヒー栽培に挑戦しているという協力農家にも話を聞くことができた。
恩納村で数年前から農業を始めた北川明子(きたがわ・あきこ)さんと夫のジェームス・ハービンさんだ。北川さんは那覇市出身、ハービンさんはアメリカのボストン近郊出身とのこと。栽培を始めることにしたきっかけは、浅煎りコーヒーを専門に出しているカフェで飲んだコーヒーだったという。

世界中を旅してきたビジネスマンであるハービンさんは「コーヒーはどれも変わらないと思っていたけれど、そのコーヒーを飲んでガラリと考え方が変わった。産地の違いで味わいがここまで変わるのかと」と当時の衝撃を振り返る。
そこから二人は「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」を知り、自分たちも参加したいとネスレ日本に自ら問い合わせ、苗木を無償で提供してもらったそうだ。その後、一色さんにコーヒー栽培に関する指導も受けている。
「いろいろ教わる中で驚いたのが、コーヒーと一緒に混植する作物でコーヒーの味も変わるということ。うちはバナナとパパイヤとドラゴンフルーツも一緒に植えています。そうやってオリジナルのコーヒーの味が作れたら楽しいですね」と北川さんは笑顔で話す。二人が目指しているのは、シークワーサーのようなフルーティーな香りのコーヒーだという。「もう名前も決めているんだ。『HABU(ハブ)コーヒー』だよ」とハービンさんは茶目っ気たっぷりの笑顔で教えてくれた。

プロジェクトではこのように一色さんによる指導など、支援も手厚いという。こうした支援体制もあって、協力農家は現在10軒、圃場は15カ所に広がり、生産量の拡大に向けて確実に歩を進めている。

沖縄コーヒーがメジャーになる日も近い?

プロジェクト開始から5年。協力農家の中には、プロジェクト開始前からコーヒー栽培に取り組んでいたところもあり、すでにコーヒー豆の生産や提供も始めている。沖縄県内では沖縄コーヒーが飲めるところも増え、プロジェクトと相まって、沖縄産のコーヒーの広がりが見えつつある。
そんな中、「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクト」のオフィシャルサポーターとして、沖縄出身の4人組バンド「HY」が就任した。

沖縄コーヒープロジェクト_HYと髙原さん

HYのメンバーの皆さんと髙原直泰さん(写真中央)

さらに、就任と時を同じくして新曲「明日種 ~アシタネ~」も完成。そのミュージックビデオの撮影はコーヒーの圃場などで行われ、髙原直泰さんや協力農家、北部農林高等学校の生徒なども出演している。

ネスレ日本 飲料事業本部の上林亮陽(かんばやし・よしはる)さんによると、「プロジェクトの関係者一同で、沖縄県の土壌や気候にあった品種や栽培方法を探るとともに、生産量の拡大を目指しています。多くの方に沖縄のコーヒーを飲んでいただけるようになるには、まだもう少し時間がかかりますが、コーヒーを沖縄県の新たな特産品にするべく、一歩ずつ前に進んでいます。オフィシャルサポーターに就任したHYさんの歌や活動を通じ、このプロジェクトの存在を、これまで以上に多くに方に知っていただけるのではと、期待しています」とのことで、プロジェクトのこれまで以上の広がりに期待を見せた。

日本にはコーヒーを愛する人がたくさんいる。沖縄のコーヒーが多くの日本人に愛されるようになる日はそう遠くなさそうだ。

取材協力・画像提供:ネスレ日本株式会社

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