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38aの小さな畑から、年間800トン・年商12億円を生み出す巨大企業へ。トヨタ流「カイゼン」で国内市場を拓いた起業家の歩み

鈴木 雄人

ライター:

38aの小さな畑から、年間800トン・年商12億円を生み出す巨大企業へ。トヨタ流「カイゼン」で国内市場を拓いた起業家の歩み

食卓の一皿を彩るベビーリーフ。かつて日本では馴染みの薄かった市場を切り拓き、国内トップクラスの生産規模を誇る農業法人が茨城県つくば市にある。株式会社HATAKEカンパニーだ。年間出荷量約800トンを誇る同社だが、その裏にはトヨタ自動車からの直接指導によって導入した「製造業的アプローチ」がある。異色のキャリアから就農し、失敗と改革を重ねて「売上12億円」の経営基盤を築き上げた代表取締役社長の木村誠(きむら・まこと)さんの挑戦について話を伺った。

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年間800トンを支える「生産・製造・物流」の垂直一貫体制

筑波山を望む茨城県つくば市、石岡市、筑西市、かすみがうら市。県内4市にまたがる各所に、合計で約600棟にもおよぶハウス群が点在している。広大なエリアに分散配置されたこの拠点こそが、株式会社HATAKEカンパニーの生産基盤だ。

同社が管理する圃場は、ハウス約22ヘクタール(約600棟)と露地約20ヘクタールを合わせ、総栽培面積は42ヘクタール。主力商品であるベビーリーフの年間出荷量は約800トン。日量にして約1500キロのベビーリーフが全国へと送られている。

HATAKEカンパニーのベビーリーフ

一方で、同社の強みは面積や出荷量の大きさだけではない。最大の強みは、「生産」から、工場での選別・袋詰めといった「製造」、さらには冷蔵トラックによる「配送(コールドチェーン)」に至るまでを、すべて自社で完結させている点にある。

「一般的な農業では、作った野菜を市場や運送業者に委託して終わりというケースがほとんどです。しかし、デリケートなベビーリーフは収穫直後の温度管理で鮮度と寿命が変わってしまう。自分たちの手で畑から納品先まで届ける仕組みがあってこそ、年間を通じて高品質なベビーリーフを供給できるのです」と、木村さんは胸を張る。

この自社一貫体制によって支えられているのが、多角的な販路構造だ。出荷の約6〜7割を占めるのが、大手スーパーなどの量販店向け。自社で選別・パック詰めした商品を直接納品する。また、約3割は個人宅配や生協といった会員制ネットワークへ供給。残りの約1割を都内の契約レストラン向けとし、シェフのこだわりや高付加価値ニーズにも対応している。

つくば周辺に広がるベビーリーフのハウス群

異色キャリアからの就農。資金1200万円で挑んだ「38a」の原点

今でこそ業界を代表する大規模農業法人となった同社だが、木村さんの出発点は金融機関から借り入れた1200万円の資金と、38アールの小さな畑からだった。

木村さんは1966年、東京都板橋区生まれ。実家は歯車加工を営む自営業で、幼少期からものづくりの現場を見て育った。早稲田大学理工学部へ進み、生産管理や経営工学を専攻。卒業後は税理士を目指して会計事務所に入社した。しかし、いざ働き始めると、周囲の先輩や同僚たちの姿を見て、自分の将来やキャリアについて再考。わずか1ヶ月半で退職を決意した。その後、高校時代の友人の縁で、つくば市で岩石からミネラルを抽出する土壌改良資材メーカーへ転職した。

転機はミネラルメーカーの営業時代に訪れる。千葉県でルッコラを栽培する農家を訪問した際、ハウスを使って年間を通じて出荷し、数名の人員で高い収益を上げる農業現場に遭遇した。「これだけシステマチックに作れば、農業は儲かるビジネスになるのか」。ものづくりと経営への関心が、「農業」へと結びついた瞬間だった。

その後、取引先の誘いで参加したオーストラリアへの農業視察ツアーが事業の原点になった。当時日本ではほとんど作られていなかったベビーリーフ栽培を視察。日本へも輸入され始め、市場が出来つつあったことや現地での生産の様子を実際に目の当たりにしたことで、「これなら日本でもできる」と確信した。1998年、妻とともに「木村農園」を創業。金融機関から借り入れた1200万円を手に、38アールの農地にハウス8棟を建てることからスタートした。

