タケノコ農家のために始まった竹紙
8月上旬、鹿児島県の北西部にある薩摩川内市の竹林を訪れた。作業がしやすいように傾斜地は段々に整備され、軽トラックや農機が走れるほどの幅の道は、散歩道のように歩きやすい。街なかより涼しいことも相まって、とても居心地の良い空間だ。放置竹林対策の取材でやってきたのだが、ここは放置竹林とはほど遠い。
「この竹林は持ち主のタケノコ農家さんが手入れしやすいように工夫して整備したものなんです。タケノコの生産効率を上げるために5年たった竹を伐採するんですが、それが『竹紙』の原料になります」。そう教えてくれたのは、中越パルプ工業株式会社の西村修(にしむら・おさむ)さん。同社では国産の竹から紙を製造しており、その原料となる竹を薩摩川内市やとなりの薩摩郡さつま町のタケノコ農家から購入している。
中越パルプ工業は1947年に富山県で創業した製紙会社だ。1950年代に当時の川内市の企業誘致を受け、鹿児島に工場を建設した。川内市周辺には製紙原料となる森林が多く、かつ製紙に必要な水も豊富で、輸送に便利な港もあったのが進出の理由だ。
竹紙の製造が始まったのは1998年。川内工場で製紙材料調達の責任者をしていた社員のもとに、地元の竹農家が伐採した竹の処分に困って製紙材料にならないかと相談をしてきたことがきっかけだったという。
「当時の担当者はもう亡くなっているのですが、僕の上司だったこともある人でした。地域の農家さんが困っているのを見て、地域の課題を“自分ごと”としてとらえ、解決につながればと鹿児島の竹を製紙原料に活用する試みを始めました。その後、紙になったものの、社内では注目されていませんでした。僕はこの取り組みを本当に良いと思って、名前もなかったこの紙に『竹紙』と名付け、勝手に竹紙を伝える活動を始めたんです」(西村さん)
竹は非常に成長が早いうえに、世の中には放置竹林が多くあり、活用されていない竹は大量にある。製紙材料として掘り出し物だったから事業化したのかと問うと、西村さんは「竹を製紙材料にしたい製紙メーカーなんてないですよ。コストがかかるし、実のところ製紙原料としては木材に比べて不向きですから。それでもやる意味がある」と答えた。その意味とは何なのだろうか。
タケノコを栽培する竹林で、竹として地上に見えているのは「親竹」だ。タケノコの親となる竹だから、親竹。その根元から地下茎が横に伸びていってタケノコが発生する。親竹は10年ほどタケノコを生み出し続けることができるが、5年目を過ぎるとその量が少なくなる。そこでタケノコ農家は、5年を過ぎた親竹を伐採し、新たな親竹となるタケノコを選定して育てる。行政もタケノコの生産量アップのために親竹の更新をいっそう推奨するようになったという。
すると、タケノコ農家は所有する竹林のうち5分の1を毎年伐採しなければならない計算になる。その伐採作業も大変だが、切った大量の竹の処分も大変だ。竹は腐りにくく、放置するとどんどんたまってしまうので、農家は燃やしたりお金をかけて処分したりもしていたという。しかし竹紙の材料として伐採した竹を売ることができるようになったおかげで、農家はタケノコ栽培や竹林の管理が続けられるという仕組みなのだ。それがひいては放置竹林の増加を食い止めることにつながっている。
他の製紙会社が竹の紙を作らないわけ
現在、日本の竹のみで紙を作っているのは中越パルプ工業の川内工場だけだ。他の製紙会社が竹を原料とする紙を作ろうとしないのには理由がある。
まずは輸送のコスト。竹は中が空洞なので、輸送の際に非常にかさばる。トラックなどに一度に積める量が一般的な木材に比べて圧倒的に少ないため、輸送の効率が悪い。
この問題を、同社は農家に自ら竹を持ち込んでもらうことで解決している。
現在、タケノコ農家は中越パルプ工業の取引先であるチップ工場に竹を持ち込む仕組みになっている。製紙工場が紙の原料として買うのは丸太の状態の木材ではなく、木材を細かく切削した「チップ」だ。木材は専門の工場でチップに加工される。そこに持ち込む際の輸送コストは農家負担だが、竹は有償で引き取ってもらえるので、農家にとってはプラスになる。
農家が竹を持ち込むチップ工場の一つ、さつま町の三富(さんとみ)興業株式会社を訪ねた。
工場長の米盛伸一郎さんによると、竹が多く持ち込まれるのは伐採の適期とされる10月から12月にかけて。「畑も田んぼも落ち着いた暇な時期に山で竹を切ってここに持ち込めば、農家さんの収入になります。高齢の農家さんも多いので、わずかながらも年金の足しになると喜ばれてます」(米盛さん)。さらに台風シーズンには風で倒れてしまった竹などが持ち込まれることもあるといい、そうした竹の処分にも竹紙は役立っている。
竹をチップにする際の切削に関しても、普通の木材よりもコストがかさむという。
