(©川名マッキー)
自分の名を冠した世界に一つだけの野菜を作る。農家の方なら一度は憧れるのではないでしょうか。しかし、新種野菜の開発には、途方もない手間と時間がかかるため、一生産者が挑むのは難しいとされてきました。
それを実現し、注目されている若手農業家がいます。苅部博之(かりべひろゆき)さんです。苅部さんが開発したその名も「苅部大根(かりべだいこん)」は、見た目の美しさと辛みを抑えたみずみずしさが人気のオリジナル野菜です。9年の歳月をかけて生み出された苅部さんのオリジナル野菜「苅部大根」の、誕生秘話をうかがいました。
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「苅部大根」を生んだ横浜の13代目農家
江戸時代から続く農家の13代目として神奈川県横浜市・保土ヶ谷区で生まれた苅部さん。手間ひま惜しまずおいしい野菜を作り続ける父の背中を見て育ち、自然と農業の道に進みました。「苅部農園」は現在、約2.5ヘクタールの畑でキャベツやジャガイモ、ネギなど年間70品目ほどの露地野菜を栽培しています。土にこだわり、堆肥を自ら作るなど、父から引き継いだ昔ながらの野菜作りを実践しています。
(©川名マッキー 赤紫のグラデーションが美しい苅部大根)
そんな苅部さんが生み出したオリジナル野菜が「苅部大根」です。株の根元から葉先にかけて広がる美しい赤紫のグラデーションが特長で、甘さとみずみずしさが、サラダやピクルスに最適。日持ちに優れ、葉っぱまでおいしいので、横浜市内のレストランから指名でオーダーが入ることも多いそうです。
苅部大根は、東北地方に伝わる在来種「赤家地大根(あっかじだいこん)」をベースに他の品種をかけ合わせ、改良を重ねた末に生み出されました。理想の味・色・形の大根を継続して収穫できるようになるまでは、実に9年もの歳月を要したと言います。
きっかけは、産地ブランドに負ける悔しさ
オリジナル野菜の開発を支えたチャレンジ精神は、どう培われたのでしょうか。きっかけは20年前、苅部さんが就農したばかりの頃のある経験でした。
(©川名マッキー)
当時から、昔ながらの丁寧な畑仕事を実践していた苅部農園。苅部さんの父は、横浜市内でも知られる腕利きの農家として、市場にキャベツを出荷していました。いずれ農園を継ぐ立場として市場へ出入りするようになった苅部さん。しかし、そこには厳しい現実が待っていました。「朝採りの新鮮な野菜を卸しても、有名産地のブランドキャベツの方に高値がつく。どんなにおいしいキャベツを作っても、産地ブランドに負ける、それが悔しかった」。
考えた末に、苅部さんがたどり着いたのは「産地ブランドに負けない、自分のブランドで勝負する」というものでした。
オリジナルブランド野菜に着手
2001年、苅部さんは念願だったオリジナル野菜の開発に着手します。新種の開発は、品種をかけ合わせ、変異した種を採種して栽培することを繰り返す地道な作業の連続。ベースとなる野菜に、国内外のさまざまな品種を交配しましたが、最初はなかなか思うようなものは作れませんでした。
また、農地の状態や気候、植える前に作っていた作物によっても、出来は大きく左右されます。開発のための条件は無限にあるうえ、チャンスは年にたった1回。味は良くても色がきれいに出ないなど、味・色・形の三拍子を揃えるには膨大な試行が必要でした。
難解なパズルのような作業ですが、苅部さんは「それがおもしろかった」と言います。手間ひまを惜しまず、野菜同士の相性や土壌の癖をひとつずつつかみながら、2011年、ついに味・色・形が揃った世界に一つだけの大根、苅部大根が誕生します。
遺伝子組み換えに頼らない、自然な形での品種開発を、一生産者が成し遂げたことは、周囲に大きな驚きと影響を与えました。苅部さんがかつて誓った「自分のブランドで勝負する」という夢が実現した瞬間でした。
苅部ブランド第2弾は「苅部ネギ」!
その後も、苅部さんの挑戦は続きます。2017年4月には「苅部ネギ」の開発に成功、初出荷を果たしました。これは農園のある横浜市保土ヶ谷区西谷に約60年前から伝わる在来種「西谷ネギ」をベースに、8年の歳月を経て開発した長ネギです。
苅部大根と同じく、赤紫から濃いピンク、白へと連なるグラデーションが美しく、うなるほどの甘さが特長です。通常の長ネギの収穫期間は、8カ月から10カ月ですが、西谷ネギは1年7カ月もの年月をかけてじっくり育てます。
栽培期間が長いだけに、開発には苅部大根以上の年月を覚悟していたと言いますが、苅部さんも驚くほどの早さで出荷まで漕ぎつけることができました。「ラッキーだった」と苅部さんは笑いますが、その裏には手間を惜しまず、オリジナル野菜への情熱を燃やし続けた苅部さんの努力があります。
(苅部さんは県内の若手農家と設立した「神奈川県七人の百姓(略称:神七)」のリーダーも務めている)
オリジナル野菜の生産以外でも、苅部さんの活動は多くの若手農家にとってお手本であり、希望でもあります。苅部農園の農産物直売所「FRESCO(フレスコ)」。地元の消費者に新鮮でおいしい野菜を届けようと、1998年に苅部さんがオープンしたこの直売所は、今や保土ヶ谷名物にまで成長しました。370万人の市民を抱える横浜市で、地の利を生かした都市農業のモデルケースとして農業関係者からも注目を集めています。
柔軟な発想力と地道な努力、なにより農業の未来を担う情熱が、「苅部ブランド」をこれからも輝かせていくでしょう。「農家が憧れる農家」苅部さんのオリジナル野菜への挑戦は、まだまだ続きます。
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苅部博之
https://www.facebook.com/hiroyuki.karube.1
FRESCO(フレスコ)
http://fresco.opal.ne.jp/
神奈川県七人の百姓(神七)
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