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5キロ6000円台のブランド米 高値を支える技術と気候と良質な雪解け水

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

5キロ6000円台のブランド米 高値を支える技術と気候と良質な雪解け水

5キロ4000円台の米価で世の中が揺れる令和の米騒動。だがそれとは関係なく品質が評価され、もっと高い値段で以前から売れているコメがある。支えるのは農家の技術と気候条件、そして歴史のある生産インフラだ。金井農園(群馬県沼田市)を運営する金井繁行(かない・しげゆき)さんを取材した。

コシヒカリが5キロで6400円

金井農園のホームページを見ると、そのブランド力がわかる。メインの「真田のコシヒカリ小松姫(プレミアム)」は送料込みで5キロ6800円。JAS有機の認証を取得した白米だ。玄米なら6400円。どれも破格の高値だ。

農園の面積は20ヘクタール。他に仲間の農家に栽培を委託して販売しているコメもあり、その分の面積も20ヘクタールほどになっている。

金井さんは67歳。実家は農家だが、大学を出ると沼田市役所に就職した。「自分が思い描く農業経営をやってみたい」と思い、就農したのが55歳のとき。父親は80代で、膝を痛めて栽培を続けるのが難しくなっていた。

真田

金井繁行さん

父親は農薬や化学肥料を普通に使ってコメを育て、地元の農協に出荷していた。収入を左右するのは単収と1等米比率。農協出荷なので、売価を自分で決めることはできない。ごく一般的な稲作農家の営農だ。

これに対し、金井さんは「コメの値段を自分で決めて、自分で売り先を見つけたい」と考えた。それが農業経営のあるべき姿だと思ったからだ。

67歳という年齢を聞くと、長い時間をかけて技術を磨いたベテラン農家をイメージするかもしれない。だが就農したのは50代半ばで、しかも品質の評価を得て売り先を確保するまでそう長い時間を要しなかった。

なぜそれが可能になったのか、というのが本稿のテーマだ。

初挑戦のコンテストで金賞

コメ作りを始める傍らで、すぐ販路の開拓に乗り出した。東京ビッグサイト(東京都江東区)などで開かれる商談会に参加してみた。だが「誰も振り向いてくれなかった」。そこで最初のうちは友人に買ってもらっていた。

NHKのある番組を見て、目標を思いついた。オリンピックで9個の金メダルを取った米国の往年の陸上選手、カール・ルースが題材の番組だった。「金メダル」というキーワードが、頭から離れないようになった。

「コンテストに挑戦してみよう」。そう思って調べてみると、格好の機会があるのを知った。名前は「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」。腕に覚えのある全国の農家が参加し、国内で毎年開かれている大会だ。

真田

「真田のコシヒカリ小松姫」

初めて参加したのは2015年の大会。就農から3年目だ。結果は金賞。「え?オレが?」。客観的な評価を得たいと思って挑んでみた大会だが、いきなり金賞を取れるとは思っていなかった。「自分が一番驚いた」と振り返る。

これで活路が開けた。高崎高島屋のバイヤーから連絡があり、催事に出店するよう勧められた。催事に来た水上温泉や草津温泉の高級旅館の板長から、「納入できますか」と聞かれた。もちろん「できます」と答えた。

重要なのは、受賞が決してビギナーズラックではなかった点だ。金井さんはその後も、同じ大会で金賞や特別優秀賞を取り続ける。初挑戦の結果が、「まぐれ」ではなかったことを証明した。

現在の販路は百貨店や生協、通販サイト、自然食品店、飲食店など。いずれも値段の安さではなく、味の良さを評価してくれる売り先だ。

ここで疑問が浮かぶ。なぜ当初から品質が高かったのか。

収量より食味を優先

就農するとすぐ、技術の高さで定評のある隣町の農家に教えを仰ぎに行った。年は4、5歳上。金井さんは「指示通り忠実にやった」と振り返る。

味を良くしてブランド化するには、有機栽培にすべきだという考えはもともとあった。ではどんな有機肥料を使えばいいのか。育苗のコツは何か。株間はどれ位にすべきか。「ノウハウを惜しみなく教えてくれた」という。

心がけたのは、収量を増やすのを優先しないこと。コメは一般的に収量が多いと食味が落ちる傾向がある。そこで苗の本数を少なくして風通しを良くし、意図的に単収を抑えておいしいコメ作りを追求した。

昼夜の寒暖差の大きい気候も味を高めるのに役立った。北で隣接しているのは全国でも有数の良食味米で知られる新潟県南魚沼市。気候条件はほぼ共通で、おいしいコメを作るポテンシャルはもともとあった。

真田

苗作りの様子

コメ作りを支え続ける「真田用水」

味を高めることを可能にした要素は他にもある。降雪の多い武尊山や谷川岳などを源とする良質な雪解け水が流れる「真田用水」だ。

整備されたのは江戸時代初期。真田信之から信利まで、沼田藩の5代の藩主が切り開いた用水は約100本。さまざまな災害に遭いながらも修復を繰り返し、現在にいたるまでこの地域の稲作を支えている。

初代信之は有名な真田幸村の兄。妻の小松姫は、徳川家の家臣の本多忠勝の娘だ。信之が藩主に就いたころの沼田藩には有力な用水がなく、いかに水を確保するかが稲作の振興と村づくりにとって課題になっていた。

それを解決したのが真田用水だ。金井農園のホームページには「小松姫は、雪を抱いた武尊山から流れてくる雪解け水を沼田台地上の水田に引くために、用水路を作ってはどうかと、信之公に進言しました」とある。

この逸話にちなみ、真田家への感謝の気持ちを込めてブランド名を「真田のコシヒカリ小松姫」とした。命名に際し、金井さんは信之から数えて真田家の14代目の「当主」を訪ね、了解してもらったという。

真田

良質な雪解け水が流れる真田用水

嫌いだった農業にのめり込んだ

金井さんが大学を出た後、いったん市役所に就職したことについて冒頭で触れた。理由は「農業にまったく興味がなかった」からだ。

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