売り上げの半分が輸出
日本農業は設立が2016年。外資系コンサルタント会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーの日本法人に勤めていた内藤さんが立ち上げた。全国550軒の農家から青果物を仕入れているほか、自社農場も運営している。
2025年7月期の連結ベースの売上高は前期比60%増の85億円を見込んでいる。農業分野では異例の急拡大と言えるだろう。もちろん、その先もさらなる成長を見込んでいる。
売り上げの半分を輸出が占めている。販売品目はリンゴを中心にサツマイモやブドウ、イチゴ、キウイなど幅広い。台湾や香港、タイ、シンガポールなどアジア各地のほか、カナダやドイツにも輸出実績がある。
自然体で農業に参入
ここから先はまず、内藤さんの創業の原点を紹介したい。
農業分野での起業を志した背景の1つに、米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校農学部での1年間の留学経験がある。内藤さんの実家は農家ではない。なぜ農業に興味を持ったのだろうか。そうたずねると、「正直に言うと、そんなに深い理由はない」という意外な答えが返ってきた。
その意味を、内藤さんのいくつかの言葉から探ってみよう。
「僕が20歳ぐらいのとき、いま60歳ぐらいの農業経営者の方々がすでに成功を収めていた。なので農業に対して悪い印象は一切なかった」
「その状態でフラットに見ると、農業にはまだ広いキャンバスが広がっていて、自分たちで絵を描けそうに思えた。他の多くの業界はすでに成熟しているのに対し、農業には可能性があり、面白そうだと思った」
「日本の農産物はおいしいし、自分たちはそこに誇りを持つことができる。この分野で何か仕事ができたら、楽しそうだと思った」
こうしたコメントを踏まえ、内藤さんの「深い理由はない」という言葉を解釈すれば、「厳しい状況にある農業を救いたい」などの使命感が先に立ち、農業を選んだわけではないという意味になるだろうか。
もちろん、内藤さんは農業を元気にしたいという思いを抱いている。だが大切なのは「面白そうだから」という理由で、自然体で農業の世界に入った点だろう。悲壮な決意とは無縁の明るさがそこにある。
農業の世界には「もうからない」という不満がずっと渦巻いていた。今もそうした声は少なからずある。そんな中で、肩に力を入れず、ポジティブな気持ちで農業を始める世代が登場したことは注目に値するだろう。
ゼロからのスタートだから可能になったもの
海外での販路の開拓は貿易業者などに任せきりにするのではなく、自ら現地に赴いて進めた。「創業のときは『飛び込み』も含めて、どんどん営業しに行った」という。狙った先は、現地のスーパーなどだ。
「日本の農産物は当時、日系のスーパーにはあっても、地場の店舗にはあまり入り込めていなかった。そこにガッと営業をかけたことが、差別化につながった」。日系のスーパーに的を絞ったのでは量が限られる。輸出で事業を拡大することを目指す内藤さんに、その選択肢はなかった。
これは事業の効率にも関わるテーマだ。取扱量が少なければ、一品当たりの輸送コストがかさむ。その結果、販売単価がどうしても高くなり、大きな市場を現地でつかむのが難しくなる。内藤さんはそれを避けるため、始めから取扱量を一定以上に増やすことを前提に事業計画を立てた。
だから「ある程度店舗数のあるスーパーのチェーンや、そこと取引のある現地の輸入業者に営業をかけた」。海外で販路をつかむのと歩調を合わせながら、国内の仕入れ先の農家を増やし、事業を大きくしていった。
この戦略に多くの人は賛同するだろう。ではなぜ、それを実現できた例がほとんどなかったのか。この点について、内藤さんは「(これまでの農産物の販売は)国内に売り先がたくさんあり、忙しいからではないだろうか」と話す。
いままでのやり方を批判するのが内藤さんの意図ではない。「10年後を見据えると、絶対に海外市場が大事なのは誰もがわかっている。でも現状は国内向けのビジネスで回っているので、海外の優先順位が落ちがちになる」。販路を大きく切り替えるのは、思うほど簡単ではないのだ。