従来の研究では注目されてこなかった根圏の環境制御
人工光を用いた閉鎖型の植物工場では、栽培環境を自由に制御することができる。そのため作物ごとに栽培環境を最適化する研究が進められているが、その多くは地上部に働きかける栽培環境に注目した研究であった。
これに対して東京大学大学院農学生命科学研究科の准教授、矢守航さんらの研究グループは養液栽培のレタスを対象に根圏に作用する培養液の温度を制御し、植物工場の生産性を高めようとしている。こうした研究に取り組むことになった経緯について、矢守さんがこう説明する。
「これまで植物工場の生産性を向上させる研究では、もっぱら光合成の活性を高めることを目指し、地上部に影響する栽培環境が注目されてきました。気温、光量、二酸化炭素などを最適化する研究が取り組まれてきたのですが、そうした研究の成果を取り入れてもなお、思うように収量、品質を向上させられないと感じるようになり、地下部、つまり根圏の環境制御が重要ではないかと考えるようになりました」

最新の研究成果を取り入れても植物工場の生産性を高められないことに気付き、根圏に注目した研究に取り組むようになった矢守さん
矢守さんらは根圏の環境制御の可能性を探るため、レタスを用いた基礎的な栽培実験を実施することにした。気温を、昼間25℃/夜間20℃、昼間30℃/夜間25℃の2条件に設定し、培養液を15℃から35℃まで5℃刻みで変えて栽培。レタスの成長を比較したところ、培養液の温度次第で地上部、地下部ともに成長に大きな差が生じることが明らかになった。

15℃から35℃まで5℃刻みで培養液の温度を変えてレタスを栽培したところ、いずれの気温条件でも地上部、地下部ともに成長に差が生じることが明らかになった(出展:Optimum root zone temperature of photosynthesis and plant growth depends on air temperature in lettuce plants)
培養液の温度設定ミスが次の研究の道を拓いた
次にレタスの栽培期間中に培養液の温度を変える実験を行った。播種後16日間、気温22℃で栽培した後、レタスを栽培する16日間、培養液の温度を25℃、35℃で一定に保った条件に加え、25℃で栽培を始め、13日、9日目、5日目に35℃に上げる3条件を設定。計5つの条件でレタスの成長を比較した。すると、地上部は25℃で変化させなかった条件が最も大きく成長し、35℃の日数が長くなるほど小さくなっていった。
レタスの栽培では15~20℃が推奨されており、35℃は熱すぎて成長が阻害されるのは極当然の結果と言えるが、その一方で35℃の培養液に曝される期間が長いほど、アントシアニンやカロテノイドといった機能性成分が増えることが明らかになった。こうした結果になった理由について、矢守さんはこう推測する。
「35℃の培養液に曝されたことが高温ストレスとなり、レタスは生体防御反応として抗酸化作用を持った成分を増やしたのでしょう。35℃は熱すぎるにしても、根圏温度を適切に制御すれば、植物体を大きくしつつ、機能性成分を増やして、作物の高付加価値化が図れるとの期待が持てる研究になりました。ただ、この実験の過程で、その後の培養液を3℃加温する研究を始めるきっかけが得られたんです」

培養液の温度を25℃から35℃に変化させたところ、35℃の期間が長いほど、機能性成分が増加した(出展:Controlling root zone temperature improves plant growth and pigments in hydroponic lettuce)
この実験では培養液の温度を25℃から一気に35℃まで上げているが、なぜ本稿の主題でもある「3℃の加温で収量増」の結果が導き出されたのか。きっかけは、実験が行われた2022年当時、大学院修士課程2年生だった林蒼太(はやし・そうた)さんが温度コントローラの設定を誤って、10℃上げるべきところを3℃上げるように設定してしまったことだった。研究目的と実験条件が異なるため、誤った温度設定での実験結果は論文にまとめる際には取り上げなかったが、無加温の培養液で育てられたレタスに比べて大きく成長していたという。矢守さんがこう続ける。
「林さんから『3℃でもレタスが大きく育ちました』との報告を受けましたが、わずかな温度上昇ですから、レタスが鋭敏に反応を示すはずはない…と当時は考えました。それでも『データは本物です。もう1回、実験をやらせてください』と乞われました。研究室のモットーは“失敗歓迎・好奇心最優先”なので、培養液を3℃加温する実験をやってもらったら、間違いなくレタスは大きく成長しました」