しかし、現実は甘くない。「1年目の夏は病害虫で全滅。冬を迎えるとマイナス8度の冷え込みで生育が完全にストップし、収穫できない畑を前に頭を下げ続ける日々が続きました。」と、木村さんは当時を振り返る。

そして最大の壁となったのが「収穫作業の限界」だった。朝から晩まで腰をかがめて手作業で葉を摘む手摘み作業は時間がかかりすぎ、いくら働いても量が採れない。周りでベビーリーフに挑戦した農家仲間の多くも「こんな手摘み作業、やっていられない」と、次々と撤退していった。

限界を感じた木村さんは、就農1年目の秋、エンジン式の「バリカン茶摘機」を導入する。お茶の刈り取り用機械の両脇を夫婦2人で抱え、機械を走らせると、朝から晩までかかっていた手摘み作業とは比べものにならないスピードで、袋の中に刈り取られていった。

「機械を使えば一瞬で収穫できる。これなら楽だし、圧倒的な量が取れる」。手摘みからの解放と機械化の手応えを感じたこの瞬間にベビーリーフ栽培が成功する未来を確信した。

さらに木村さんは、将来的な「価格の下落」も見据えていた。就農当時、ベビーリーフの原料単価は1キロあたり1000円〜1200円を超える高値で取引されていたが、「全国で生産が増えれば、将来的にキロ500円程度まで単価が落ちる時代が来る」と予測。低単価になっても利益を残せる徹底した省力化と機械化、そして市場価格に左右されない販路を、創業初期から描いていたのである。

ベビーリーフを収穫する様子

日本のサラダ革命と需要増加。トヨタ生産方式とデータ営農の導入

木村さんが創業した1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本の食卓を取り巻くサラダ文化は大きな転換期を迎えていた。当時の日本では、サラダといえばキャベツ・きゅうり・トマトの「3点セット」が主流であり、レタスですら普及し始めたばかりの時代。そこへ、ファミレスなど外食チェーンを中心に、色鮮やかで手軽な「ベビーリーフ」が徐々に浸透していった。

大きな飛躍のきっかけとなったのが、大手スーパーによる青果売り場への本格採用である。定番商品としてスーパーの棚に置かれ始めると、家庭用需要が拡大。特にクリスマスや年末年始といったイベント期には、通常の10倍近くにおよぶ注文が殺到した。

これにより同社は、凄まじいペースで事業を拡大。売上高は1000万円、2000万円、4000万円、8000万円と年々倍増し、2004年3月に「有限会社TKF」として法人化を果たした。

そんな中、同社が一躍全国の注目を集めたのが、全農との提携を契機とした「トヨタ生産方式」の農業現場への導入だった。指導に当たったのは、トヨタ自動車元名誉会長の張富士夫さんらのチームである。「なぜ農産物は計画通り作れず、供給がぶれるのか」。トヨタの技術者たちが提示した課題に対し、現場では徹底的な無駄の排除と工程改善が始まった。

代表的なカイゼンが、ハウス内のスペースを有効活用する「全面栽培」への転換だ。従来、作業や給水のために設けていたうね間をなくし、ハウス内全面に種を播く手法へ切り替えたことで、1棟あたりの生産量は一挙に3割向上した。また、作業者が歩く際の踏圧で土壌に凹凸(クレーター)ができるのを防ぐため、90メートルあるハウスの中央に30センチ幅の通路を1本だけ設け、作業者は接地圧を分散する「スポンジシューズ」を着用して作業するルールを導入した。

さらに、高い成果を上げたのが出荷工場のパッキングラインの改善だ。従来は1人ずつの作業者が「袋開け・充填・計量・シール」の全工程を行っており、1時間あたり50〜60パックが限界だった。これを「3人1組のテーブル分業制」(充填係、微調整計量係、シール係)へと変更。その結果、3人で1時間あたり200パック以上をこなす体制が完成し、作業効率は2倍以上に跳ね上がった。

物理的な工程改善と並行して推進されたのが、経験と勘からの脱却を目指す「データ駆動型営農」だ。東京理科大学などとの共同研究により、ほ場に温度センサーを設置してデータを解析した結果、ベビーリーフは播種後の「平均地温の積算値(積算地温)」が一定値に達すると収穫適期を迎えるという法則を解明した。

