子供との時間を増やしたくて脱サラ
早崎さんは44歳。2023年に千葉県野田市にハウスを建て、イチゴを育て始めた。もともと風力発電の風車を輸入販売する都内の会社に勤めていた。扱っていたのは、この分野で世界最大のデンマークのメーカーの商品だ。
収入は十分にあり、やりがいのある仕事でもあった。それでも会社をやめたのは、家族と一緒に過ごす時間を増やしたかったからだ。国内外に出張することが頻繁にあり、子供たちと接する時間をほとんどとれていなかった。
欧州に出張すると、風車のオーナーは農家が多かった。副業として風力発電を手がけているのだ。その多くは、家族や親戚が集まって農業をするという経営スタイルだった。そんな暮らしに憧れて、就農を決断した。

早崎剛史さんのイチゴのハウス
就農に先立ち、太陽光発電と農業の2つを事業の柱に知人が設立した会社に参画してみた。まず栽培を経験してみたかったからだ。野田市で10ヘクタールの耕作放棄地を借り、サツマイモの栽培に2年間取り組んだ。
独立に際し、サツマイモではなく、イチゴを選んだ理由はシンプルだ。「野田に引っ越してサツマイモを作ろう」と子供に言うと、反応はイマイチ。そこで「イチゴならどう?」と聞いてみると、「行く!」と喜んでくれた。
栽培で重視するのは「再現性」
「再現性を追求している」。早崎さんは栽培についてそう話す。その実現のために選んだのが、地面から浮かせた棚の中で育てる高設栽培。土耕と違って栽培環境を制御しやすく、打った手の効果がはっきりするからだ。
効果を確かめるうえで重視しているのがさまざまなデータだ。室温や湿度、日射量、二酸化炭素の濃度などを測定。水や液肥を栽培棚に自動で流し、天窓を開閉するなどして室内が最適の状態になるようコントロールする。
最適かどうかを判断する手がかりになるのが、生育状況の測定だ。こちらはセンサーではなく、定規で自ら測る。早崎さんいわく「細かいですよ」。葉っぱの大きさや株元の太さ、花が咲いた時期などをチェックする。

再現性を高めるために高設栽培を選んだ
早崎さんの栽培のモットーは「感覚には頼らない」こと。もし目で見て「様子がおかしい」と感じても、それだけでは判断せず、いろいろなデータを突き合わせながら、イチゴの状態とその理由を分析する。
こうしたノウハウは、サツマイモを育てる傍ら、埼玉県春日部市の有名なイチゴ農家のもとに通って学んだ。就農後も、生育状況で疑問を感じると連絡するようにしている。「師匠は快く教えてくれる」という。
師匠の指示により、1年目に禁じ手にしたことがある。害虫を退治してくれる天敵昆虫を使わなかったのだ。案の定、「ハダニやアザミウマなどのオンパレードになった」。手作業で取り除くのに大変な苦労をした。
2年目は天敵昆虫を導入した。これも師匠の勧めだった。いつどんな害虫が出るのかを確かめたうえで、2年目以降は有効な手を打つ。新規就農者が時間をかけて気づくことを、一気に学び取るための作戦だろう。
3つのこだわりで味に差
イチゴの味を高めるためのこだわりは3つある。花の一部を摘んでイチゴの数を絞り、1個あたりの糖度を高める。日の出から90分以内に収穫することで、呼吸で糖が消費されるのを防ぐ。そして完熟させてから出荷する。
明確なポリシーがここにある。実の数を絞るので収量が減り、完熟なので日持ちもしにくくなる。だがその結果、一般的なイチゴと味で差を出すことが可能になる。それがブランドの確立に直結すると考えた。

早崎さんの育てたイチゴ
主な販路はフタバフルーツパーラーやカシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)、小田急グループの箱根湯寮(神奈川県箱根町)など。早崎さんの作るイチゴのおいしさに驚いた知人などのつてで、売り先が広がっていった。
ブランド化に関してこだわっている点は他にもある。イチゴは気温が上がる5月以降になると、収量は増える半面、どうしても味は落ちる。それをカバーするため、値段を下げることで販売を続けようとする農家が多い。
これに対し、早崎さんは5月に入ると、イチゴの販売を基本的にストップさせる。