温度コントローラの設定を誤ったことで、培養液を3℃加温するだけでレタスの生産性を高める研究の道を拓いた林蒼太さん
林さんの再現実験を受けて、矢守さんは研究方針を転換。本格的に培養液を3℃加温した際のレタスの反応を調べる研究に取り組むことになった。少量の培養液で栽培できる薄膜水耕(NFT)で、循環タンクにヒーターを設置。循環タンクからポンプで送られた培養液が栽培トレイに入る入口と、栽培トレイの中央、そして再度、培養液がタンクに戻る出口の3か所に液温センサーを組み込み、システム全体で誤差が0.2℃以内に留まるようにして、レタスの栽培実験が行われた。
電気代が増大しても収益増が期待できる
加温しなければ、培養液の温度は気温と同じになる。矢守さんらは栽培トレイに仕込んだ温度計が17℃、22℃、27℃、30℃になるようにエアコンを設定し、無加温と3℃加温でレタスの成長を比較した。その結果、すべての気温条件で3℃加温したほうが、地上部、地下部ともに大きく成長することが確認された。

培養液を3℃加温したところ、すべての温度条件でレタスの地上部、地下部が大きく成長した(出展:Raising root zone temperature improves plant productivity and metabolites in hydroponic lettuce production)
さらに機能性成分が増加も認められ、クロロフィル、カロテノイドはどの室温でも増え、アスコルビン酸(ビタミンC)に関しては気温17℃の条件以外で増加することが明らかになった。

培養液の3℃加温により、レタスに含まれる機能性成分が増加し、作物の高付加価値化が期待できる
レタスが大きく成長するだけでなく、含有する機能性成分まで増加した理由について、矢守さんがこう説明する。
「根からの養分の吸収には輸送体と呼ばれるタンパク質が関わっていて、その活性は温度に依存します。ですから、培養液を加温することで輸送体の活性が高まり、養分をより多く吸収できたのです。その結果、様々な生命現象を司る酵素となるタンパク質が増え、大きく成長するだけでなく、機能性成分も増加したのだと考えています」

培養液の3℃加温でレタスの収量を増やせることが明らかになり、今後、他の作物でも根圏の環境制御で生産性を高めることが期待される
機能性成分まで増えたとなると、レタスの高付加価値化が期待されるが、たとえ3℃とはいえ、培養液を加温する以上、電気代は余計にかかってしまう。矢守さんらは加温に必要な電力量、電気代などから加温費用を算出。さらに加温による収量の増加から収益がどの程度増えるかを試算し、加温費用を差し引いた結果、気温を22℃、27℃に設定した場合は収益増が期待できると評価している。
ただし、矢守さんらの実験に採用されたのはNFTであり、より多くの培養液を使う湛液水耕(DFT)では消費する電力も増大するに違いない。また、栽培実験は小規模なシステムで、ヒーターを循環タンクだけに組み込んでシステム全体を均質に加温できたが、規模の大きな植物工場で大量の培養液を均質に加温するには複数のヒーターを組み込んで統合的に培養液温度を制御することが求められる。さらに培養液の温度が高くなれば、雑菌が繁殖するリスクが高まるため、殺菌作用を持つ紫外線を照射する仕組みを取り入れることも検討しなければならないだろう。
そのため矢守さんらの研究成果を植物工場に取り入れられるようになるには、もう少し時間がかかりそうだが、培養液を3℃加温するだけでレタスの収量増が期待できることが明らかになったことを受け、今後、根圏の環境制御の研究が進めば、レタスに限らず、さまざまな作物の生産性の向上が期待される。
【画像提供】矢守航


