HATAKEカンパニーでは10年以上にわたり、「何月何日にどのハウスへ何を播けば、何日後に何キロ穫れるか」というデータを品目・季節ごとに蓄積。過去10年間のデータをベースに、経験の浅い若手スタッフであっても、最適な播種タイミングと作業スケジュールを迷わず判断できる標準化を達成した。

ベビーリーフの製造現場

多角化の失敗と赤字危機。「選択と集中」が生んだV字回復

2016年に新社屋・新工場を完成させ、社名を現在の株式会社HATAKEカンパニーへ変更。年商10億円を突破し順風満帆に見えた同社だったが、その直後、創業以来最大の経営危機が襲いかかる。

組織拡大を目指して外部から役員2名を入れ、カボチャ栽培や各種周辺事業への多角化を推進。しかし、経営方針の不一致や不慣れな品目での不採算が重なり、多角化事業の赤字が本業の利益を侵食。急激に資金繰りが悪化する事態へと追い込まれた。

「このままでは会社が倒産する。自らの甘さを痛感しました」。木村さんは役員体制を一新し、外部コンサルタントとともに構造改革を決断。全国に分散していた不採算なほ場や周辺事業から撤退し、茨城県内の直営42ヘクタールと「ベビーリーフへの全リソース集中」へと舵を切った。結果、利益率は改善し、2026年2月期決算では過去最高となる売上高12億円を達成。見事なV字回復を果たしたのである。

このV字回復を支えたのが、他社よりも「高品質・高鮮度」を実現する独自の自社物流網(コールドチェーン)だ。同社のコールドチェーンは、大きく分けて3つのフェーズによって運用されている。

まず第一のフェーズが、【栽培・一次冷却】だ。圃場において、収穫直後、畑の横に配置した冷蔵車で速やかに「一次冷却」を行うことで、葉の温度上昇による品質低下を低減する。第二のフェーズが、【製造・パッキング】である。温度管理が徹底された自社の冷蔵工場内で作業することで、鮮度保持をしている。そして第三のフェーズが、【鮮度物流・配送】だ。自社保冷トラックによる直接配送網を敷くことで、配送トラブルや急な要望にも即座に対応できる体制を構築。これにより、収穫から納品まで一定の温度を保つことが可能になる。

収穫から店頭・納品まで切れ目なく適温を保つこの仕組みにより、同社のベビーリーフは他社製品よりも「高品質」を実現。品質に対する量販店や顧客からの信頼を獲得し、取引拡大につながったことが、V字回復の大きな原動力となったのである。

また、特筆すべきは、工場や自社物流を「自社の為だけの事業」にとどめず、一つの収益事業として立たせている点だ。近隣農家の農作物運送や「農業総合研究所」の中継荷受場の運営を受託することでトラック稼働率常時8割以上を維持し、物流部門単体での黒字化を実現させている。

HATAKEカンパニーの加工工場兼物流拠点

「誰もが参入でき、もうかる農業」へ。地域共生と次世代への展望

売上高12億円を突破したHATAKEカンパニーは今、売上15億円突破、そして20億円の大台を見据えた次なる成長ステージへと進んでいる。

ベビーリーフに続く第二の柱としてパクチーの生産を強化するほか、量販店が進める「有機(オーガニック)コーナー拡大」の潮流が大きな追い風となっている。同社は自社圃場の60%が有機JAS認証を取得しており、通年でまとまった数量の有機ベビーリーフを出荷できる国内でも稀有な存在だ。

だが、木村社長が描くゴールは、自社の利益拡大にとどまらない。「自分が一から農業を始めて本当に苦労したからこそ、若い世代にはそんな思いをさせたくない。経験や勘に頼らなくても、仕組みとデータがあれば誰もが農業に参入でき、しっかりと稼げる業界にしたい」現在、同社は7つの自社農場に農場長を配置し、権限委譲と人材育成を進めている。

さらに、従業員のための社員食堂の開設、地域住民へ向けた直売所・レストラン構想など、地域社会と共生するプラットフォームの構築も見据える。

「経験と勘」の世界だった農業を、技術・データ・改善の力で再現性のある産業へと変革したHATAKEカンパニー。一つひとつの作物を大切に育てながら、地域農業の未来を見据える同社の挑戦は、持続可能な日本農業の可能性を照らしているだろう。

取材協力
株式会社HATAKEカンパニー

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