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醤油づくりが育んだ趣ある歴史のまち野田

醤油づくりが育んだ趣ある歴史のまち野田

2017年08月01日

千葉県野田市では、古くからしょうゆ醸造業が発展した地域として有名です。野田のしょうゆづくりは1558年~1570年ころ、飯田市郎兵衛という人物により始められたといわれています。

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千葉県野田市では、古くからしょうゆ醸造業が発展した地域として有名です。野田のしょうゆづくりは1558年~1570年ころ、飯田市郎兵衛という人物により始められたといわれています。1917年には、高梨・茂木両一族の八家が合同して“野田醤油株式会社”を発足し、これが現在のキッコーマン株式会社となります。野田市には現在もキッコーマン本社のほか、キノエネ醤油株式会社、窪田味噌醤油株式会社などの醤油醸造会社があります。

野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)を起源とする野田市の醤油づくりの歴史

野田市は千葉県の北西部に位置し、県のキャラクター・チーバくんで例えると、ちょうど鼻の部分にあたります。今も史跡や公園などが多く残るのどかな環境ですが、古くからしょうゆ醸造業が発展した地域として有名です。まち中に点在する名建築の数々は2007年に経済産業省から近代産業遺産群に認定されました。

野田のしょうゆづくりは1558年~1570年、飯田市郎兵衛という人物により始められたといわれています。それまで大量に運び込まれていた関西のしょうゆにとって代わり、野田のしょうゆは江戸市中の需要を賄えるほどに普及し、江戸っ子の食文化を支えてきました。

1917年には、高梨・茂木両一族の八家が合同して“野田醤油株式会社”を発足し、これが現在のキッコーマン株式会社となります。

野田市には現在もキッコーマン本社のほか、キノエネ醤油株式会社、窪田味噌醤油株式会社などのしょうゆ醸造会社があります。キッコーマンの工場の中にはしょうゆの歴史から作り方まで、しょうゆのあれこれを体験しるから学べる醤油ミュージアム“もの知りしょうゆ館”があります。ここでは、工場見学をしながらしょうゆのあらゆる知識が学べるほか、宮内庁に納めるしょうゆの醸造所“御用蔵”を見学できたり、さまざまなしょうゆの味比べや“醤油ソフトクリーム”が楽しめる“まめカフェ”が併設されています。

甘さが口いっぱいに広がる野田市の枝豆

野田市は関東平野の中央部に位置し、東西を利根川と江戸川が流れ、南には利根運河が流れています。江戸川の水質がしょうゆづくりに適していたこと、豊富な川の水運によりしょうゆの原料が入手しやすかったこと、製造したしょうゆ製品の運搬にも便利だったことなど、川にまつわる複数の要因が相まって、野田のしょうゆづくりは発達してきました。しょうゆの原料は「大豆」「小麦」「塩」の3つ。

市内でも、終戦直後の1940年代半ばから大豆づくりが盛んだった記録があります。当時は多くの農家が自家用の味噌作りなどのために大豆を作っていました。その後、食料事情の回復に伴い、生産は大豆から枝豆へと転換していきました。枝豆は栽培面積約300ヘクタールを誇り、今では野田を代表する作物となりました。

「子どもたちに、おいしい枝豆を食べてもらいたい」と語るのは、SENOU FARM(セノファーム)の瀬能淳矢(せのじゅんや)さん。採れたての枝豆は、市場に流通する枝豆とは味が異なり口いっぱいに甘さが広がります。昔は、庭先にお湯を用意し、収穫後すぐにゆでて食べられるようにしていたといわれるほど、採れたては本当においしいです。

市が開催している枝豆の収穫体験もあるので、ぜひ野田で採れたての枝豆の味を堪能してみてください。

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