一度に軽トラックに乗せられる竹の重さは350キロまで。工場では竹チップを運ぶトラック1台分の竹がたまると竹の切削にとりかかる。作業の前には必ず新品の刃に取り替えると米盛さんは話す。竹は木材より硬いので、新しいものでないときれいに切れないのだそうだ。その交換の手間やコストもかかる。
こうしてチップ化された竹は、川内工場に運ばれる。
また、竹紙は製造の際のロットが小さく、ほかの製紙会社では対応が難しいという。
製紙工場は1日24時間休みなく稼働している。紙は大きなロットで大量に製造することで生産コストを下げるのが普通だ。連続蒸解釜と呼ばれる大きな釜で、投入したチップを薬品を使って高温高圧で煮てセルロースだけを取り出し、紙のもとになるパルプを24時間絶え間なく生産する。
だが、世界で最も日本の竹を活用している川内工場でも、その生産規模からすると、使われる竹チップの量は連続蒸解釜には少量すぎる。たまたま川内工場には古い小さな釜も残っているため、その釜で竹パルプを作り、竹紙を作り続けることができるのだという。
しかし、竹チップの量は年々減っていると話すのは、川内工場の製紙原料調達責任者である原田大五(はらだ・だいご)さん。「農家さんも高齢のためにタケノコ栽培を続けられなくなり、農家軒数の減少に比例して竹の納入量も減っていて、それをどう維持するかが課題です。木材を切っている業者に竹の伐採も頼めればいいのですが、やはり普通の木材の3倍ほどのコストがかかるので、難しいんです」と、竹の伐採が困難である実情について語ってくれた。
放置竹林対策としての竹紙の限界と可能性
では、伐採のコストや人手の問題さえ解決すれば、竹の製紙材料としての活用はもっと進むのだろうか。こう聞くと、西村さんは首を横に振った。
「全国の放置竹林の竹を全部集めても、実は普通の木材の量に比べると圧倒的に少ないんです。竹はたくさんあるように見えて、山のふもとの里山にしかないことに意外とみんな気づいていないですよね」
タケノコ品種の主流であるモウソウチクは、江戸時代中期に中国から琉球を経て薩摩藩に持ち込まれ、日本全国に広まったという説もある。当時はタケノコを取るだけでなくカゴなど日用品の材料として重宝されており、人々は竹林を大切に管理していた。しかし時代と共に竹はプラスチックに取って代わられ、タケノコも中国産のものなどが多く輸入され、竹林は放置されるように。さらに、価値を失った竹林は相続登記がなされず現在所有者がわからない状況になっていることも多いという。竹林だけでなく耕作放棄地も同様で、鹿児島県は相続登記がされていない農地の面積が全国2位、耕地面積の割合に換算すると全国1位だ。竹林も同様と推測しても大きく間違ってはいないだろう。持ち主がわからない竹林は勝手に伐採することはできず、放置されたままになることも多い。
「だから、今竹林を管理している人がそれを続けられることが大事。その取り組みに竹紙は役立っています。効果は微々たるものですが」(西村さん)
竹紙を通じて、消費者に里山や竹林の大切さを伝える社会活動へ
竹紙を製造する際の効率の悪さやコスト高はいまだ解消されていない。利益につながらない事業は消えるのが普通だろう。それでも、西村さんはこの取り組みは意味があると主張し、竹紙を伝え続けてきた。
「製紙会社は本来BtoB(企業間取引)の企業です。紙は社会で大量に使われていますが、消費者はその原料を気にすることはほとんどないし、我々が原料について伝える手段もありません。そこで、僕は直接消費者に日本の竹で紙を作っていることを伝えようと、さまざまな竹紙の商品を生み続けています」
西村さんはデザイナーと組んで竹紙のソーシャルアクション「MEETS TAKEGAMI(ミーツ タケガミ)」を立ち上げた。ソーシャルアクションとは、社会問題の解決のためにとる行動のこと。これにより竹紙の取り組みだけでなく、竹を生む里山の保全やその豊かな生物多様性などを伝えようとしている。商品には竹が使われているとわかるように、それぞれの商品に竹紙のロゴが付いている。
さらに、竹紙の折り紙を使った子供向けのワークショップも行っている。専用のグラフィックで彩られた折り紙を折ると、生物多様性の宝庫である里山の生き物たちが出来上がる仕掛けだ。子供たちに生物多様性保全に興味を持ってもらうきっかけになればと、西村さんは休日返上で各地を飛び回っている。
「僕は社会のためになればと、この活動をやっています。地域の課題を“自分ごと”としてとらえ、さまざまな困難があっても頑張っている人がいるということを伝えたい。世の中にはいいことをやりたいと思っている人がいる。そういう人が行動すれば、世の中ちょっとずつでも良くなるんじゃないかな」(西村さん)
放置竹林問題に限らず、人口減少や高齢化が進む地方には多くの課題がある。それを解決する方法はさまざまで、アプローチの仕方も考え方も人それぞれだ。それでも、それらの解決のために一人一人がアクションを起こすことこそが地域を守ることにつながる。竹紙の取り組みはそんな示唆に富んでいた。