10万粒の種から生まれる一輪のバラ。育種に膨大なコスト

バラの育種家である木村さんは、毎年10万粒もの種をまきます。日本の夏の暑さや病気に耐え、その上で美しく咲く一株を選ぶまでには、平均して7年から8年という長い月日がかかると言います。
土地の管理や設備の維持費、肥料代、人件費に加え、選抜で手放すことになる苗のコストも積み重なり、その総額は決して小さくありません。
木村さんは「結局のところ、新品種を出すまでには、1品種当たり1500万円以上かかってるんですよ」と言い、その内訳を次のように説明します。
「圃場には、選抜のために育てている5万本の苗があります。それを1本3000円で販売したとすれば、その額は1億5000万円になります。しかしそこから新しく世に出せるのは、わずか10品種ほど。つまり、1品種あたり1500万円のコストがかかっている計算になります」

育種の一次選抜を控える発芽したバラ苗。同じ親から交配しても咲く花や性質はすべて異なる。
こうした育種にかかる費用を回収できなければ、次の新しい種をまくことは難しくなります。ところが近年、木村さんが育成者権を持つ登録品種が無断で増殖され、売買されるケースが後を絶ちません。
「正規に販売されている苗ではなく、このような違法な苗が流通してしまうと、結果としてお客さまが望むような新しい品種を生み出すための資金が確保しづらくなる」と、木村さんは現状への懸念を語っています。
悪意なき出品が招くリスク。フリマサイトの普及で浮き彫りになるルールの認知不足

農林水産業の発展や新品種の保護を目的とする種苗法では、国に登録された品種(登録品種)を、育成者権者に無断で増殖し、それを販売したり譲渡することを禁じています。近年、このルールを十分に知らない個人が、フリマアプリなどでお小遣い稼ぎのつもりで違法に増殖した苗を出品してしまい、意図せず法律に抵触するケースが目立つようになりました。
ウェブサイトを活用した啓発活動や、育成者権者による侵害対策への支援を行うなど、国は対策に乗り出していますが、それでも膨大な数の出品が続くデジタル空間では、すべての違反を完全に止めることが難しいのが現状です。

「育種家が自らパトロールして直接注意しても、ブロックされてしまえばそれ以上は手出しができません。さらに、違法な苗が一番多く出回る春は私たちにとっても最も忙しい時期であり、すべてに対応する余力はないのが現状です。手塩にかけたバラが安易にコピーされ出回ることは、経済的な被害以上に、作り手の精神を大きくすり減らします」と、木村さんは現場の苦悩を打ち明けます。
違法に挿し木でコピーされた苗は、正規の接ぎ木苗とは根の張りや樹勢が大きく異なります。木村さんは「素人さんが環境の悪いところで作った挿し木の苗では、やっぱりよく育たない」と指摘します。せっかく迎えたバラが思うように育たなければ、品種本来の魅力を楽しむことはできません。違法な苗を売ったり買ったりすることは、育種家の想いを途切れさせるだけでなく、結果として自分が育てるバラの美しさを損ねてしまうことにもなります。
台湾に見た、作り手と文化への敬意

木村さんは、日本と海外の園芸に対する意識の違いを実感しています。中でも印象的だったのが、台湾での事例です。
台湾のSNS上では、ルール違反の苗が出品されると、それを見た一般のユーザーたちが「それは作り手の努力を奪う行為だ」と自ら声を上げ、注意し合う光景があるとのこと。自分たちの手で大好きな園芸文化を守るという自発的な力が、当たり前のように働いているのです。
一方、今の日本は「安ければ良い」という考えが先行し、本来持つべき敬意や誇りが薄れているのではないか。木村さんは、今の日本の状況をそのように危惧しています。

バラの家の実店舗で販売されているバラの大苗。
法律で決まっているからやめるのではなく、一人ひとりが「ルールを守ることで、バラも守れる」と信じて行動すること。安価な違法品を手に取らないという意識を持つことが、日本の園芸文化を次の世代へつなぐための一歩になります。
誰もが育てられるバラを。新品種に込める願い

木村さんが手がけるブランド「ロサオリエンティス」の中に、「プログレッシオ」というシリーズがあります。これは無農薬・低農薬でも美しく育つ、日本の環境に合わせた強い耐病性を持つバラたちです。初心者にも育てやすいラインナップでは、「プリマヴィスタ」や「シャルール」、「プランタジネット」が挙げられます。

進化を続けるプログレッシオのバラたち。左から、プリマヴィスタ、シャルール、プランタジネット。(画像提供:バラの家 ロサオリエンティス)
木村さんの開発は、常に時代の先を読むことから始まります。
「バラの育種って最低でも5、6年、平均すると7、8年はかかるので、ニーズが分かってからでは間に合わない。先回りしないと無理なんですよ」(木村さん)
こうした先読みの姿勢が、今の品種を生み出してきました。今後はトゲの少ないバラや、室内でも育てられるコンパクトな品種など、さらに新しいハードルに挑もうとしています。
品種の開発には、莫大なコストがかかります。育種のためだけに毎年約5万本を育て、一品種あたり約1500万円もの投資を重ねる──その原資は、正規品が適正な価格で届けられてこそ生まれるものです。

バラの家の事務所に飾られた受賞記録の一部。これらの品種も違法流通の脅威にさらされている。
あなたの行動が次世代のバラを咲かす

取材の最後に、木村さんがこれからどのようなバラを作っていきたいと考えているのかを尋ねました。木村さんは「正直にいえば、自分が本当に作りたいバラは、作れずに一生を終えるのだと思います」と、目を細めて笑いながら、そう打ち明けます。その上で、あえて理想を語るなら、と続けてくれた言葉が印象的でした。
「遠い未来に宇宙から誰かが地球を訪れたとします。その時にふと地上に咲くバラを見て『地球にはこんなにきれいな花があったのか』と、驚いてもらえる。そんな時代や場所を超えて美しさが伝わるようなバラを創れたらと思います」(木村さん)
しかし今の日本では、違法な苗の流通によって、こうした育種家の夢の土台すら揺らいでいます。安易にルール違反の苗を手にすることは、作り手の情熱を奪い、新しいバラが生まれる未来を閉ざしてしまう行為にほかなりません。
日本の園芸文化を自分たちの手で守るために、正しい選択をする。一株の苗に向き合う私たちの誠実な行動こそが、日本のバラ文化を次の世代へとつないでいく、一番の原動力になります。
取材協力:木村卓功

バラ育種家。日本の気候に合わせた高い耐病性を持ち、無農薬・低農薬でも美しく育てられるバラの品種開発に取り組む。
自身のブランド「ロサオリエンティス(東洋のバラ)」を通じて、誰もが育てやすいバラを世に届け続けている。
お役立ちサイト
知ってますか?種苗法の「品種登録制度」(マイナビ農業特設サイト)
農業知財基礎セミナー(JATAFF)
そのタネ、ほんとに大丈夫?~育成者権侵害について~(農林水産省)
(この記事は、農林水産省補助事業「令和6年度 野菜種子安定供給緊急対策事業」を活用し、作成しています)
















